「ひめゆり平和祈念資料館調査学習」(2学年)
※「ひめゆり平和祈念資料館」の調査学習のまとめとして書いたものです。

○M・R(男子)  
 僕は今まで、沖縄は戦争がひどかったところとは知っていましたけど、あまり戦争のことは考えていませんでした。だけど、この「ひめゆり平和祈念資料館」を見学して戦争のことについて考えさせられました。     

 ひめゆり学徒隊は、普通の女学生がやっていたと知ってびっくりしました。いろいろな人がやった大便などを片づけるのはいやだったろうなと思います。僕がもしいたらやりたくないな、と言っていたと思います。    

 あの陸軍病院の形を見た時、かなり小さいなと感じました。死んでしまった人達の写真を見てびっくりしました。あのころは、ますいが無いということを知った時、想像してみたらおそろしいなと感じました。      

 平和祈念資料館の入口にあった「千羽鶴」を見たら、いろいろな人たちが平和を願っているんだなとしみじみと感じました。戦没者の中には一般の人が多いと知り、戦争が起こったのは本土のせいなのに、沖縄の一般の人が犠牲になるなんて矛盾しているなと思います。

 僕は今まで、戦争のことといったらやってはいけないということや、怖いということでしか考えていませんでした。だけど、平和祈念資料館に行って、もう一度考えてみると、戦争をやっても犠牲が出るだけで、いいことは無いことや、平和がどれほどいいかということに気づきました。次の世界を作っていくのは自分たちだから、戦争のない世の中を作りたいと思います。            
                     
○K・T(男子)
 僕たち2年生は、6月16日の火曜日にひめゆり平和祈念資料館に、平和学習のため見学に行きました。資料館の中は、戦争で死んだ人達の写真がありました。僕は、戦争で死んでしまった人が、とてもむごいと思いました。それは、もし、戦争が終わるまで生きていたら、幸せだったろうにと思うからです。   

    また、資料館の中には、作文らしい本がありました。その本を読むと、僕は、戦争がどんなに残酷で、悲しいことなのかが分かりました。本の中には自分だけ生き残って一人ぼっちになった話や、人間の死体がうじ虫に食られる話がありました。この話は自分の体もうじ虫に食べられるみたいでとても変な気持ちでした。   

    次に見た物は、道具でした。いろんな道具がありました。その中で、電池が目に入りました。僕は、『はだしのゲン』や『水筒』を読んだことがありました。でも、電池らしき物体は出てきませんでした。僕は「本当に電池を使っていたのかなぁ。」と不思議に思いました。 最後に、戦争中にみんなが隠れる防空壕を見ました。その中は、とても広いと思いました。僕は「一度は入ってみたいなあぁ。」なんて思っていました。でも、ここで自爆する人がいると思うとゾッとしました。                  

    「戦争はやっちゃいけないことなんだ」と僕はひめゆり平和祈念資料館を出た時、そう思いました。                                                            
O・H(男子)
 6月16日、僕たちは、平和祈念資料館に戦争のこと、ひめゆり学徒隊のことを調べに行きました。                 

    まず、最初に思ったことは、前に行った時にも思ったことだけど、これはひどいと思い自分があの時代に生きていたらきっと何も出来ずに泣きだしていたと思うし、今想像しても背筋がゾーとします。            

    いったいあの時代を生きていた人々がどうやって生きのび、どうやって生活していたのか、興味がそそられました。そして、いろいろ見ているうちにぼくが探していた、どうやって生きのびたか、どうやって生活していたか、を教えてくれるものに出合いました。  

    人々は、夜など敵にみつからない時などに別の土地に移動し、生活は、防空壕に入って飢えに苦しみながらもじっとがまんして、米兵が立ち去るのを待っていたそうです。  
そして、僕は、米軍よりも日本軍がひどいじゃないかと思いました。日本軍は、日本の人々や沖縄の人々を守るためにあるのに、自分たちが死にそうだからと、うるさいあかんぼうを殺したり、防空壕から追い出したりするのはまちがっていることです。

 日本は、戦争に負けて良かったと思う。それは、そうしないと人々は、今のように戦争のむごさも知らないで、天皇のためなら自分の命を捨てるとか、そういうことがまだ続いていたと思う。

 だから、あの戦争のむごさを残しているあの建物や平和祈念公園などは、ずっと残していったほうがいいと思う。        
                    
○K・M(女子)             
 昨日、私たちが見学しに行った平和祈念資料館は、胸がしめつけられるような戦争の遺品がたくさんありました。手紙やヘルメットやシャベルやスコップ、水筒など本当にさまざまな品が収められいました。      

 この残酷な戦争のために若い尊い命がいくつもいくつも、簡単にうばわれていったのです。私たちがこんなことに合わないように、また、こんな残酷な戦争を二度とくりかえさないためにも、私たちのように激戦だった地域に生まれて、身近にこんな戦争のことを学べる場所があること、それを見て学ぶことができるということが、私たちに戦争をせずに世界中が平和であることをかんがえさせられるところがあることを、それを利用してみんなが世界中の戦いに対して、やってはいけないという意識を持てる場所が、私たちの身近に本当にたくさんあります。それを私たちがどれだけ戦争について理解しているかによって、戦争に対する見方が変わると思います。私たちがそれを深く理解し平和について、本当に考えるようになれば世界は本当に平和な社会を築けるようになると思います。その心を大切にみんなが平和を願うような人々になってほしいです。                           
○N・A(女子)              
    沖縄戦をあまり知らない私は、「学習のしおり」を読んで戦争について学びました。
 沖縄戦では、たくさんの人達が死んだ事は知っていたけど、死んだ人数が20万人余りどいうことを知って、とても驚きました。しかもそのうちの12万人あまりが戦争と何の関係もない人達なのでかわいそうだなと思いました。

 私は、「しおり」を読む前までは男子は兵隊になるから大変だったんだなと思っていました。でも、「しおり」を読むと、女子はけがをした兵隊たちのめんどうを見る看護隊をやらされて大変だったということも知りました。

 それに、自分達の住んでいる三和地区に壕が約50余りもあることを知って驚きました。壕には水のある壕とない壕があったそうです。水のなかった壕の人達は、命をかけて水汲みに行き、食べ物は米軍の攻撃の合間をぬって捜しにいっていたそうです。

 「しおり」を読んで一番驚いたのは、日本兵のことでした。日本兵は戦争に負けてくると、壕を奪って住民を追い出したり、住民から食料や水も奪ったそうです。そして、住民を楯にして自分の身を守ろうとし、泣く子を殺したり、スパイよばわりで住民を殺したりしていたことを知って、とてもひどい事をするなぁと思いました。でも、中には住民を助ける兵隊もいたそうです。

 私は「学習のしおり」を読んで、戦争の恐ろしさを知りました。戦争は人が人でなくなり、互いに殺し合いをさせるとても恐ろしいものです。でも、現在、世界中のあちこちで戦争がおきています。戦争は損をするけど得する事はなにもないと思います。だから、世界中の戦争をなくして二度とおこらないようにし、世界中のの人達と仲良くできればいいなぁと思います。            
                    
O・M(女子))
 私たちは、6月16日に沖縄戦について学ぶために、ひめゆり平和祈念資料館に行きました。                  

 資料館には,戦争とは何も関係のないのにむりやり看護婦として、戦場に放り出され戦争の犠牲となった人々の顔写真がかべにずらりとならんでいる部屋がありました。私は、その部屋の中にある写真の多さにびっくりしました。でも、実際にはこの沖縄戦で奪われた命の数は、きっと数えきれないくらいだと思いました。

 私たちと同じ歳くらいの女の子や男の子がそんな恐ろしい所で生きていかなけれはならないのかと考えたり、まだやりたいこともたくさんあったんだろうと考えると、戦争はとても残酷な事で、関係のない幼い尊い命を奪うだけで何も残らない。残ったものは、尊い命を奪う戦争を二度と始めてはいけないと、いう人々の思いや決意だと思います。

 私は資料館で、自分の命を奪うだけでなく多くの尊い命を奪う戦争を二度としてはいけないと、考えさせられました。
                    
○K・N(女子)
 6月16日、私は平和学習に行けなかったので、「学習のしおり」というのを読んで書くことしました。             

 読んでいくと、いろんなことが具体的によく分かりました。また、今まで分からなかったことも、この「学習のしおり」から学びました。                 

 例えば、私と同じくらいの歳の子が、むりやり看護婦にされ、戦場にかりだされるという、残酷なことを教えられました。     

 私は、戦争の恐ろしさを1,2度くらいはおばあちゃんから聞いたことがあります。だけど私は、おばあちゃんの話からは、こわさを感じられず、今の時代にそれが起こっていないから、どうでもいいじゃないか、というふうにハンパな気持でしか考えたことがありません。だけど、今日この本を見て、考えが変わりました。前に先生が「戦争をおこさないのはあんたたちなんだから!」と言われ、私は今になってその通りだと思いました。そして、これからは、考えを変えて、世の中をまじめに考えてみようと思います。                               
○K・M(女子)
 6月16日火曜日、私たち三和中学校の2年生一同は、ひめゆり祈念資料館に平和学習で訪れました。ここには何度かあるけれど、記憶にはあまり残っていませんでした。   

    入る時まず目に入ったのが、戦没者の数の千羽鶴でした。20万人くらいと聞いても、その数は頭の中に浮かばないので、そこまでみんな驚かないと思います。しかし、この目で見た千羽鶴は、百羽ぐらいの列が何列も何列もあるのでした。これを見て、初めて20万人という人々の重みが分かり、沖縄戦についてもっとくわしく知りたいという意欲を持ちました。

 資料館の中に進んでいくと、ひめゆり学徒隊の戦死してしまった人の顔写真や医療器具や防空壕の模型などがありました。     

 中でも、私が目をひかれたのは、生存者が戦争中の様子を書いた文章でした。食べ物のこと、兵隊のこと友達のことなど、いまでは考えられない事ばかり書かれていました。  資料館を出てみると、雨が降っていたので平和集会は延期になり、みんなで折った千羽鶴をかけて帰りました。

 そして次の日、平和集会を終えて、今回の平和学習について私は考えました。いままで戦争については知っているつもりでいたけれど、私の知らないことの方がたくさんありました。沖縄の、この激戦地にいるかぎり、もっと沖縄戦を見つめて平和についてもっと考えるべきだと思いました。

○(男子)    
 僕はこの平和学習で見学に行った資料館で感じた事、それは「おそろしい」という事です。写真やビデオなどをみて人の死体や動物の死体などが散らばっていました。ぼくはそれを見ておそろしいと思ったのです。今自分が立っているところでも、この様なことが起こっていたのかと思うと、これまで以上におそろしくなってきました。     

 僕は、この資料館を見学して、だれもがきっと「今の時代に生まれてきてよかった」と思ったと思いました。僕もそう思いました。 

 戦争時代に生まれていたら、考えきれないほどのおそろしい目にあっていたと思いました。こういう資料館があったからこそ、今の僕たちに戦争のおそろしさが伝わってきているのだと思います。なにも伝わらないまま生きていたら、また戦争はおこっていたと思います。だから、今の僕たちは、戦争のおそろしさを伝えてくれる人々に感謝をしなければならないと思いました。この人たちがいてこそ、今の平和な世の中があるのだと思いました。

 今の沖縄は、米軍基地の話などでこんがらがっています。僕が思うには、この世の中平和であり続けるためには、このような戦闘機などはいらないと思います。だから、一番戦いがはげしかった沖縄を平和な島にしてほしいです。

 平和な世の中であるためには、僕らがこれから生まれてくる人、戦争をしらない子供たちに語りついでいくべきだと思います。これからも平和な世の中であってほしいです。
                    
○(女子)                                   
 私は、ひめゆりの塔の資料館を見て、「こんなにたくさんの人達の生命を奪う戦争を二度としてはならない」と思いました。またこれから楽しい人生を送るはずだった、たくさんの人達、何かやりたいことがあったはずなのに、とてもかわいそうです。      

 私は、戦争の時代に生まれなくて、本当に良かったという気持ちと同時に、その時代に生まれた人達が本当にかわいそうです。自分達の人生をめちゃめちゃにされて、どんな思いだったのでしょうか。戦争を知らない私には見当もつきません。でもきっと、悔しかったことでしょう。             

 私は、資料館で、戦場の様子を表した模型を見ました。それは、戦争がどれほどおそろしかったかを、私に教えてくれました。地面には、数えきれないほどたくさんの死体が転がっていて、地上は荒れ果て、緑はすべて消え失せて、枯れ木が残っているだけでした。それを見ただけでこんなに恐ろしいのに、実際そこにいてこれ以上に恐ろしい現場を見た人達は、どうだったでしょうか。

 私は、このような恐ろしい戦争を、二度としてはならないと誓いました。この、平和資料館は、戦争を知らない私たちにとって、その恐ろしさを知り、そして過ちを改めるための大切な場所だと思います。また、戦争の犠牲になった人達が少しでも慰められたらという思いも、この資料館にはあるのではないかと、私は思います。

 今、沖縄には米軍基地がありますが、戦後50年以上たった今、これまで我慢してきた人達のためにも、基地はなくすべきだと私は思います。そして、未来の沖縄が世界一平和になるようにしたいです。        

○(女子)                     
 私は、平和学習を終えて、戦争について改めて考えさせられました。そして、それと共、戦争への怒りが前よりふくれ上がりました。                   

 資料館の中には、いろいろな模型や薬品ながありました。私は、見歩いている内に恐ろしくなり、いろんな事が頭の中をめぐりました。                  

 まず、怒りや憎しみと共に、戦争は人の人生をいとも簡単に狂わせるものだと思いました。まだ、15、6歳の若い人々の生命を絶ちきったのです。許せません、戦争と戦争を始めた人達を。                

    自分の人生をそれもあかの他人にめちゃくちゃにさせられる権利はないと思います。戦争をするのは、権力や領土拡大のため?では若く尊い命より大切なの?命よりもあくまでも自分の権力や領土の方が大切なんですか?と戦争を始めた人達に聞きたいくらいです。
 今でも戦争を続けている所で、もし勝ったとしたら、権力や領土は拡大できて、上の偉い人々は嬉しいかもしれないけど、下の国民達は、家族や友達を失い悲しみが残るだけなら、やめた方がいいいと思います。その国のことを何も知らない私が言うのも変かもしれないけど、本当にそう思います。     

  当時、戦争を決めるのは上の偉い人で、下の国民の話を聞かずに戦争反対と言えば殺させるなどの、今でもある弱肉強食のような世界に腹が立ってなりません。私は、この平和な世の中がずっと続くといいなぁと思います。また、一人一人の小さな平和への願いが大きな願いとなって、戦争がこの世からなくなる日が来るといいなぁと思います。今を生きる私たちは、平和過ぎて、当時の悲惨な戦争をあまりわからないし、考えたりする機会が少ないけど、とりあえず平和な世の中の今を生き、大切にしたいです。

○(女子)             
 平和学習で、ひめゆり平和祈念資料館に行きました。私が、いろいろな資料を見て思ったことは、戦争はこの世界にあるべきものではないということです。         

 資料館にあるものは、全て戦争というものの恐ろしさを訴えるものばかりでした。当時のビデオは、人が人でないように、ボロボロと死んでいったりで、見ていると、とてもとても恐くて体が固まってしまいました。また死んでいった人たちの遺品や、当時使っていた注射器などは、見ているこっちまで戦争の恐ろしさを知るようでした。       

 しかし、その中でも私が一番印象に残っているのがひめゆり学徒隊にいて、死んでいった少女たちの写真です。この人たちは、まだ15歳から17歳あたりの少女たちです。今の時代なら、15歳から17歳といえばとても楽しい時期のはずです。なのに、戦争というもののせいで、この少女たちは、夢をあきらめてお国のためと、家族と別れたりしながら、生と死の世界を見て生きているのです。

 今ならそんなことは絶対ありません。私は一人一人、全ての人の写真を見たわけではないけれど、みんな、私たちのように生きていたはずです。どうして、彼女たちが死ななきゃいけなかったのだろうと、私は写真を見ながら思いました。

 戦争がなければ、この若い少女たちが死ぬ事はなかっただろうと思うと、戦争が憎くてしょうがありませんでした。

 私は、戦争にあったこともないし、今は平和で戦争なんて、外国でやっているってことでしかないけど、やっぱり戦争が嫌いです。戦争をすれば、たくさんの人が死んで、たくさんの人が悲しみます。そんな戦争をどうして起こすのか、私は理解できません。

 国土を広げるためとか、指導者になるためとかいってるけど、そんなものは、人間の命の尊さに比べたら無に等しいはずです。

 この世界には戦争がまだあります。私は一刻もはやく戦争がなくなればいいなぁと思いました。

○(男子)
 僕は、戦争のことを聞いたりすると、どうして同じ人間同士で殺し合わなくてはいけないんだ、といつも思っています。

 久しぶりに、平和資料館へ平和学習で行って、もう一度考えてみたけれど、分かったことは、戦争は殺し合い、人を人とも思わない残酷な無差別な戦いということだけです。

 いろいろな資料を見て、沖縄住民の死者が多いのはなぜだろうと、思いました。それは、沖縄が戦場だからというわけじゃなく、日本の兵隊が泣き叫ぶ赤ん坊を虐殺したり、アメリカ兵においつめられて自決した人たちが多かかったからではないかと思います。

 また、資料館でさらにわかったことは、ケガを負って戦いに参加できない兵を置き去り
にしたり、毒を食料に混ぜて毒殺して、戦いで邪魔な兵を次々に日本兵が日本兵を殺していたことです。              

 なぜこんなにまで狂ったような戦いをしていたんだろうと思います。戦争で負ければ負け犬、勝てば英雄だけど、勝った方も負けた方も心の敗北者だと思います。      

 戦争が終わって長い月日がたって、戦争のことなど考えることのないような平和が訪れようとも、戦った人たちの心の傷をいやすのは、とても難しいと思います。誰もが、戦争をなくして、ずっと平和の中でいきていきたいと願っている、と思います。でもそれは人間の心の欲望、憎しみがある限り、戦争が永遠になくなるというのは難しいと思います。

 だけど、平和を願う人たちが、他の人たちに戦争の恐ろしさを教えたり、その他にも、戦争をなくして平和な世の中にするためにいろいろなとをすれば、長い間かかるかもしれないけど、戦争をなくすことができるではないかと思います。            

 これからは、僕も平和な世の中にするために努力していきたいです。                             
○(男子)
    平和学習の日、僕はどうせ行ってもなんにもならないと思っていた。だけど、実際に行ってみると、いろいろ知らされたことがとてもたくさんあったような気がした。    

 特に、戦争がすごいとわかるところがあった。それは、戦争が終わった後に残された帽子やその他の道具でした。焼けこげたようなあとや銃の流れダマにあたったのかあっちこっちに穴があってでこぼこになっていた。  

 僕はそれを見て、とても戦争というのはおそろしくてこわい事だということをだんだんわかってきた気がしていた。それにもっと残酷だと思ったことは、武器もなにももっていない人まで殺したりするなんて、とても今の時代では考えられないくらいおそろしい時代だと、その時はっきりと思った。      

 それ以外にもとてもむごい死に方などがあった。集団自決や自分でカマなどで首を切り落としたりしたそうだ。その理由は、アメリカ兵に殺されるよりも自分たちで死んだほうがましというふうなことだとか。

 こういうふうに、とてもおそろしい戦争は絶対におこしてはいけないと思う。そのことを知ってほしいために、こういう所があると思った。

 もうこういう戦争は絶対に、何があってもおこしてはいけないと思う。僕はこの時代に生まれてとても良かったと思う。
                    
○(男子)                    
 僕たち2年生は6月16日に、平和授業として伊原にあるひめゆりの塔を見学してきました。そして、そこを見学しての感想はまず、戦争でなくなった人たちの中で軍人の人や軍属の人たちより、一般住民のふつうの人たちのほうが、なくなった人の人数が多いということです。

 そして、次に驚いたことは、日本が世界を相手に戦争をしている、当時の人たちの死に対する考えかたです。それは、どういうものかというと、「敵に殺されるくらいなら自分で死んだほうがいい」といって自殺したり、「みんな戦って死んだんだから自分も死ぬまで戦う」といって、勝てるはずもないのに竹ヤリをもって戦車に勝負をいどんでいったりする考えかたです。

 僕はこのことから、戦争というものはまず弱い者から殺されていくということ、そして戦争というものは、人を人でなくすということを改めて実感することができました。そして、もう二度とこんなくだらないことを起こしてはいけないと、思いました。

 そのために、僕はまず、地球のすべての人々が相手を尊敬し、大切に思う心をもつことが一番大切だと思います。そうすれば、戦争だけじゃなくて、けんかとかいじめとかそういうものは、絶対に起こらないと思います。

 だから、僕は今まではついつい自分のことばかり考えてしまうことがあったけれど、もうそういうものをなくして、いつも相手を大切に思う心を忘れないようにしていきたいです。
                     
○(女子)
 私は資料館を見学してきて、戦争について考えさせられました。
 まず、資料館へ入って一番思ったことは、15歳から18歳ぐらいのひめゆり学徒隊の人たちが戦死していることでした。それから資料館の中には、医療品や防空壕の内部が再現されたもの、生き残った学徒隊の体験談など、戦争の恐ろしさを伝えるものが数々ありました。

 私は、それぞれを見てぞっとしました。特に体験談が自分にとっては一番伝わってきました。友達が亡くなったり、病院内での様子とか、今も思い出すとぞっとするものばかりでした。

 そして、資料館を見学して、私には最後までどうしても分からないことがありました。それは、ひめゆり学徒隊、それに他の学徒隊の方達は、学徒隊に入隊すると聞いてうれしかったのか、それとも嫌だったのかです。

 学校でもらった資料の中を読んでみると、「男子が国のために兵隊に入隊して、戦死してしまった人々は神社に祭られるのがうらやましかった」と書いてあったからです。それで、本当に入隊のことを聞かされうれしかたのか嫌だったのかが分かりませんでした。

 ただし、入隊後は、多分嫌だったと思った人が多かったと思います。私だって戦争にまきこまれるのは嫌だからです。それは、家族や友達と離れるのは嫌だからです。生き残った方も亡くなってしまった方も、それは絶対に嫌だったと思います。

 終戦から50年経った今でも、戦争を体験した人々の痛みや悲しみは、絶対に消えることはないと私は思います。それから、その痛みや悲しみは、今の私たち、現在の人たちに本当の気持ちは分からないと思います。   

 私は今、ぜいたくな暮らしをしていますがそれは世界が平和な証拠です。しかし、それはほんの小さな証拠にすぎないと思います。 
その理由は、まだこの世界のどこかで戦争があり、苦しんでいる人々がいるからです。だから、この戦争もなくなり、また、二度と戦争が起きず、世界の人々が平和になるといいなぁと、私は思いました。         

○(女子)
 私たちは、便利な世界でとても幸せに暮らしています。私は、そんなのあたりまえだと思っていました。しかし、「ひめゆり資料館」を見学して、今の幸せな暮らしが、どんなに大切なのか知りました。               

  戦争中は、毎日毎日爆弾やアメリカ軍に見つからぬように逃げて暮らしていかなければなりません。学校の授業では、包帯の巻き方などを習います。食べ物を捜すのが、一番大変だったと思います。お米は全然なかったと思うし、おなかいっぱい食べることはなかったと思います。              

 今の私だったら、こんな生活絶対考えられません。きっと戦争中の暮らしは、私の考えていることの何十倍も大変だっただろうと思います。              

 ひめゆり資料館にはってある顔写真を見てかわいそうだなぁと思いました。この資料館に来たことは何回もあります。来るたんびにそう思います。全員今の高校生くらいの歳でした。この人たちは、それぞれ将来の夢ややりたいことが、まだたくさん残っていたと思います。

 この資料館は、戦争で生き残った数人の人たちが、「もう二度と、戦争をしてはならない」という気持ちで建てたものです。だから私たちも、その人たちの努力をうけついでいかなければいけないと思います。
 私は、本当に資料館を見学してよかったなぁと思います。それは、こんなにたくさんのことを学ぶことができたからです。この資料館を、もっと多くの人に見てもらいたいと思います。そしたら、きっと建てた人たちの願いが伝わってくると思います。これが伝わったらわかるはずです。どんなに戦争がこわいかということを。

 戦争の少し前は、小学校や中学校などで、アメリカ人は危ないと教えられ、そういう教育を受けた人々が、アメリカ人に殺されるよりはと自殺したそうです。私は、この教育はすこし変だ思ったけど、戦争があるために仕方のないことなのかもしれない、と思いました。                   
 私は、戦争のない時代に産まれてきたのだから、これからもずっとないようにしたいです。23日には黙とうをして亡くなった人たちに対して、心から祈りたいと思います。                      
○(女子)
私たち2年生は、ひめゆりの塔に行きました。そこで、戦争について見て学びました。ひめゆり資料館では、戦争で使った洋服、薬のビン、白黒写真、戦争を体験した人の本一人ひとりの写真などがありました。私が忘れられないのは、人の死がチリのように積まれてあった白黒写真です。白黒写真なのに、赤い血を流して         
「助けてくれー。」             
と、叫んで私を見ているようでした。私の住んでいる所が、50年前は、真っ赤な血の海になったと思うと、とてもこわいです。                   

 沖縄に夏が来ると、戦争や平和について考えます。私たちは、戦争の本当の恐さが分かりません。そして、本当の恐さを知っているのは、戦争を体験した人だけだと思います。だけど、私たちは、二度と戦争は起こしてほしくない、起こしてはダメだと思います。  戦争で亡くなった人たちがとてもかわいそうです。これから、大きくなろうとしている赤ちゃんはとてもかわいそうです。

 私のおじいさんも戦争で亡くなったそうです。戦争は、何の武器を持たない人までもうばう悪魔のようです。

 どうして戦争をやるのかはわかりません。ただ苦しむだけなのに。私には信じられませんでした。いろいろな国では、二発ぐらいで世界中が滅びる核兵器がいっぱいあるそうです。これからは、私たちが戦争や平和について言う番です。ぜったいに戦争はない方がいいです。

○(女子)
 小学校の時から、平和学習をやっていました。だから、戦争がおそろしいことは、わかっていました。でも、ひめゆりの塔に行くと小学校の時とは違う恐ろしさがあるんです。

 戦争中に、何を食べていたのか、いつも疑問に思っていました。それで、よく資料を見て調べてみたら、とてもびっくりしました。なんとカエルとかを食べていたのです。

 私は、米を食べていたと思っていました。でも、私の思っていたのとは反対で米なんてぜんぜんなかったそうです。もし、私が戦争中にいたら、と思うと本当におそろしいです。 私は、このひめゆりの塔に、いろんな人が日本の人々が、世界の人々が来ればいいのになぁと思いました。こんなおそろしい戦争があったことを、私たちは忘れていけないのです。もう二度と、おそろしい戦争をやらないために、今私たちがいると思います。

    今、私たちにできることはなんですか。世界中の人々と仲良くすること。そんなことできるわけがないと思います。では、どうすればいいと思いますか。私の考えなんだけど、私は、世界中の人々が戦争の恐ろしさを知ったら、戦争なんて起こらないと思います。では、その戦争のおそろしさをだれが世界中の人々に教えるのですか。それは、21世紀をになう私たちの役目だと思います。
 明るい21世紀になるには、私たちががんばらなければいけないのです。      

○(男子) 
 6月16日、僕たちは平和学習のため、ひめゆり資料館に行って、当時の人々の生活の様子などを見学してきました。      

 まず僕が驚いたことは、アメリカ軍が沖縄に上陸するため船から爆弾を約十万千個も撃って上陸したことです。また、当時爆弾などで手足がきずつき切断する時は、ますいもなく、切るために使った道具がのこぎりとかと思うと、とても痛かっただろうなあと思いました。
それから、梅雨時で、じめじめしたゴウの中で、きずついた兵たちと生活をして、とても気持ち悪かったと思いました。人々の逃げ道がなくなり、アメリカ軍に追いつめられ、アメリカ軍が「出てこい」といっても出てこなかったら、アメリカ軍は壕の中に爆弾を投げたり、何人かで中の人々をねらいうちなどをして、アメリカ軍はとても残酷なことを沖縄の人々や兵隊たちにやってきたんだなぁと思いました。        

 しかし、残酷なのは、アメリカ兵たちだけではありませんでした。日本兵は、自分たちが隠れるために、前から避難していた人たちを追い出して自分たちが隠れたり、赤ん坊に青酸カリを飲ましたりなどして、日本兵も同じ日本人にとても残酷なことをしていたんだなあと思いました。        

 このことから、僕は、人間が人間でなくなるような人間同士の殺し合いをし、何の関係のない人を殺して、どうして戦争なんかやったのかと思いました。          
 また、ひめゆり学徒隊の人たちは、まだまだこれからの人生だというのに、無理やり兵
隊に入れられて、とてもかわいそうに思えました。

 僕は、なぜこのような無意味な戦争を始めたのだろうかと、今でも思っています。
                   
○(男子)
    僕は、ひめゆり祈念資料館を訪れて、あらためて戦争のおそろしさを知ることができました。

    この資料館には、戦争中の人々の貧しくつらい生活の様子を表す、大切な資料が展示されていました。その中でも、僕が最も興味深かったものは、大きな壕です。その壕を見ながら、そこに住んでいた人々を想像すると恐ろしくなりました。もし、僕がそういう生活をしなければならなくなったとしたら、とてもじゃないけれど、耐えられないと思いました。

 次にひめゆり学徒隊や師範学校について調べてみると、信じられないようなことがこの時代に起こっていたことが分かりました。戦争で傷つけられた兵士の傷あとについているうじ虫をとったり、はきけのするような兵士の大けがの治療などを、まだ20歳にもならない女の人が、そういうことをしていたことを知って、驚きました。

 その時の彼女たちの気持ちは、僕たちにはとうてい分からないだろうと思います。なぜなら、僕たちはそういう体験をしたことがないからです。そして、これから先も、ずっと体験することはないと思います。なぜなら、今でもみんなが、戦争を起こしてはいけないという考えをもっているからです。

 人間一人一人が戦争をしてはいけないと思っていれば、この世界から戦争はなくなるはずなのに、まだ、いろんな国で、戦争をしていたり、しようとしている国があると聞くと自分には関係ないとは思えなくなって、なぜ 戦争をしているのかなあ、話し合いでは解決しないのかなぁと思います。戦争をしている人々は、どのような気持ちで戦争をしているのか不思議です。

 僕は、この資料館を見学してみて、戦争の恐ろしさと、二度と戦争を起こしてはいけな いということがよくわかりました。
                    
○(男子)                    
 僕たち、2年生はひめゆり資料館に行きました。ひめゆり資料館には、ひめゆり学徒隊の写真、南風原陸軍病院周囲の模型、戦争の時に使った物、戦争の時の服装、壕のあった場所など、いろいろな物がありましたが、ぼくは一番戦争の時のビデオが印象に残りました。

 那覇の飛行場はひどく焼かれていたり、壕にアメリカ軍が爆弾を投げ込んだり、ガスを投げたところは、残酷なんだと思いました。でも、戦争で一番ひどいのはアメリカ軍の兵隊ではなくて、本当は日本の兵隊だと思います。

 日本の兵隊は住民から食べ物をうばい取ったり、壕から住民をおいだして自分たちだけで使ったり、国を守る日本の兵隊がこんな事をして、アメリカ軍の兵隊よりひどかったと思います。

 戦争は、人が小さな動物をいとも簡単に殺してしまうように、人が人をかんたんに殺し合って死ぬ、そんな戦争で沖縄は地上戦になり、アメリカ軍と日本軍と沖縄の住民を合わせて20万0657人のかけがえのない命が失われた。罪のない沖縄の住民までも、戦争に巻き込まれ若い人たち、特に高校生から大学生の人たちもたくさん死んでいきました。

   戦争の始まりは、中国を侵略したことから始まりました。同じ地球に住む仲間だのに、なぜこんなに憎しみあわないといけないのだろうか。同じ地球上に住むからこそ、いろいろな国々が助け合わないといけないと、ぼくは思います。

 これから戦争を起こさないためにも、世界の国々と仲良くして、核爆弾も捨て、全世界の人たちが平和で楽しく暮らせるように、戦争はもう二度と起こしたくないです。   

 今全世界が「命どぅ宝」を合言葉に平和な世の中がこれからもずっと続くまで、戦争の話は語りつがれていくと思います。だから、平和という日が永遠に続くことをいつまでも思っています。             
                    
○(女子)                    
 私は、小学校のころから、平和学習をやってきました。戦争のことを学習し終えると、いつも思うことは、「ひどいなあ。ざんこくだなあ。」ということです。

 戦争で多くの人たちが犠牲になり、残酷な殺されかたをしていたり、自分たちで自決したり、とても戦争はおそろしいです。

 戦争を体験していない私でも、戦争のことをほんの少し分かっただけで、こんなにおそろしく思えます。ひめゆり学徒隊の生徒は、私たちより2、3歳上の人たちなのに、戦争中、食料を取りにいったり、けがした人たちの世話をしたり、食事を作ったり、ケガした人の足や手を切ったものを片づけたりと、とてもよく働いていてすごいと思います。それが私だったら、戦争というだけで、自分を守るだけで、必死になり、ほかの人たちの世話をしたり、助けたりはできないと思います。                  

 戦争はとてもおそろしく、とてもみにくいものです。多くの人を犠牲にし、人間の人間らしさも失われ、何十年たった今でも、人々の心の中に大きな傷として残っています。

 そんなみにくい戦争を、この世にまた生まれないように、私は平和をこれから先も、何十年もずっとずっと、願っていたいです。世界中の人々が、みんな平和を願っていれば、この世に戦争が生まれることはないと思います。
                
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