動きだした地方自治体の国民保護法                                          04・9作成

鳥取県の場合
(1)自然災害や事件事故と同様にやってくる (2)軍隊は国民を守るためにあるという信念
(3)都道府県や市町村は国の下にある (4)避難誘導は「消防団」が絶対的に必要である
(5)すり変わった有事法制の真意は何か (6)避難訓練の裏にある価値が見えていない
(7)残るは住民だ、の世論操作 (8)有事の要-米軍隠しか認識不足か

   鳥取県の先見性とはなにか

   鳥取県は、「有事」という視点からの先見性はかなり早くからの取り組みで、政府部内でも評価されている。現在の片山知事のもとでの取り組みは全国でも指導的位置にあり、政府にもいろいろと提言をしている。今後、他の都道府県の「国民保護法」の具体的展開において同県の取り組みがかなりの比重で影響を与えるであろうと思われる。そのことを考えると、同県の取り組みは今後の有事に関する国民全体に及ぼす影響も大きい。

 行政は、法の施行によって、その運用を義務づけられる面があることを念頭におきながら、同県の取り組みから何が見えてくるのか、また見えてこないのか、どこに問題が潜んでいるのか、日本の将来に関する重要な岐路を決定しかねない今の時点で検証してみたい。

 その場合、次の資料を参考にした。いずれも鳥取県がその取り組みのなかで使ったもので、同県のホームページから入手したものです。

1 住民避難のシミュレーション 7 国民保護法に対する鳥取県の取組方針
2 住民避難マニュアル 8 住民避難のシミュレーションに基づく問題点
3 鳥取県危機管理対応指針 9 講演(内閣参事官大庭誠司)
4 第6回防災関係機関情報交換会 10 講演(内閣官房内閣参事官磯崎陽輔)
5 第1回国民保護フォーラムパネルディスカッション 11 講演(消防庁防災課長務台俊介)
6 プレゼンテーション「住民避難における本部運営訓練」 12 その他

(1)有事は必ずあるという前提 自然災害や事件事故と同様にいつかはやってくるという認識

 59年前、日本はアジア・太平洋戦争の敗北によって、約2千万人のアジア諸国人民、約3百十万人の国民、そして、その他の国々の人民をその犠牲とした。この侵略戦争の反省にたって、二度と戦争をしない国への脱皮を図った。

   「平和憲法」を制定し、日本の国の有り様(国体)を主権在民の民主主義国家と決定した。しかし、アメリカは直後、「朝鮮戦争」(1950・6)への介入を前に憲法9条は間違いっだったと後悔した。以後、日本の保守政党は、アメリカの後押しを受けながら「平和憲法」の精神を少しずつ風化させる政治の流れをつくり、自衛隊の前身である「警察予備隊」の創設(1950・7)から50年余、憲法9条を解釈論によってないがしろにし、自衛隊の機能を高め、活動範囲を拡大した。いまや自衛隊が軍隊でないと言う人はいない。世界第二位の戦える軍事力を持つ自衛隊はその機能を発揮する場を求める。

  復活した戦争用語

 このような日本の状況の下で、「有事法制」は具体的に動きだしている。そして、その具体性が、日本人にとって、触れたくなかったはずの「戦場」とか「敵」などという血なまぐさい用語を蘇らせた。国家権力が、国会という最高議決機関でその用語を定着させ、今や地方自治体(都道府県・市町村)の中で飛び交おうとしているのである。やがて、それは、国民の日常生活の中でも飛び交うことになるだろう。なぜなら、「戦争法」は国民と直結するところでしか機能しないからである。

 先述したように、鳥取県の取り組みを知ることによって、全国の自治体の今後が見えてくる。そのような自負をこの県は持っているし、また、そのような先進県の取り組みを参考にしなければ他の自治体は間に合わないのである。それほどこの法制は膨大であるし、困難であるし、その上時間がかかる。ちなみに、某政府関係者は、「災害対策基本法は10年かかったがこれはそうはいかない」と言っている。

 さて、鳥取県のさまざまな取り組みのなかから、今後自治体が突き当たる数多くの問題点が浮き彫りになっているが、筆者は、「有事法制」を推進する立場ではないから、そのような問題点をどう解決するかにはあまり関心がない。この県が取り組んださまざまな「成果」のなかに「有事法制」やその中核を担う「国民保護法」のもつ危険性を捉えることができるのである。

 そもそも日本人の意識のなかに強引にも入り込もうとしている「有事」はもちろん戦争という前提で構成されている。「平和憲法」で戦争を放棄し、日本人の辞書からは「戦争」「戦場」「敵」等がなくなっていたはずだから、ある意味では日本人の発想が再び大転換させられることを意味する。

   有事法制は風邪の予防と同じ

 某内閣参事官は「戦争というのは相手があるわけですから私たちがいくら平和愛好といっても絶対にこれから百年も、二百年、三百年先まで考えて、有事がないとは分からない」と嘯いた。また、同県の知事は「予防と治療」という例をつかって、風邪を引かないようにするのが「平和外交」であるが、風邪を引くこともあるから「有事法制」が必要である、と、こちらは、国家の外交や戦争を「風邪」に例えるほど幼稚化している。これは「有事法制」を唱え始めたときの小泉首相の「備えあれば憂いなし」と軌を一にするものだが、この「先に有事ありき」はある意味では国民の支持を受けている。

 この有事論は、日本は戦争はしない国家であるが、万が一というのはあるよ、という自然災害的な発想であることが効を奏している。結局、この前提が認められれば、ことの進展は明快である。ここに「有事法制」の大きな落とし穴がある。

 「戦争はなぜ起こるのか」という素朴な疑問は多くの日本人が持っている。それはさるアジア・太平洋戦争によっていかに国民が悲惨な状況に追い詰められたかを物語っているが、しかし、この素朴な疑問によってすでに「落とし穴」に落ち込んでいることを知るべきである。戦争は「起こる」のではない、「起こす」のである。言葉遊びではなく、「戦争はなぜ起こるのか」から「戦争はなぜ起こすのか」に切り換えるだけで、戦争をもっと明確に見ることができるし、起こさないための方法も生まれてくる。

   戦争は起こるのか起こすのか

 ところが、日本の初等・中等教育では、そのような勉強をしていない。つまり、戦後教育を受けてきた現在の多くの日本人は、戦争は悲惨なものである、という結果だけを教えられてきたといっても過言ではない。それは、日本人の戦争体験と平和憲法の精神とも合致していたから、60年近くすんなりと行われてきた。その結果として「平和ボケ」と揶揄される一方では、有事法制が国会において圧倒的多数の賛成によって可決される状況を生み出したのである。

 「戦争はなぜ起こすのか」という視点は、必然的に「誰が起こすのか」という疑問を引き出し、「どのように起こすか」に連なる。それを繙けば、戦争とは忘れたころにやってくる自然災害でもなく、油断すると引くような風邪でもない。れっきとした国際関係のなかで作られていく政治的な行為、したがって、戦争は極めて人間的な行為の一つであることが解ってくる。

   落し穴だらけの戦争論

  同県の取り組みの基底を流れるもう一つの「落とし穴」は日本被害論の立場である。日本は「平和愛好」だが、「戦争は相手がある」から、いつ攻められるか知らない、という発想である。仮想敵国論とも共通するが、このような論法は、うらを返せば日本がいかに平和外交に力を入れていないかを逆に証明することになり、某内閣参事官が自ら何を語っているのかを知っているのかと思うとなかなか面白い。しかし反面、政府の法案を作る要人がそのような認識を持ちあわせていないとは思えない。とすると国民を欺くための詭弁ともとれる。問題は詭弁の向こうに何が隠されているのかである。いずれにしても、この「落とし穴」にも国民が多く落ちそうである。

(2)自衛隊は国民を守るという前提 軍隊は国民を守るためにあるという絶対的な信念

 同県の防災監は、防災関係機関連絡会議の席上、「なぜ自衛隊なのか」と自問し、「自衛隊はもともと国土、国民を守るといことが本来の責務」であるとか、「いざ何かあったときに県民の生命、身体、財産を守ってもらうのは自衛隊」であると自答した。三軍自衛隊の地元幹部が同席していることを割り引いても「自衛隊は国民を守る」という認識に嘘はないだろう。

   このような認識は、憲法違反の自衛隊が市民権をもって闊歩している現状からして、かなりの国民に支持されている、とみるのが当然であろう。しかし、自衛隊は本当に国民を守るのだろうか、素朴に問い返すことには意味がある。その認識は国民の無知、もしくは、勝手な思い込みに基づくものではないか。

   自衛隊が守るのは何か

 ちなみにその席上、資料に見る限る三軍自衛隊関係者の誰一人「私たちが国民を守る」とは言っていない。それは言える内容ではないからである。自衛隊法のどこにも自衛隊が「国民を守る」という条文は見つからない。「任務」に関してあるのは次の条文だけである。

第3条
自衛隊は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当るものとする。

 この条文をどのように解釈しても「国民を守る」という意味合いは出てこない。主たる任務で守るのは「わが国」である。「わが国」の構成体の中に国民も入るが、ここでいう「国民」は具体的な一人ひとりの国民、つまり、固有の「私」や「あなた」ではなく、国を構成する一単位としての抽象的一般的概念の「国民」である。したがって、「国」を守ることがすなわち「国民」を守ることだ、という言い方は観念的であり、多分に主観的なものとなる。

   実際の戦争でも国民を守らなかった

  さるアジア・太平洋戦争でも「国民」の一人一人は守られなかった。それどころか、消耗品となって、ひたすら「国」を守ることのみに利用された。それに対して、戦前は「天皇制国家」や「主権在君」だから軍隊も天皇を守ったのであり、現在は主権在民だから、国民を守るはずだ、と思うのは楽観的すぎる。

   去る戦争でも、日本の敗戦が濃厚となった時点で、国家中枢が最も心配したのは国体をどう守れるのか、だった。「天皇の為に死ぬとか戦う」という場合の天皇は、天皇自身ということも含むが、最終の一点は天皇=天皇主権国家のことである。したがって、ポツダム宣言を受諾するか否かの瀬戸際でも、昭和天皇自身は自身の命乞いをしたのではなく、国体である「天皇」を守ろうとしたのである。つまり、自分の代での天皇制の終焉をなんとしてもくい止めておきたかったのであり、それを周りがどう勘違いしたのか、そのことをもって昭和天皇の美徳にしてしまったのである。

   では、国民は誰が守るのか。「警察法」の次の条文にその答えがある。

第2条 警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。

 ここで「個人の生命、身体及び財産の保護に任じ」によって、警察が国民の生命・身体・財産を守る任務を持っていることがわかる。この条文があるから、日本の警察官は「個人の生命、身体、財産」を守るために日夜活動をしているのである。ここで注目してほしいのは「個人の…」である。「個人」は人間一人一人のことである。したがって、日本国内であるかぎり、人間であれば国籍を問わずに誰でも守られるのである。

   しかし、これとて条文からも分かるように「治安上」の任務であり、この第2条は今回の「国民保護法」において、「武力攻撃事態等」については準用されていない。つまり、警察が「個人の生命、身体及び財産の保護に任じ」るのは、あくまで治安上のことだけである。

 では戦争から国民を守るのは誰か。「国民保護法」によれば、「国民保護」に対処する直接的な機関は「地方自治体」ということになっている。これはとりもなおさず、自衛隊が本来「国民を守らない」ということを再確認することになるのである。なぜなら、自衛隊が本来的に「国民を守る」機関であれば、「自衛隊法」を一部改正するだけでことは足りる。そうはなっていないから、新に「国民を守る」のは誰か、という問いの答えとして「国民保護法」を作り、「国民保護の主体」を「地方自治体」に設定したのである。

  ほんとうは誰も守れない

 もちろん、地方自治体の対処は、法に基づく行政行為として、法に規定された対処をすることで法は執行されたのであるから、文字通りの「国民を守る」ことにはつながらない。つまり、実際に戦争から国民を守ることができなかった(被害者・犠牲者・戦没者がいた)としても、行政行為に怠りがなければ、それは守ったことになる(行政に落ち度はなかった)、という類のものである。

   戦時体制のなかで、真に「国民を守る」ことの困難さに対して、某内閣参事官は「有事に備えて、今は30点でもいいから(三割の命を救えばよしとする-筆者挿入)」と、自治体に発しているが、この数字が上がる確証はどこにもないし、また、最低でも30点という保証もどこにもない。沖縄戦では、地上戦が行われた沖縄本島では、県庁が戦場において住民避難誘導や軍の後方支援等を行ったが、その最中(1945年6月中旬)解散を余儀なくしている。結果として、本島住民の約3人に1人が戦没した。しかし、戦後、行政は、戦争から守れなかったことに対する責任を負わなかった。謝罪さへしていない。

 このように考えると、「いざというときは自衛隊が必ず守ってくれる」という信念で「国民保護計画」を推進する同県の取り組みは、ある意味では鳥取県民を騙しているとも言えよう。さらには、「敵を倒すのも自衛隊しかないので、彼らに負担をかけないように民間も頑張る」という構図が描き出されつつあることは、国民をいつか来た道へ導く先導的役割をもっていると言えよう。

(3)自治体の責務を国家の下請け的発想で捉えていること 都道府県や市町村は国の下にあるという認識

 というわけで、地方自治体の役割がいきなり重要性を増すことになるが、鳥取県の取り組みは、その典型として見る必要がある。県防災監や知事が中心的になって推進している(多分他の自治体も同様となる)が、先程引用したように原点の認識が異なるので、その取り組みにおいても、当然のようにズレが生じる。

 その典型が全面的とも言える自衛隊依存による取り組みの推進である。その具体的な内容については「自衛隊」の項で述べるが、それと並行して、というより車の両輪の如くに政府関係者の指導を受けるという視点が強いことである。同知事が元政府官僚だったことと関係があろうが、問題はその内容にある。

                                                                                                           参照「自衛隊の先導性について」
  「地方自治の本旨」の貫け

 地方自治体は、憲法に規定されているように「地方自治の本旨」に則って、国とは対等平等の関係である。しかし、同県の姿勢には上下関係が見え隠れする。それでは、「国民保護」の主体的な対処は生まれてこない。それらのことがらは、先程引用した推進中核の県幹部の認識(戦争が国家外交の一手段であることや自衛隊は国民を守らないということの認識の欠如)と無関係ではないだろう。これでは、「国民保護法」に盛り込まれた上意下達の構図を鵜呑みにしたままことを進めることになり、真に国民を守る対処法は浮かんでこない。

 このことは鳥取県のみならず、一部の自治体を除けば、これからの全国的な傾向となることが十分予想される。これでは、自治体が国家の施策を末端で推進・補完した戦前の旧憲法体制と変わらない。民主主義国家における地方自治の本旨を堅持した自治体であれば、それなりの国民保護の視点が見えてくるものである。その意味で言えば、隣の島根県知事の発言は意味が深い。「知事が考えるレベルと国が言うレベルに差があった場合どうするか。」という記者の質問に対して「認識の差があった場合には、それは待てと言わざるを得ない事態もあるかもわからない。」と答えている(記者会見)。

(4)「有事法制」と「災害救助」が混濁した発想 避難誘導は「消防団」が絶対的に必要であるという認識

 「交換会」や「パネルディスカッション」等で、参加者が口々に言っていることの共通的なことの一つが「消防団」とか「婦人消防隊」のことで、名称はさまざまだが、「国民保護法」でうたわれている「自主防災組織」の重要性を説くことである。ただ、その重要性においては共通しているが、その視点はさまざまである。

   たとえば、「消防団」そのものの量的な面からの指摘に対して、「消防団の少ない町が肩身の狭い思い」をしたり、だから、「組織化が急がれる」と言う方向に向く一方、「消防団の力というものを再評価して再構築」しようとしたり、「有事とかテロとかのときにも大変大きな力になる」という質的な側面から捉える者もいる。いずれにしろ、量的質的にその重要性を指摘していることに違いない。

   それに対して、「テロ対策とか消防火災予防以外の目的で消防団を置くということになれば、よく考えてみないといけない」という警戒論もある。そもそも「消防団」は、自然災害や火災等に自主的に活動をする地域の防災組織である。地域という限定された活動だから、地域の特徴が現れる。某市長の警戒論のように、国家的規模の「有事体制」において、「消防団」を使うとなれば、全国一律となり、これまでのような「消防団」でありえるのかどうか疑わしくなる。そのような「消防団」の原則をなし崩し的に捨て去り「消防団」の量的質的向上に血眼になりつつある自治体の対応に危機感をもつ。

   消防団が戦争につかわれる

 この「消防団」は全国的には約6割台の組織率だが、地域差があり、鳥取県内においてもかなりの格差があるようだ。しかし、「国民保護法」をストレートに運用しようと思えば、自治体の対処の最終的段階では、それぞれの地域での対応がことの左右を分ける結果となることは論を待たない。なぜなら、戦争状況における都市部の人間の移動(避難)は数千人から数十万人、時には数百万人規模である。そのような避難を支援する最終単位はやはりそれぞれの人々が住んでいる地域(区域)にしかない。国、都道府県、市町村という機関の機動人口はたかが知れている。

 だからこそ、某参事官も、自主的な防災組織には「そばにおられる方に協力を依頼することができるという規定をおこうと思っています。そういう中で自衛消防隊の方々とか、婦人消防隊の方々がうまく協力できる仕組み作りは出来るのではないか」と、法的規制を含めて今後の取り組みに反映させる方向性を打ち出している。

 政府関係者が強調しているように、国は、韓国の民間防衛システムを参考にしながら「自主防災組織」を取り込み、法制化への位置づけができないか模索しているようだ。現段階では唐突すぎるだろうが、国民の中に「防衛」とか「敵」という言葉のアレルギーが解消されるころの法制化を目論んでいるのだろう。ちなみに韓国では全男子が20歳から45歳の男性は登録義務となっているようだ。

 要するに、前項におけるテーマを持ち出すまでもなく、最終的には戦争における自分(たち)の命と身体と財産は辿り着けば自分(たち)で守るしかないのである。それができなければ戦死しかない。だからこそ、どのような戦争でも、必ず最も弱い立場の人から死んでいくのである。

(5)「テロ」「不審船」が中心-翻弄される自治体 すり変わった有事法制の真意は何か

 「有事法制」はそもそも何から発起されたか。「国民保護法」も「テロ・不審船」ももともと政府の原案にはなかったことである。自治体からの要請事項として浮上してきた経緯がある。それは、9・11以来の国際的なテロへの不安感の醸成や東シナ海での不審船事件等と機を一にしているが、本来は異質の問題であるはずである。

   戦争とテロを混濁させたままにして、さあどうするか対処計画を考えろ、ときたものだから、提起した自治体が混乱しているのである。そして、今では戦争そのものよりも、テロや不審船の不安感が先行している状況である。たとえば、「我々の隣に住んでいる人がテロかもしれない、届けられる郵便物に炭疽菌が入っているかもしれない。我々が乗る電車がテロの戦場となるかもしれない。」(某講演)という類である。

 それは、両者のそもそもの異質さがそうさせるのである。つまり、戦争は本来政治の一手段であることから事前の掌握に時間的余裕があるが、「テロ」は今すぐ発生してもおかしくない、という非常時性が一人歩きして取り組みへの加速として現れているのである。先行指導をする自衛隊も「着上陸侵攻は余り心配ない。明日来るわけではない。1番怖いのは、テロ、武装工作員のようなものの攻撃。今日起こるかもしれない」などと恐怖感を煽っている。政府関係者も「着上陸攻撃。これはほとんどないだろうし、仮にあっても1%もないだろうが、」と自治体関係者の危機感を加速させる。

 このようななかで、「有事法制」の核心部分がテロ等に絞られ、そのことによって国民の不安感を煽る結果となっている。一体、「有事法制」って何のためだったのか、という状況ではある。もちろん、それはそれできちんと目論見は隠されているわけではあるのだが、自治体の取り組みではまだ見えてこない。いや、見えてこないようにするために、「テロ」や「不審船」が強調されているようにも見える。
                                                                                                                        参照「国民保護法」

(6)訓練は重要という意識変容への醸成 訓練の裏にある価値が見えていない

─「着上陸侵攻は明日来るわけではない。1番怖いのは、テロ、武装工作員のようなものの攻撃。今日起こるかもしれない」(某自衛隊幹部)─この危機感が関係者を「保護計画」の作成に駆り立てている。

2000X年、アジア太平洋地域では、大量破壊兵器の拡散をめぐり、安全保障上の緊張が高まり、我が国に対してA国が、軍事力による事態解決も辞さないという宣伝を行っていた。日本海ではA国の工作船と考えられる不審船が活発な活動を行っていた。またA国では、予備役の動員を開始した。国内では武装工作員の対処を目的に、警察と海上保安庁による警戒警備活動が強化された。不測の事態に備え、自衛隊は沿岸部を中心として、警戒監視体制を強化した。
9月11日午前10時この事態を受け政府では武力攻撃予測事態が認定され対処基本方針が閣議決定された。自衛隊には、防衛出動待機命令が発せられた。

  これは、鳥取県が作成した「住民避難における本部運営訓練」の出だしの部分である。

   このような仮想敵国を設定し、そこから「国民保護」の対処方法を作り出そうとしている。そして、それはとりもなおさず訓練を重要視する必要性からきている。もちろん、訓練することがそのまま実効性を伴うとは考えていない。それぞれに異なる状況によって対処も異なる。某自衛官の算定では「50個」はあるそうだが、それらすべてについて作成することはむろん無理だという。

   ではなぜ訓練が必要か、と言うことに関しては、自衛隊側、行政側、専門家からの「同一体験の共有」や「情報の共有化」が強調される。訓練そのものは実際には実効性がなくても、「同一体験の共有」をしておくことによって「臨機応変の対応が要求される」有事の対処に役立つ、という論理である。異なるパターンの訓練を住民、行政、自衛隊が共有することが訓練の真の価値付けである、と言わんばかりである。

   戦争の論理と生活の論理

 このことは、直接的には「有事」にともなう避難訓練が、その根底においては、軍隊と国民の「認識の共有化」を図る場となることを意味する。某自衛官が「同じ言葉を使っていても考えていることが違うということは多々ある。1つの同じ言葉を使っているが認識が全然違っていた。どうすれば解決出来るかというと、やはり同じものを同じ目で見ないと認識の共有を図れないだろう。」と、「認識の共有化」を強調する。

   彼が仮に民間人であったらそれはそれでもっともだと筆者も考える。しかし、彼は軍人である。軍事的認識に基づく軍隊の目と戦争を拒む一般国民の目は本来水と油で同じ認識になれるはずがない。なぜなら、軍隊はそもそも人的物的破壊を目的とする戦争の論理で思考し行動する。民間人は生産を目的とする生活者の論理で思考し行動するからである。

   しかし、自衛隊の先導性によって、軍隊的論理の視点からの訓練が設定され、「同一体験の共有」を進めることによって、生活者の論理が軍隊的論理に変容させられる危険性はある。われわれ日本人は、それをすでに60年前に体験済みである。

                                                                                         詳細は「自衛隊の先導性について」参照

(7)残るは住民だ、の世論操作 国家総動員への布石か

 「交換会」で共通して指摘されたもう一つのキーワードは、「住民」であった。その内容は「問題は住民」「県民の理解がどうか」などという「住民の意識の遅れ」に対する指摘がその中心であった。最終的に最大のハードルとなるのは国民である、という点で一致している。

   某講師(消防庁)は、日本の自然災害そのもののリスク指数は、たとえば、東京を中心とした首都圏は世界一であるし、大阪圏が四番目という数値を紹介しながら、日本人がいかに災害に無防備であるかを強調する。それは歴史的なものであって、今回の有事法制においても「国民の無関心」や「意識の遅れ」をどう克服するかが難問題である、とする。

  そして、某内閣参事官は、韓国の民防衛(民間防衛組織)を参考にする、としながら、韓国人が最近無関心になっていることを日本との比較によって、「あの国でさえそうなのです。ですから日本においてそういうことは非常に難しい。」と、日本人の防衛組織化における困難性を強調する。その一方で、今回の「国民保護法」における「人権尊重」や「自主性の尊重」がそこに踏みとどまるものではないことを暗に仄めかしつつ、将来的には制限もあり得ることを「今回の法律の中ではそこまでなかなか書けるものではない。」とか「訓練を実施するように努めるというようなことを取りあえず書こうかと思っている。」などと言っている。

   最後は国民がターゲット

 そもそも「国民保護法」は文字通り国民を保護するための法律である。そのために、政府、自衛隊、都道府県や市町村、行政機関、公共機関が頑張っているのに肝心の国民が分かってくれない、協力してくれない、というシナリオである。

 某参事官の「国も自治体もそうですし、少しずつこの国のあり方を考えるということをやっていただくしかないのかなという気がしています。」という発言は意味深長である。つまり、国民の意識改造にはそれ相当の時間がかかるものであることを自覚し、その取り組みを強化していかなければならない、という国家権力側の決意に聞こえる。今後、政府がどのような法案を出してくるのか、地方自治体が住民をどのように取り込もうとするのか、まさに国民一人一人の基本的人権の意識と「地方自治の理念」をもった自治体の踏ん張り所である。

(8)米軍が見えない国民保護計画作成 有事の要-米軍隠しか認識不足か

 膨大な量をこなしている鳥取県の取り組みのなかで、異様なのは、全体的にも部分的にも米軍に関することがほとんど出てこないことである。それは、同県に「米軍基地」がないことによるのものなのか定かではないが、片手落ちの感を免れない。なぜなら、「有事」が発動されれば当然のように「関連法」はすべて発動する。とすれば、「米軍基地」が無いから鳥取県に米軍が出動しないということはないのである。

   今回の「有事法制」の柱の一つが「米軍の行動を円滑・効果的にする法制」であることや、その米軍を対象として二つの立法(「米軍行動円滑化法」「特定公共施設等利用法」)と一つの条約改正(「日米物品役務協定」)がなされたことなどを考えると、理解に苦しむ。法制上においても現実的対応においても、米軍あるところ自衛隊ありだから、避難計画に関わる自衛隊にも少なからずの影響をもたらすし、それはそのまま自治体の避難計画にも影響を及ぼすことになる。そのように重要な位置を占める米軍について触れられていないのは、その認識の無さとともに意図的な米軍隠しではないかと疑いたくもなるのである。

                                                   参照「米軍行動円滑化法」「特定公共施設等利用法」「日米物品役務協定