国家が米軍のために不法行為-「地籍明確化法」(沖縄)(1977年・昭52・5・18)

※法律名、条文は略称、整理して表現しています。(筆者)

   復帰と同時に発効した時限立法である「公用地暫定使用法」の期限が切れた時、この法律ができた。なぜなら、「公用地暫定使用法」によって軍事基地として使用できるのは、「5年」という期限がついていたからだ。かといって、1952年(昭27)に制定されていた「米軍用地特措法」を持ち出すことはできなかった。

   当時の沖縄は、この法が規定しているように、「太平洋戦争による破壊」「土地登記簿・地図の滅失」、そして、違法無法な米軍の土地強奪による全島軍事基地化による「土地の形質変更」等で、地籍不明の土地がかなりあった。このようななかで、「米軍用地特措法」(昭27)を持ち出してくることはかなりの無理があった。それは、この法による「軍用地の使用と収用」にはその手続き上で必要な「裁決申請書(土地調書及び物件調書を含む)」に実測平面図等が必要であったからである。

   戦争と米軍の軍事支配による土地強奪で目茶苦茶にされた沖縄の土地に実測平面図など描けるはずもなかった。それにしても、地籍が政府の手で明確化されることは当然ではあったが、この法律もまた、沖縄差別の役割を負っていた。それは同法の「附則 」にある次の条文である。

沖縄における公用地等の暫定使用に関する法律(昭和46年法律第132号)の一部を次のように改正する。
第2条第1項ただし書中「5年」を「10年」に改める。

   「5年を10年に改める」というこの一文がさらなる沖縄差別を押しつけることになったのである。

   「地籍明確化法」のなかで、米軍用地の一方的な使用を可能にした「公用地暫定使用法」の改正条項を付け足す、まさに「木に竹を接ぐ」例えであったが、この「地籍明確化法」が国会で紛糾している間に、沖縄のいくつかの米軍基地の法定使用期限が切れた。つまり、「公用地暫定使用法」の期限が切れたのである。1977年(昭52)5月15日午前0時のことである。

   当然のように該当軍用地は、「公用地暫定使用法」第4条に規定されたとおり返還されるべきであったが、国は、自ら無法状態を作り出し、米軍用地の不法占拠の道を選んだ。そして、4日間が経過した。結局、多数を占める与党(自民党・民社党など)に押し切られてこの法律は成立し、たった一文の条文の重さと軽さが錯綜する中、政府は、米軍へ提供する軍用地の5カ年の法的根拠を得たのである。

   このようにして、沖縄の米軍基地は、新法、法改正の繰り返しによって、国家権力の思惑のままにされてきた。米軍の直接軍事支配の頃は力と力の対決で、時には県民の団結した力によって米軍が譲歩することもあった。しかし、「安保体制」のもとの国家権力の法体系のなかでは、まさに、差別的な沖縄への米軍基地の押しつけが続いている。

   問題は、しかし、沖縄だけにはとどまらなかった。沖縄の米軍基地の使用のために改正を繰り返した「米軍用地特措法」(昭27)は、あらたな息吹をもって、今度は「有事法制」のなかでその悪法ぶりを発揮しようとしている。しかも、「米軍行動円滑化法」というあらたな法律となって、その米軍への基地提供は日本全体に拡大されようとしているのである。

[参考]「地籍明確化法」の目標と定義

(目的)

第一条 この法律は、沖繩県の区域内において位置境界不明地域が広範かつ大規模に存在し、関係所有者等の社会的経済的生活に著しい支障を及ぼしていることにかんがみ、その位置境界不明地域内の各筆の土地の位置境界の明確化のための措置等の緊急かつ計画的な実施を図り、もつて沖繩県の住民の生活の安定と向上に資することを目的とする。

(定義)

第二条 この法律において「位置境界不明地域」とは、
太平洋戦争による破壊 位置境界が明らかでない土地が広範に存在する地域
米軍による土地の形質変更
土地登記簿及び地図の滅失



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