沖縄戦と法制(証言から)  
 「証言が語る徴用」「証言が語る供出」「証言が語る法制

 法制は国民を守るのか、という素朴な疑問に残念ながらノーとしか答えられない。なぜなら、法制は本来国家権力を握った者が権力永続のために国民を規制・管理・統制するために作られるものである。

    近代国家の形態を整えた各国における歴史の証明するところによっても、国民を守る法制は国民が自らの闘いでしか制定されていない。ここでいう闘いとは、言論・出版・集会・結社の自由等国民の基本的人権に基づく発言・行動・運動を指している。無知や沈黙は権力の独走を許すことに繋がっていく。

 そもそも「国民を守る」という概念自体が、あらゆる権力との対立関係を示している。国民を誰から守るのか、その中枢的存在が国家権力であることは疑いのないところである。何のために規制・管理・統制するかは、その時々の国家・国際状況によって変遷していくものとして捉えられる。

 したがって、法制はその文言によって政府の行為を規制する働きがある、とする解釈は「机上」の弁にすぎない。法制は現実の社会の中でその文言を機能する。それなくしては単なる紙切れでしかない。流動する現実の国家や国際関係の中で如何に機能させるかが権力の最大関心事となる。(国民の力関係によっては国民に有効に機能させることも可能だが…)。そのことは(如何に解釈するか)につながって、条文の機能は幾重にも可能となる。

 そして、いったんその法制による運用が進むと、その運用事態が一人歩きすることも否定できない。沖縄戦における法制は、そのことを如実に示している。法制の執行者が権力を持ち始めることによってその根拠が曖昧にされ、執行者の命令=法制という錯覚を生み出していった経緯が見えてくる。

 沖縄戦において、戦争動員から戦闘突入までの法制の執行が、いかに住民を悲劇的状況に追い込んでいったのかを検証してみたい。住民が法制に対してほとんど無知であったことは否定できない。無知が自らの悲劇に拍車をかけ、折り重なるように悲劇的結末に追い込まれていったとも言える。
    そのような中で、ごく少数の者がその知識と勇気をもって法制を楯に日本軍に対抗して、戦場の中で生き抜いていたことは興味深いことである。

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