作品研究・詩(03年度)                 作品研究小説の部

1 「火の記憶─広島原爆忌にあたり」(木下夕爾)について
2 「ヒロシマというとき」(栗原貞子) 3 「木琴」(金井直)の個人的考察
4 木琴」(金井直)について 5 「呼びかけ」(峠三吉)について
6 安西均の「お辞儀するひと」について 7 「お辞儀するひと」(安西均)について
8 「わたしが一番きれいだったとき」(茨木のり子)
9 雪の夜」(田辺利宏)について 10 「水ヲ下サイ」(原民喜)
11 「日本原爆記録原爆詩集長崎編より 詩集原子野」(福田須磨子

※ ホームページ掲載のための若干の編集をしてあります。


1 「火の記憶─広島原爆忌にあたり」(木下夕爾)について
                                OT生(経済学科2年)
 この詩は、4連から成る口語自由詩である。
この詩には、戦争や原爆に対する恐怖や怒り、悲惨な情景などの表現は一切書かれていない。しかし、一つ一つの言葉の中にある意味を考えると、作者の戦争に対する思いと、平和に慣れてしまった現代を生きる我々への警告ともとれる内容であると私は解釈した。 その言葉一つ一つに対する私なりの解釈をまとめてみたいと思う。

連ごとの読み
[第一連](一〜五行目)
この連では、戦時中における作者の平和に対する思いを表現していると思われる。
[第二連](六〜九行目)
この連では、被爆者や戦争を乗り越えて生き残った者の主張を表している。
[第三連](十〜十二行目)
[第四連](十三〜十六行目)

    この二つの連が最も作者が伝えたいことだと思われる。平和が当たり前になり、戦争の恐ろしさを忘れかけているせの中を見つめ、自分がどう在るべきかを考え、また、現代を生きる、戦争を体験していない私たちへの警告ともとれる。

    作品全体の読み
    ここでは、詩の一語一語を自分なりに読み取り、その意味を深めていきたい。

    蔓草がどんなにやさしい手をのばしても

    「蔓草」は弱々しいイメージがある。また、「やさしい手」からは、人を殺さない手、つまりこの二つの語句から、軍人ではなく、女性、子供、老人などの逃げ惑うことしか出来ない市民の思いを表現していると解釈できる。

    あの雲をつかまえることはできない
    遠いのだ
 あんなに手近にうかびながら

    広い空を自由に浮かび流れて行く雲は、平和、自由ととることができる。また、雲の白い色を想像するとき同時に空の真っ青な色もイメージできる。この「白」と「青」は、戦争のイメージである「赤」や「黒」とは全く逆の色だと言える。このことからも、作者が雲を平和と捉え、平和な世界が来ることを期待し手を伸ばしている様子が想像できる。

 また、「遠いのだ」⇔「手近に」という表現だが、雲を自由や平和として見てしまうと、はるか遠くに感じてしまうのに、現実的に雲は雲として見ると、今にも手が届きそうなほ
ど近くに感じてしまう、戦時中の理想と現実のギャップを表していると解釈した。

    とある木の梢の

    木の梢とは木の幹や枝の先のことであり、命の細々しさを表現し、また、原爆という一つの太い木の幹に対して多く存在する被爆者と読める。「終わりの蝉」という表現も、蝉=短い命つまりは被爆者と、とることが出来る。

    終わりの蝉がどんなに小さく鳴いていても
    すぐそれがわきかえるような激しさに変わる
 鳴きやめたものがいっせいに目をさますのだ

    「小さく鳴いていても」とは、被爆者が静かな声で原爆の体験を誇る様子が、「わきかえるような激しさに変わる」とは、体験を語ると次第に戦争に対する怒りや悲しみなどが沸いてくる様子が表現されている。「鳴きやめたものがいっせいに目をさます」とは原爆で亡くなった人達の無念さが今生きている被爆者の中で甦るのではないのだろうか。それは、原爆を体験し悲惨な情景を目の当たりにした被爆者だからこそ、原爆で亡くなった人々の無念さが心の中で甦るのだと思う。

    町の曲がり角で
 田舎みちの踏み切りで
 私は立ち止まって自分の影を踏む

    曲がり角とは、つまり境界線の事である。町の曲がり角は右に行くか、左に行くかで次に見る景色が大きく違ってくる。つまり、作者は世の中がこの曲がり道を正しい方向に曲がろうとしているのか、同じ過ちを繰り返そうとしていないか、立ち止まって考えているのである。それは「踏み切りで」「自分の影を踏む」からも伺える。踏み切りとは線路の向こう側との境界線であり、誰しも立ち止まる場所である、自分の影を踏む、とは、生きているからこそ出来ること、生きているからこそ、進むべき方向性について考えているのではないのだろうか。

    太陽がどんなに遠くへ去っても
    あの日石畳に刻みつげられた影が消えてしまっても
    私はなお強く 濃く 熱く
    今在るものの影を踏みしめる

    「太陽」とは原爆投下の日のことであり、その日がどんなに遠く過去のことになってもという思いが上の二行からは読み取れる。そして、「石畳に刻みつけられた影が消えてしまっても」とは、世の中が戦争の恐ろしさを忘れてしまっても、と読み取れ、「今在るものの影を踏みしめる」とは、平和な今を生きている私たちに対する、原爆を、戦争を忘れてはいけないという警告だと解釈した。

    また、この詩唯一の作者の感情が表に出ているといえる「私はなお強く 濃く 熱く」とは、原爆の炎の熱さよりも熱く、石畳に刻みつけられた影よりも濃く、この世の中に今、生きているという証を刻み、平和の尊さを表現していこうという感情が読みとれた。

    最後に
この詩はただ読むだけでは、ほとんど見逃してしまうような、どこにでもある風景や表現が多い。しかし、その一語一語に注目しで読むと、多くの意味が含まれている様に思える。
もちろん、それは読む人それぞれに解釈があるのだが、世に出された作品は全て独り歩きし、読む人それぞれが価値を見出していく。この作品は、戦争の悲惨な情景や、戦争への怒りなどを表現していないことから、多くの解釈が出てくるであろう作品と言えるのではないだろうか。

2 「ヒロシマというとき」(栗原貞子)
                   OA生(日本文化学科1年)

一連
<ヒロシマ>というとき/<ああ ヒロシマ>と/やさしくこたえてくれるだろうか

    これは、この詩全体にかかる部分だ。他国の人とヒロシマについて話すとき、彼らには日本人と共通の概念が通じ得るか、ということ。

二連
<ヒロシマ>といえば<パール・ハーバー>/<ヒロシマ>といえば<南京虐殺>/くヒロシマ>といえば、女や子供を/壕のなかにとじこめ/ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑/<ヒロシマ>といえば/血と炎のこだまが返って来るのだ/

    <ヒロシマ>と言った時の呼応として挙げられている出来事は、すべて日本が加害者となっている戦時中の事件である。ヒロシマというとき、やさしいこたえがかえって来ないのは、この加害の事実があるからなのだ。

    アメリカ人に問えば<真珠湾攻撃>が、中国人に聞えば<南京大虐殺>、フィリピン人では<マニラの火刑>が返事となって返ってくるだろう。彼らにとってヒロシマは血と炎、つまり残酷な日本の象徴でしかないのだ。

三連
<ヒロシマ>といえば/<ああ ヒロシマ>とやさしくは/返ってこない/アジアの国々の死者たちや無告の民が/いっせいに犯されたものの怒りを/噴き出すのだ/

    「無告の民」=自分の苦しみを誰にも訴えることのできない民衆、彼らは日本人によって人間としての歴史を奪われ、犯されたのだ。日本人が原爆によって強制的に「生」を終わらされたように、である。

<ヒロシマ>といえば/<ああ ヒロシマ>と/やさしく返ってくるためには/捨てたはずの武器を ほんとうに/捨てねばならない/異国の基地を撤去せねばならない/その日までヒロシマは/残酷と不信のにがい都市だ/私たちは潜在する放射能に/灼かれるバリアだ/

    「捨てたはずの武器」は日本国憲法第9条の戦争放棄をさしている。当時、平和憲法を掲げたはずの日本から、ベトナムへ向けてアメリカ軍機が出発していたのだ。また、「異国の……」は在日アメリカ軍基地をこの日本から無くさなければならないということである。「残酷と不信のにがい都市」は、被害者である他国の人々が向ける<ヒロシマ>への視線と、その先に立たされたヒロシマと私たち日本人の存在だ。これらの事から、「私たちは〜バリアだ」は日本人が加害者としての罪の意識に苛まれ続けるということだと読み取ることができる。

四連
<ヒロシマ>といえば/<ああ ヒロシマ>と/やさしくこたえが返ってくるためには/わたしたちは/わたしたちの汚れた手を/きよめねばならない

    真の平和の象徴としてヒロシマが受け入れられる為には、「汚れた手をきよめる」、つまり戦争加害側であった事実を直視し、その反省の上に立たなければならないのである。

    戦争について語るとき、私たちは被害者としての立場からその悲惨さを訴え、「世界に平和を」と願っている。だが詩にもあるように、「南京大虐殺」や「マニラの火刑」のような事件を起こしているにもかかわらず、その認識はきわめて低い。この状況を作り出している原因の一つとして、平和学習での取り組みの足りなさがあげられる。

     小学校から行われてきた平和学習はほとんどが被害者としての戦争を中心になされているからだ。平和を考えるとき、自国あるいは自分たちの住む地域で起こった出来事を知ることは必要だが、それと等しく、戦争の加害側でもあったという認識を持ち、その責任を負うことも求められているはずだ。

 日本人がより深い加害責任についての認識を持つように示唆しているのが、この「ヒロシマというとき」だろう。戦争の加害者としての意識が低い日本人のほとんどは、ヒロシマは戦争被害・平和の象徴として世界共通であると思い込みがちであるかもしれない。しかし、日本軍によって苦しめられた人たちやその子孫の中には、日本人を嫌い、憎んでいる人達は少なくない。

    日本人が戦争の残酷としてヒロシマ(被害者としての戦争)を語ろうとするとき、中国人は、またはフィリピン人、アメリカ人は、「では日本人が与えた被害についてはどう考えるのか」と反撃するだろう。私たちが求める「ああ、あの原爆の惨劇を経験したヒロシマですね。」というやさしい返事は、戦争で加害者でもあったことを自覚、反省し、本当にもう二度と戦争が起きないように、起こさないようにする姿勢なしには、まず聞くことはできないだろう、という思いがうかがえる。

    詩の最後に「汚れた手をきよめる」という表現は、「捨てたはずの武器をほんとうに捨てること」「異国の基地を撤去すること」とイコールで結ばれる。

 ここで、詩の第三連、後ろから3行目の「残酷と不信のにがい都市」という表現についてふれたいと思う。この詩はベトナム戦争のさなかの作品である。

 1965年の北ベトナム爆撃開始のころから、私達の中には日本がいまやベトナム戦争 における加害者の立場に立っているという自覚が生まれてくる。それは同時に、もう一 度私達を、戦争加害者であった戦前の日本国家及び日本国民の立場に連れ戻す。            (日高六郎「戦後思想を考える」より)

    詩中の「にがい」という表現は、戦後27年経った当時、再び日本の戦争加害性が新たに認識されてきた中で感じた罪悪感のようなものから出たものだったのではないだろうか。加害者の自覚を持ち、その反省の上に立って行動を起こすまで、汚れた手を清めるまで、ヒロシマは「残酷」の象徴として、戦後もなお他国から「不信」の視線を送られる、「にがい都市」なのだ。

 戦後58年が経った現在、果たして日本人の意識は大きく変わってきているのだろうか。この詩を読んで深く考えさせられることで、31年前とさほど変わっていないという感じは否めない。むしろ前にも増して、日本が戦争へ向かっていくような気がしてならないのである。そんな今だからこそ、もう一度過去を直視しなおし、無告の民の声に耳を傾けるべきなのである。

3 「木琴」(金井直)の個人的考察
                    YT生(国文学科4年)

(1) 作者について
 作者の金井直(本名直寿)は、昭和18年に東京育英実業学校を卒業した後就職し、この時から本格的に詩作を開始する。昭和20年に兵士として敗戦を迎えたという。戦時中の彼は肉親、恋人の高島ツネを失うなどの悲劇にあい死を直面することとなり、やがて、彼の作品の基盤ともなっていく。

    戦後は寺内万次郎にデッサンの指導を受け、昭和30年ごろから広告の仕事に関係して行き、昭和47年から平成元年まで創作の講師を務める。

(2) 作品の内容について
 今回取り扱った「木琴」は昭和56(1981)年に刊行され学校の教科書に取り扱われるようになる。この五連からなる口語自由詩は、戦時中、空襲で幼い妹を失った人物の描写を語り口調で描き出している。戦争の中でも木琴を使って明るく生きている妹の姿をやわらかく描き、その後に述べられた状態をさらに悲惨な気持ちを、「もう少しで戦争は終わっていたのに」な表現も含めて書き表している。死んだ妹の木琴の音が雨以外の日に聞こえるのは兄妹の絆の深さを感じることができる。

    戦争の悲惨さを激しく訴えるのではなく、静かに語りかける描法が特徴的な詩である。

(3) 作品の読みについて
 上記のようにこの詩は五連の口語自由詩からなり、一、五連はすでに亡くなっている妹に対する心情を語りかけるような書き方をし、二,三,四連は戦争時の状況を思い出しているかの様に描いている。

 一連は『妹よ今夜は雨が降っていておまえの木琴が聞けない』とこれが全文であるように短いが非常に印象を与え、五連でも同じことが書き出されて悲しみを出そうとしていると感じた。

    この雨が降って木琴の音が聞こえないという描写は書かれた時代からもう昔の事に成りつつあるためもう思い出しにくい事になってしまったのだと思ったのだが、授業で戦争文学では「雨が降る」という表現は爆弾が振ってくるというのをあらわすことが多いと聞いて、雨が妹の美しい思い出よりも悲惨な戦争の体験が強く描き出してしまうのだなあと感じた。

 二連は妹が木琴を使いながら生活を明るい不陰気をかもし出しながらいつか本当に平和になるといいなという感情が伺えた。暗い町に唯一の光を出しているのがこの木琴であるかの様な気がし、このタイトルになったのを納得した。

 三連では妹と木琴を戦争で焼かれた(失われた)という部分が短く簡単に書かれいて、これはかえって戦争の悲惨さを大きく描いていると思った。

 四連は妹の死から間もなくして街が明るくなったという書き方は、戦争が終わったがもう妹がいない悲惨さともう少し早く終わっていればいう作者の悔やみを感じることができた。

 五連は一連と同じ文が使われているが、その前に『私のほかには、誰も知らないけれど』
の文字が追加されている。これは作者の妹に対する思いの強さと、妹のことでいまだに立ち直れていない悲哀が感じられた。

(4) 作品の解釈
 この作品の全体を見て思った事は、戦争という物があまりにも悲惨であっけなく抗えない物だと思った。戦争が終ることを願って微笑ましく生きた妹が空襲で死んでしまい、それから暫くして戦争が終わるという口惜しさ、そんな情景がこの作品に感じたことだった。

 作者は戦争で肉親と恋人を亡くした事から戦争の悲惨さを感じたという事からこの作品は作者のその当時の思いを描いたのではないかと思った。木琴という平和の象徴をあっけなく奪われその悲しみをいまだに残したままなのだという印象をこの作品から得た。

(5) 感想
 時間がなくてあまり深く書けなかったが、読むごとにいろいろと考えさせる内容の作品だと自分は読んで思った。

4 「木琴」(金井直)について
                           OT生(国文学科4年)
 木琴は戦争文学の年譜としては、「妹」は救護班などのように戦地へ赴いて体験した戦争ではなく(「私」は兵士として行ったかどうかというのは詳細には記されていないが、その当時の若者が戦争に借り出されていないとは考えにくく、また金井直自身は兵士として戦争を体験していることからも、「私」は戦場での戦争体験であったと取るのが妥当のように思う)、日本国内で受けた空襲での戦争体験であるから、そのような日本国内における戦争被害をもたらした戦争、第二次世界大戦を扱った作品だといえる。しかしその内容は、ひとつの名称を持った戦争を表現しているというよりも様々な戦争に共通する戦争という過程、結果そのものを表現しているともとれるように思われる。

    実際に金井直自身には妹という家族構成は存在しないが作中には「妹」と表現されている。金井直自身はその戦争を経験しているのでその経験から執筆しており、この戦争において金井直の肉親、身内も亡くなっているのだが、大切な人物という意味で恋人の高嶋ツネがあるが、彼女は金井直に対して年上にあたるので、やはり直接、妹を示す人物には合致しない。いわゆる事実に基づいたフィクションという構図であろう。

    この「木琴」という詩は5連構成からなる口語自由詩で、それぞれ連の構成は1連、5連を現在。2連、3連、4連をその過去とした時間構造になっている。さらに詳しく分けると現在の構成部分では1連−今過ぎ去った現在。5連−限りなく今に近い現在。過去の構成部分では、2連−生前の妹の様子。3連−端的だが直接的な妹の死。4連−抽象化された戦後の様子。というふうに捉えられると考える。過去における解釈は直接的なものだが、現在の解釈についてはあとで説明したいと思う。

    「木琴」の作品内容は端的にいえば、戦争によって死んだ「妹」は夜空の星の中でいまでも木琴を鳴らしつづけているという内容を、「私」の語りかけの文体で語っているというもので、そこに「妹」の平和への求心や「私」の平和への発信が見て取れるわけだが、そこにおける「木琴」の必要性というのを考えてみたい。

    「木琴」の作品内容は詩という抽象的な内容からの解釈だが、全体の構造として妹を中心としたものである。そういった意味において、その題は「木琴」ではなく「妹」となりそうである。ここでは「木琴」と「妹」が同列、それ以上の同一視が必要となるが、本文の内容から、家でも学校でもつねに木琴と一緒にいる姿が見えること、また戦争によって焼かれたときも一緒であり、星の中でも共にある様子が見て取れる。「木琴」と「妹」は常に一緒、同一であるということはそれらの内容から理解できるが、同一だからといってやはり「木琴」を題に持って来るのは後付けの介錯のように思える。

    なぜ「木琴」かという話になると、内容と「木琴」のイメージの共通点を考えなくてはならないように思える。「木琴」のイメージというと和やかで優しく、素朴というようなものが伺われるが、こういったものは「妹」と同じ感情をもとに立っているように思える。そのほかにあまり豪華ではなく、親しみやすい庶民の風格を持っており、普通の一般市民を巻き込んだ戦争というイメージを持たせているところや、それでもやはり庶民にとって楽器は娯楽として豪華なものなので、ささやかな幸せが焼かれてなくなるなどの効果が得られるのだとも思われる。

    それにつながる考えとしては、「木琴」が親、または「私」の手作りであり、質の問題ではなく制作上簡単な構造であることから選ばれたとも取れる(ここでは純粋な正しい音階が求められているのではなく、多少狂っていても構わないと思われる。)。

    他の楽器は、特に管楽器に至って構造的な精密製やそれに比例する高価さからやはり当てはまるものは思い浮かばない。かといってカスタネットやそれらの単音の打楽器ではやはり音楽をひとつの道具で表現するのは難しく、「木琴」とはそういった意味でも妥当なものだと思われる。また音が反響するという効果に、この詩が多くの人の心に響き伝わって欲しいという思いもあるためだと考えられる。

    もうひとつとして、「妹」という直接的なものよりも「木琴」という表現の方が詩の題目としては韻律的にも構成的にも適しているとは感じられる。

    本文の解釈として、1連、5連に書かれている「今夜は雨が降っていて、お前の木琴がきけない」という内容は「今夜は」といっていることから毎夜妹の木琴を聞いていることを示していて、またそれは夜に限定されているように思われる。しかし厳密には星は夜よく見えるというだけあって、天体的には常に空の向こうに存在しており、昼に目視できることもある。ゆえに妹が現実に星の中で生きているといった事は、それを含めても「私」の妄想の中でのことでしかないが、「私」にとっての「妹」という存在が暗闇を照らす光であり、それは戦時中の家も、戦争が終わった現在においても同じであるということである。

    それはつまり、現在においても戦時中の暗闇的な存在、状態が「私」のなかで有り続けているということであり、それは直接なんであるという限定は存在しないが、戦後の日本の社会情勢や世界における戦争状態、紛争・内戦状況を嘆いた、今なお(難しいが現在も続いていると取って、「常に」と捉えてもいいのかもしれない)続く人間の浅ましいこの行為・行動が終わらないという現状に対して、「私」が求める光であると考えられる。また、8班の意見でもあった雨の「爆弾の雨」説を採用して、そこにおいても鳴り止まない「雨」に苦悩している「私」の姿が見える。

    前述した1連−今過ぎ去った現在、5連−限りなく今に近い現在の解釈をここでしたいと思うが、この永遠に続くとも知れぬ人間の愚考に対し、この作品の訴え自身も永遠のものとして対立し続けたいという作者の思いによるものであると考える。

    それは1連、5連とも同じ内容であり、5連に「私のほかに誰も知らないけれど」という言葉が付け加えられているがそれ以外は1連の反復である。この過ぎ去った現在が、限りなく今に近い現在に変わり、それがまた過ぎ去った現在へ、そして……と永遠に続いていく構図、これをめざした詩の構成とするための初めと終わりでの反復であると思うのである。

     また「私のほかに誰も知らないけれど」という言葉にも解釈を入れたい。これは「妹」が星の中で「木琴」を鳴らしていることを指しているが、その「誰も知らない」とあえて公言することで、逆にそのことを知って欲しい、分かって欲しい、考えて欲しいという思いを内包しているように思う。

    「木琴」というこの作品は、その題目である「木琴」と「妹」との同化によって詩的韻を作りつつ、そのイメージをその内容に反映させ、またその戦争の単一性を捨てた、それに対応する意味付け、また永続性を追及し、人間性を呼びかけ、抽象的な共感性を生み出す詩形であると捉えてきた。詩に関しては著者の伝えたい根本の思いや、発表後一人歩きするその内容の把握、解釈ともに見つけにくく、またそれはおのおの個人に委ねられてきたもので、それが日本人の感性や心を育ててきたのだと思われるが、その判断ともに無限であり、それゆえに難しいものである。

    今回かなり自己的な解釈に頼って論じてきたが、正解というものがないとして自分でできうる限り絞った解釈を試みてみた。他にもいろいろな視点が存在するが、戦争という内容を綴った、また詩という表現媒体において考察することはとても難しいことだと思った。またそれを書上げるエネルギーの深さにも触れることができたと感じている。

5 「呼びかけ」(峠三吉)について
                          KM生(日本文化学科1年)

(1) はじめに
 戦争文学の作品研究をするにあたり、『日本原爆詩集』(太平出版社)で詩の選出をしていて、強い印象を受けたのがこの峠三吉の「呼びかけ」であった。原爆詩「序」などで有名な峠三吉の作品にふれることで、彼の平和を願う強い思いを感じ取るとともに、作品の訴える力の大きさに注目したい。

(2) 作者峠三吉と作品の背景
 峠三吉は、広島の爆心地から3キロの地点で被爆し、辛うじて命を取り留めたという原爆体験者である。「彼が詩を書くきっかけは、昭和26年のある日、アメリカのトルーマン大統領が、朝鮮戦争において、再び原爆の使用を示唆する発言をしたことだった。」(インターネット「峠三吉の原爆詩をブッシュに送る」から引用)とある。被爆者として、再びあのおぞましい原爆の悲劇が起こるのを何もせずに見過ごすことはできなかったのだろう。

    彼は、世界の平和を願い、被爆者としての自分にできること「詩を書くこと」で反戦を訴え続けたのだ。

(3) 作品の読み
 参考資料に一切頼らずに自分の見解としてこの詩を読んだ。「呼びかけ」は作者、峠三吉が戦争反対の意志を主張する、世界中の人々に呼びかけていると考えられる。それは原爆被災者でもあり、戦争に悲しんだすべての人々であったりする。また、自分自身への励ましとも感じ取れた。つまり、「あなた」とは読み手を指すと同時に、自分自身を指し、戦争撲滅の意志を強く呼びかけているのではないだろうか。

@ 始めの段落は、原爆反対を共用するように呼びかけている。

    いまでもおそくはない あなたのほんとうの力をふるい起こすのはおそくはない

    →戦争反対を呼びかけるために何も行動できないまま、原爆投下が起こってしまった。できることがあったと気付くのは遅かったが、これから二度と同じ過ちを繰り返すことのないように自らの力で呼びかけることはおそくはない。

    あの日、網膜を灼く閃光につらぬかれた心の傷手から

    →広島原爆投下の8月6日、凄まじい原爆の閃光とともにすべてを失い、心と体に刻まれた深い苦しみと悲しみの傷跡から。

    したたりやまぬ涙をあなたがもつのなら

    →戦争の無意味さを知り、悲しみに暮れ、止めどなく流れる涙、または、原爆を防ぐことのできなかった後悔と怒りの涙

    いまもその裂目から、どくどくと戦争を呪う血膿をしたたらせる

    →負傷した体の傷跡からしたたる血膿。それは、まるで心の傷跡から溢れ出す戦争を呪う怨念を表しているようにどくどくと流れる。

    ひろしまの体臭をあなたがもつなら

    →広島の被爆者なら、または読み手が被爆者同様に戦争を憎む気持ちをもつのなら。

A 次の段落は原爆当時の情景。

    焔の迫ったおも屋の下から 両手を出してもがく妹を捨て

    →戦時中は生き延びるために、助けられない家族を見捨てるのも仕方がない状況。

    焦げた衣服の切れIましで恥部をおおうこともなく

    →たとえ裸の状態になっても、恥ずかしいという感情よりもひたすら生きることだけで精一杯の様子。

    赤むけの両腕をむねにたらし 火をふくんだ裸足でよろよろと

    →皮膚が焼けただれ、腕を下ろすどうしようもなく痛いので胸の前でたらしたままの状態。歩くこともままならないほど火脹れした裸足でよろよろと歩く様子。

    照り返す煉瓦の砂漠を旅に出た

    →帰る家も心安らぐ場所もなく、行く当てのないまま原爆で破壊された広島の町をただひたすらさまよい歩く様子。

    ほんとうのあなたが

    →原爆で何もかも失い、何ももたずただありのままの自分。

B 三段落目はこれからの課題。

    その異形の腕をたかくさしのべ おなじ多くの腕とともに

    →原爆によって変わり果てた自らの腕を、同じ被災者たちとともに掲げ、団結することを表す。

    また墜ちかかろうとする 呪いの大陽を支えるのは いまからでもおそくはない

    →再び行われようとしている原子爆弾(呪いの大陽)の投下を阻止しようとすることは「いまからでもおそくはない」

    戦争を厭いながらたたずむ すべての優しい人々の涙腺を 死の刻印をせおうあなたの背中で塞ぎ

    →戦争を嫌い、憎しみ、平和を願う全ての人々に再び悲しみの涙を流させまいという思い。死が間近に迫っている自分にできることをしようとする思い。

    おずおずとたれたその手を あなたの赤むけの両掌で しっかり握りあわせるのは さあ いまでもおそくはない

    →原爆の悲しみで肩を落としている状態で、負傷した自らの両掌を平和への願いを込め、しっかり握り合わせることは決して「今でもおそくはない」

(4) まとめ・感想
  この詩を読んで峠三吉の心の優しさ、勇気の大きさにふれた。戦争を憎むすべての人々の思いを共有させ、戦争に立ち向かうことが彼の強い「呼びかけ」だったのだろう。

    残酷な表現はありのままの戦争を物語っている。戦争を知るには、原民喜や峠三吉のような原爆被災者が訴える文学作品の重さを受け止め、戦争の無意味さ感じなくてはならない。彼らは、世界の平和を訴えるために被爆者である自分にできることは、文学を通して、戦争の残酷さを伝えることだいう強い使命感に駆られていたに違いない。

 今も尚、イラク戦争など世界の何処かの国では戦争が続いているが、私たちは何もできないまま変わらない日常を送っている。彼らがその事実を知ったなら嘆き悲しむことであろう。人々が平和を願う気持ちは昔も今も変わらない。戦争をなくすためにできることは何なのか。戦争文学はその根本を語っているのだと思う。

【参考文献】
・『日本原爆詩集』大原三八雄、木下順二、堀田善衛=編(太平出版社)
・インターネット『峠三吉の原爆詩をブッシュに』(htt://www.st.rim.or.jp/~success/genbakusi ye.html)

6 安西均の「お辞儀するひと」について
                            OT生(社会学科3年)

    はじめに
    [お辞儀するひと]の作品研究を書くにあたって、作品に出てくる劉桂琴さんについて、そして作品の読みと解釈を中心に書いていくことにする。

 この作品でとりあげられた[お辞儀するひと]、劉さんは肉親を探す中国残留孤児の第7次訪日団の一人として日本を訪れた。彼女は17歳の時に死の床にいる養父から「ソ連軍の攻撃による大混乱の中で泣いている、かわいそうな女の子がいた。それがお前だ」と打ち明けられて初めて自分が孤児だということを知ったらしい。彼女は2週間の滞在期間に肉親と再会できなかった。

    そのときの劉桂琴さんの心情が詩の中からとてもよく伝わってくる。成田空港から中国へ戻っていく時に、そこには「手を振って別れの挨拶をする」人がいる。しかし、その人たちとは対照的に「一行から少し離れ、こちらに向かって深々と頭を下げている女のひと」劉さんがいる。

    手を振っている人たちは肉親を見つけた人であるのではないか。そして、その人たちと劉さんの行動を比べることにより、劉さんの肉親を見つけられなかった悲しい気持ちが強調されている。しかし、当時の新聞を読むと来日した残留孤児の三分の一の人しか肉親に会っていない。そのことから、肉親を見つけられなかった他の人は手を振るでも、お辞儀するでもなく日航機に乗り込んだのではないだろうか。

 その中で、劉さんのお辞儀という行動は作者に強い印象を与えたのだろう。肉親として名乗り出る人もなく失意の13日間を過ごした劉さんだが、最後の夜に叔父と名乗る人が駆けつけてきた。しかし、離別地点などいくつかの点が違い、その人は別人だった。
その後の記者団の質問に対して答えた「日本が私の生みの親、中国が育ての親です」という言葉から、劉さんの特殊な境遇と複雑な心境を感じる。そして新聞に書かれていた「どうしても肉親を見つけられずに死んだら、せめて子どもに、私の骨を日本に持って来てもらいます」と言うほど日本に帰ってきたいはずなのに、日本最後の夜に口ずさんだ歌は日本の歌ではなく「大好きなハルビン」の民謡だった。

    この文章からは何とも言えない悲しみを感じる。“大好きな”歌を歌っているにもかかわらず、そこからは悲しさしか伝わってこない。この1連からは、親族を見つけ母国に住むという希望、誰も対面を申し出る人もなくだんだん滞在期限が迫ってくる恐怖、そして叔父と名乗る人が現れた期待、別人だった絶望という劉さんの気持ちの移り変わりを私は感じた。 ここまでの1連は新聞記事から作者が知りえたことの再構成と描写である。しかし、「推定(何と悲しい文字だろう)四十四歳」の一文には作者の気持ちが表れている。(何と悲しい文字だろう)は「推定」と「四十四歳」の両方のことを作者は言っているのではないだろうか。劉さんの境遇から「推定」でしか表わすことができない年齢。そして自分が日本人で孤児であることを知った17歳からやっと来日が実現した「四十四歳」という数字が表わす期間に作者は悲しさを感じたのだろう。

2連は作者の劉さんに対する気持ちを綴っている。劉さんは「誰にともなく深く一礼」をした。

    それは訪日調査の実現に力を貸してくれたすべての関係者に対して、そして祖国日本に対して「深く一礼」したのだろう。それは作者の目には美しく映ったが、その「深く 一礼」の対象が肉親でないのが「哀しい」と作者は思った。それで「思わず会釈」を返した。そして、<再見>という言葉から、また来日してぜひ肉親と再会してほしいという作者の気持ちを読み取ることができる。

    最後の「東京の空」は劉さんの気持ちと重ねている。「雨」は涙と置き換えることができ、劉さんは肉親を見つけられずじっと涙を耐えている。「春近い」は希望をイメージさせ、きっと肉親は見つかるという作者の願いと気持ちが込められている。

7 「お辞儀するひと」(安西均)について
                           HY生(社会学科2年)
(私は、グループ発表でとりあげた作品と同じものを取り上げた。この作品に強く心を動かされたことと、背景にある中国残留孤児問題に放っておけない関心を抱いたからであるとともに、読みに関して発表の時には考えなかった点に気づいたからである。)

(1) 作品について
 この作品は、特異な形式をとっている。
@作品でとりあげる題材の説明を前段に挿入していること
A現実の描写が新聞記事の再構成として展開されていること
B一見、不自然と思われるところで改行しているという表現
この3点がとりわけ特徴的である。

 安西氏が題材にしたものは、直接には1985年3月4日付けの朝日新聞の記事、とりわけその写真である。この写真に写る人々の姿を、記事内容で補足しながら描写している。記事でとりあげた事態を、いろいろな報道媒体から知ったことをごちやまぜに描写しているのではない。先の新聞記事に限定する必要からどうしても@が必要になったといえる。

 この作品の前半でAが展開されている。この描写は、一見事実を羅列しているように見えるが、ここに作者の思いと読者を作品に引き込む技術が溢れている。
・後方で「挨拶する」人々と「頭を下げてゐる女の人」のコントラストによって、後者を印象づける。
・印象付けたうえでこの人の名前と境遇を鋭明し、興味を持たせる。
・「中国」「ハルビン」といった、劉さんの中国残留孤児としての境遇を象徴する言葉を強調する。

 実際、私は、上のようにこの作品に引き込まれた。劉さんの境遇を悲しみをもって印象づけられ、興味を沸かされた。

 前半部分で、唯一作者の思いが「推定四十四歳」の「推定」という言葉に続けたマルカッコのなかに直接的に語られている。「(何と悲しい文字だろう)」。作者はこう書かずにはいられないほど、劉さんの境遇に思いをはせ心を動かされていた。そして、私もこの安西氏の描写に心が動かされた。私が心を動かされたのは劉さんの境遇だけでなく、これを表現する安西氏の優しさと悲しさのあふれる思いによるものだ。

 後半は、前半ではマルカッコにくくられてしか表現されなかった作者の思いが、押さえきれずに溢れ出るかのように表現されている。「こんなにも美しく、哀しいお辞儀の姿を」「私はかつて見たことがない、ただの一度も。」と感動を素直に語っているところが心に響く。

 最後の2行は、肉親に会えなかった悲しみの中にいながらも、それを耐えて「深く一礼」した劉さんの気持ちと東京の空を重ね合わせて表現している。そして、「春近い」「朝」といった希望を抱かせる言葉をつかって、劉さんにも春がくることを祈るような作者の気持ちも重ねている。

(2) 安西均と劉桂琴と
 この作品を読む場合に、単に作者と読者という二者の交流だけでは読み解けない。安西氏が作品中でとりあげている中国残留孤児・劉桂琴さんの思いにも思いをはせなければ、この作品を深く読み解くことができない。いや、この作品を読むとどうしても劉さんに興味を抱かざるをえない。そしてそこから、この劉さんの記事に興味を持ち、感銘を受けたであろう安西氏その人に興味を抱かざるをえない。

 この作品は、安西氏と劉さんと読者という少なくとも三者の思いが交錯することによって深い作品になってゆく。言えば、作品中で完結するのではなく、過去・未来・そして現在という現実に広く開かれていく作品だと言える。戦争文学のすべてがそうであるとも言えるけれども。

 作者である安西氏は大正生まれ(1918年)だ。中国残留孤児が生み出された日中戦争のさなかに文学を志ざし上京したという経緯がある。そして朝日新聞記者として、戦後日本の姿を追ってきた。

 安西氏がこの作品で取り上げた記事は1985年のものである。年齢からして、すでに会社勤めを終えていたと思われる。にもかかわらず、この記事に目が止まり激しく心を動かしたのは、かつて記者として社会を追っていたみずからの経験が関係していると思われる。いやそれだけでなく、みずからの戦争体験と重ね合わせているのではないか。

 「深く一礼」した劉さんが写る写真に対して、作者は「思はず胸のうちで」「会釈を返す」。作者が見ているものは記事の写真であるが、このとき、作者が「会釈」したのは、作者の胸の内にイメージされた劉さんだ。それは、作者のなかで戦争を象徴するものとしてイメージされたのであろう。

 だが、それは悲惨から立ち上がる人間の力強さをも象徴したものだ。作者は、劉さんの悲惨に哀れ悲しんでいるのではない。涙を流すでもなく「深く一礼」した劉さんの強さに激しく心を動かされたのだろう。強さの後ろに深い哀しみを見るからこそさらにいっそう人間の生きる姿勢に感動したのだ。 私は、この作者の思いを感じ、単にかわいそうという感情を越えて感動した。

 劉さんと対称する作者の思いを考察してきたが、次に作者に感動を与えた劉さんの思いについて考察していきたい。

 まず、私が作者と同様に新聞記事の写真を見て思いをはせられるかといえば、決して作者のように深く感動することはなかっただろうと思う。肉親と離れ離れになったうえに、せっかく日本まで探しにきたのに会えずにかわいそうだ、というように感じただろう。 中国残留孤児についてその背景を知って、私はこれまでそういうことについてまったくといっていいほど知らなかった自分を恥ずかしく思うと同時に、劉さんに対して申し訳ない気持ちが湧いてきた。

 年齢が「推定」でしかないのは、劉さんが生まれた時のことを知っている人がいないからだ。どのような経緯で残留孤児となったか、本人さえも知らない。自分が生まれた時のことを知る人がいないというのはどんな気持ちだろう。

 直接は満州へのソ連軍の侵攻によって逃亡生活を強いられ、その過程で残留孤児となった劉さん。親はどんな気持ちだっただろうかと思いをめぐらしたにちがいない。泣く泣く親は自分を中国に置いたのか、もしかしたら自分のことをあまり愛してなく、邪魔に感じて置き去りにしたのではないか。だから、名乗り出なかったのではないか。いや、そんな
はずはない…。
 どんな気持ちで「ハルビン民謡」を歌ったのだろうか。肉親かも知れない人と会う前と、それが別人であったということがわかった後、二回彼女は歌った。
  今まさに花押こうとするバラの花。
  みんなその人を好きだと言うけれど
  この花をひとり占めにしたい…

 一回目は、喜びと希望に満ちて。まだ一度も実感したことのない肉親との愛情を身体で感じることができるかもしれない、なんと幸福なときになるだろう。「ひとり占め」したいほどの喜び。二回目は、花開かなかった哀しみをまぎらわすように。

 どんな気持ちで「深く一礼」したのか。どこかで見ているかもしれない肉親に対して、訪日調査に尽力してくれた人々に対する感謝の気持ち、祖国日本に対する思い…。その思いははかり知ることはできない。

 自然と疑問が湧いてくる。権力者の野望と無責任のためになぜここまで人間は翻弄されなければならないのか。戦後数十年経ってもこれほどの哀しみを与える戦争とはいったい何なのか。大きな歴史の流れのなかでは劉さんの体験は本当に小さなことにすぎない。しかし、劉さんにとっては人生すべてが関わってくる問題だ。一人の人間でさえ、これだけの悲惨に身悶えしているのに、戦争に巻き込まれた人々全体ではどういうことになるのだろう。
 作者は、劉さんの姿に人間の強さを見て取ったが、私は、それと同時に憤りを感じた。

(3) 作品の評価
 この作品は、中国残留孤児の問題に関心を呼び起こし、そこから戦後も続く戦争被害の実態を告発するという意味を持つ。この作品が生まれてから20年近く経つが、いまだなお残留孤児の問題が解決されず、日本に帰国した人々が生活保障を求めて裁判に訴えざるをえない状況を見ると、この作品の意義はさらに増す。

 この問題は、現在、日本政府が北朝鮮の「拉致」問題を煽って戦争政策を進めているなかで、そのおかしさを告発するという意味ももつ。石原都知事などは「私だったら戦争してでも拉致被害者を取り戻す」と発言していたが、かつての日本の国策によって生み出され中国に置かれた残留孤児の問題の解決をやらずに、北朝鮮の拉致云々だけを言うのは無責任も甚だしいし、大量破壊兵器をたくさん持ちながらイラクの大量破壊兵器を問題にするブッシュ大統領の論理と同じだ。

 この作品で作者が希望と祈りを込めた問題の解決には程遠いのが現状だ。いやますます悪くなっている。こうした現在の日本のあり方を照らし出す意味もあると思う。

8 「わたしが一番きれいだったとき」(茨木のり子)
                         GN生(日本文化学科3年)

    題名にもなっている「わたしが一番きれいだったとき」は、作者自身に限らず、作者と同年代である多くの若者を示している。

    1連から7連まで、出だしはすべて、「わたしが一番きれいだったとき」であり、その後に戦時中の情景や戦後の様子を書き記している。接続語を使わず、分を区切り「わたしが一番きれいだったとき」と繰り返すことで、読む相手へ強く戦争責任の追及意識を与えている。

 1連では、戦争の激しい様子が描かれている。がらがらと音を立てて崩れていった街の変わり果てた姿と、目を疑うような、まさか!と思うとことから見えた、日常よく見た変わらぬ青空、なにがなんだかわからない情景が目の前に広がっている。

    また「崩れていった」からは、どんどん悪くなっていく一方である街の様子が表現されている。

 2連は、とにかく沢山の人達が戦死したんだ、ということが読み取れる。「沢山死んだ」からは、人それぞれの死期を無視した戦争での死をいっている。そして、一気に死んだことを物語っている。工場で海で名もない島で、沢山の人は死んだ。

    作者は、当時工場で働いていた。ここで、「工場で」という身近な場所を出し、「まわりの人達」(おそらく同僚の死)をいっているのだろうと考える。「海で名もない島で」は戦地での死を表している。ここでは、いろいろな場所での戦死を表しているのだろう。そして、このまわりの人達の死、戦争の悲惨な姿を見て、「おしゃれのきっかけを落としてしまった」のではないかと考える。

    表現を表現で解釈するのはダメだと思うのだが、夏目漱石の『こころ』の中に、「若い美しい人に恐ろしいものを見せると折角の美しさがその為に破壊されてしまいそうで…」とある。これは、自殺したKの姿を見せないようにしたい気持ちである。これに似たようなことだと私は考える。

    また作者は、良妻賢母で軍国主義教育を一身に受けたお嬢様でもある。それで余計に悲惨な現状を見るとダメージも大きくなって失うものが大きいと思う。それから、「落とす」と言っているぐらいなので、始めはしっかり持っていたが、目に耳に飛び込んでくる非日常世界の現状を見聞きし、すっかり「おしゃれする」ことが失われたのであろうと考える。

 3連では、戦時の軍国主義教育を受けた作者の同年代の人達についてを叙述している。「だれも」というのは、軍国主義教育を受けたすべての人達を言っているのではないだろうかと考える。この教育は、作者にとっても同年代の人達にとっても大きな影響を与えている。そして「やさしい贈物」とは、親切や愛情というような心持だと考える。そんなのはいらないとされていた軍国主義教育の基、「男たちは挙手の礼しか知らなくて」そういう男たちが、常に戦争ムードを漂わせている。挙手の礼は、あいさつだと思う。あいさつとは、本来気持ちのいいことである。しかし、男たちのあいさつといえば挙手の礼であり、そこからも「やさしい贈物」のなさが伝わる。そして、国の思い通りになった男たち(少年・青年)は、もう若さが故のまっすぐな美しい汚れのない眼差しだけしか残っていないのだ。

 4連は、自らの様子が書かれている。ここで注目したいのが、「からっぽ」という俗語表現である。後にも出てくる「とんちんかん」「めっぼう」もそうである。これらは、作者自身が女学生時代によく使った日常語で、そしてこの言葉は、作者の同年代の少女たちの日常語でもある。作者は、このような俗語表現を使いテンポよく自身のことを語っている。頭はからっぽで何も考えることができないが、心はしっかりした面持ちの意思の固い「わたし」がいる。

 5連からは、戦後の様子である。戦争は日本が負けて終わった事実を認めている。しかし、日本は強い、日本は勝つ、これらは絶対だと言われてきたが故に、負けと認めることのできない自分もいる。そんな状況の中、たくましくゆっくり力強く一歩一歩確実に大地を踏みしめ進む作者がいる。
 6連では、すっかり民主主義の国となった日本の様子が描かれている。自分の好きなジャズは敵国の音楽であったため、戦争当時はふとんに潜りこっそり聞いたのが、今ではラジオから流れるようになった。

     「溢れた」からは、そうとう沢山ジャズが流れたことが考えられる。ジャズを、大きな音で堂々と聞ける嬉しさと、今まで縛られてきたことから開放され自由になった日本で、夢中になってジャズを聞く生活にのめり込んでいった様子が伝わる。

 7連は、それでも「わたしはとてもふしあわせ、わたしはとてもとんちんかん、わたしはめっぽうさびしかった」と当時の自分を振り返る。戦中戦後の混乱の中で、わけのわからぬままに送らざるをえなかった作者の嘆きである。

 最後の8連では、嘆いているだけの「わたし」はいない。これからの人生を前向きに生き始めた作者がいる。年をとってからでも遅くはない、「わたしが一番きれいだったとき」は、決して若いときだけのこととは限定されないのだと、気がついたのだ。それは、「わたし」に似た人生(青春時代を戦争ではちやめちやにされた)ながら、後に輝いた人生を送ったフランスのルオー爺さんの影響だ。そして「だから決めた」と決心した中に、本来の人間の生きる価値を悟った作者、希望を持ったポジティブな作者がいる。

    最後の「 ね」は、そのような作者自身の考え、生き方を他に人にも同意を求め呼びかけるものがある。

 戦争体験は、誰にとっても、暗く悲しく重い苦しいものである。しかし作者はこの詩の中でそういった辛いことを、少しもじめじめせずに、さわやかな表現で歯切れ良く叙述している。また、戦争のすべてを国家の責任にするのではなく、このような国の指示に疑問を持ちながらも従っていた自分を認め、受け入れ、後の人生にそれをどう導くかの?という課題意識に向き合った作品である。

    戦争が自分にもたらした影響をふまえ、本来人間が生きる価値にそれを反映させて欲しいという、作者の願いが込められているのではないだろうかと考えられる。このような願いは、戦争文学の根本と結びつき、この作品を読む人々の心に深くしみわたる。そこに、文学作品の価値があるのだと考える。

9「雪の夜」(田辺利宏)について
                          MS生(人間福祉学科1年)

 この詩は昭和14年、日中戦争の真っ只中で召集令状を受け取った作者が中国で書いた詩の中のひとつである。作者は幼いころからよく日記をつけていた。その習慣があったために、従軍生活の中でも何気ない一場面を書きとめていたのではないだろうか。

 まず、この詩の解釈にはいる前に作者の戦争・戦死観について述べておきたい。作者が入隊して間もない頃の日記にはこう書かれていた。『戦死ということは、簡単に言えばなんでもない。しかし、兵隊は戦死するまでの過程こそ、大したものであることがわかる。』
(*1)また初めての討伐戦に参加する前の日には『戦いが人生の核心であるとは、どうしても考えられない。戦争は地の果てだ。血塗られた荒野であり山獄だ。われわれの青春の向かうところが、はたしてそうした所でいいのだろうか。しかし、疑問よりも確実に現実があるのだ。今は何も考えることができず、考えたいとも思わない。ただ虚しい精神のままに自分を放任しておくことが楽しいだけだ。』(*2)と書かれている。

 作者は戦争に対してかなり否定的な考えを持っていたと考えられる。また作者は非常に優しく、楽天的で希望に満ち,明るい性格だった。そのため、戦争という死を臨むだけの環境にいることを苦しみ、またそこにいる仲間や敵のことまでも考え、胸を痛めていたのではないだろうか。このような作者の性格や考えをふまえたうえで解釈を進めていく。

 まず題名の「雪の夜」である。雪が降っている、あるいは積もっている夜は静かである。雪は周りの音を吸収して不思議なほどの静けさをもたらす。昼間の激しい戦況からは考えることもできない夜の静けさであっただろう。また、雪の白さは血さえも消してしまう。何もかも真っ白にしてしまう。戦争の詩を書きながらも、作者は書いているときだけは殺すか殺されるかという考えから抜け出すことができたのではないだろうか。

 雪は冷たいというイメージがある。実際冷たいのだが、同じ気温でも雪があるほうが暖かく感じるのである。そのような雪の持つ二面性がこの詩の中にも現れている。

 一連は過去・現在・未来について書かれている。一行目、ここでの「のぞみ」とは大切なものと思われる。希、つまり希望とも取れるが、次に「喪っても」とあり、「喪」の持つ死別・滅びる・離れるといった意味から、家族や戦友、平和など一度失ったら二度と戻ってこないものたちを指しているのではないだろうか。「生きつづけていくのだ」という部分は、生きてゆかなければならないのだと、作者が自分自身に強く言い聞かせているように思える。

 二行目の「見えない地図」とは、先の見えない未来のこと・まったく予想できない戦況のことで、三行目の「遠い歳月」は、戦争が始まる前・戦地に来る前の生活のことであると考えられるから、この二行は対になっている。 四・五行目でも意味上の対になっているものがある。「ほの紅い」で紅の持つ暖かさを出しておき、「凍てつく風」で冷たさを表している。また、厳しい現実でもある。「蕾」はまだ見ることのできない平和で楽しい生活のことで、その暖かさを作者は夢見ているのだろう。

 六行目の「泥」は多くの人を傷つけてきたことだろうか。一面白い雪景色の中で黒く染まる作者の手は、小学校では皆勤賞をもらい、大学では特待生となり、召集令状を受け取るまで女学校の教師として真面目に生きてきた作者の人生の汚点と重なっているのではないだろうか。

 七行目、頭の中では今までの生活がだんだん薄れていく。戦地で生きていくには忘れなくてはならなかったのかもしれない。八・九行目では「ほのかな血のぬくみ」と「冬の草」が意味上の対となっている。「ほのかな血のぬくみ」は、雪で冷えた体・戦場で冷えた心・冷えきった世の中、そういった状況の中で唯一自分が生きている事実を確認できるものであったと考える。「冬の草」は暖かい春、つまり平和な世界が来るのをただひたすらに待ち、厳しい現状に耐ながらえ細々と生きている様子が見える。
 一連では生と死の対比を暖かさと冷たさに置き換えている。

 二連は三行と短いが、どんな状況であろうとも生き抜いてやるという作者の強い意志が感じられる。

 まず「遠い」は日本を指していて、「残雪のようなのぞみ」とはわずかではかないのぞみ、つまり日本に生きて帰るというのぞみはいつまでも消えないであって欲しいという思いが感じられる。

 次の行の「何の光であらうとも」とは、結果が勝利であっても敗北であってものぞみがかなうなら、生きて帰れるならばどちらでも構わないということだと考える。
 最後の行では、前の二行でののぞみがかなうならば、全てを虚しいと考え生きている私たち(作者を含めた兵隊たち)の生きることへの大きな希望になるだろうということだろう。

 三連目も同じく三行構成である。たった三行ではあるが、ここで作者は自分の存在を確認している。

 まず、初めの行で作者は人々を敵味方関係なく、ひとまとめに仲間・同類としてみている。戦場という同じ場所にいながら、「異なる星」つまり自分の国のトップを「仰ぎ」敬っている。その人々は「寂寥」に浸りながらも考えること、平和を望むことだけは自由に許されている。心の中までは誰も踏み込んでこられないのだ。

 そして、最後の行の「俺が人間であったことを思い出させてくれるのだ。」であるが、この一行から作者の想いが強く感じ取ることができる。それは、どんなに手を汚しても、心が荒んでも、ひどい光景を目にしても、生きようと、生きたいと願い未来を夢見ている自分は、やはり人間であったのだと気づいたのだろう。

 殺すか殺されるかのこの世とは思えない、尋常でない世界の中で、こうした状況に胸を痛めるだけの理性をまだ持っていたのだと気づいたのだ。

 苦しい戦争の中で、勝つことよりも、人をたくさん殺すことよりもただ生きて、生きて還る事を願った作者。常に死の隣にいて、いつ終わるとも知れない戦争という日常にありながらも、生きることへの希望を持ち続けた。その気のやさしく前向きで、希望をすてない気持ちは戦前の作者となんら変わりはなく、詩の中に強くにじみ出ていた。

*1・2……引用(「わだつみの詩」解説−はかなく消えた遠い残雪のような希みよ 安田武)
出典…「わだつみの詩−従軍詩集・浩平詩集・星一つ」(田辺利広・池田浩平・宮野尾文平、日本図書センター)

10 「水ヲ下サイ」(原民喜)
                          NT生(日本文化学科1年)

    はじめに
 私はグループの作品研究で原民喜の『夏の花』をやった。
そのとき持った『夏の花』のイメージは、原爆によって変化した広島の街や人間の姿を、原民喜が見たまま記録したものというものだった。その『夏の花』の中で『ギラギラノ破片ヤ』という詩が挿入されている。この詩は変化した広島の街の様子が良く表されている、として原民喜本人が挿入したものである。またこの詩は、『原爆小景』の九つの詩の一つとしてもおさめられている作品でもある。

    私はそのことを知ったとき、『原爆小景』には、原民喜が原爆体験で見たまんま広島の街や、人々の姿、つまり原爆で変化した広島の風景を、断片的に詩として記録したものだと考えた。だとすると、『夏の花』と『原爆小景』は、原民喜が原爆体験を記録したものとして、私のなかで共通のものとなる。

    そこで私は、『原爆小景』は『夏の花』を参考に、ある程度解釈できるのではないか、と仮定する。だから今回、『原爆小景』の一番初めに載っている『コレガ人間ナノデス』を私なりに研究していこうと思う。

    作品の特徴
  カタカナと漢字だけを使った文章。先生によると、この時代の人々は平仮名よりもカタカナを先に学んでいて、急なとき原民喜は平仮名よりもカタカナが出るかもしれないと、言っていた。私はそれを聞いて、カタカナを使うことで、被爆者の原爆に熱され、侵された思考回路では平仮名に変換することができなくなってしまった、死の淵ギリギリにいる姿を生々しく表現しているように思えた。もし、この詩が平仮名であれば、ここまで印象的な詩にならないように思えたのはそのためだろう。

     これが人間なのです(平仮名改正版)

原子爆弾に依る変化をごらん下さい
肉体が恐ろしく膨張し
男も女もすべて一つの型にかへる
おお その真黒焦げの滅茶苦茶の
爛れた顔のむくんだ唇から洩れて来る声は
「助けて下さい」
と か細い 静かな言葉
これが これが人間なのです
人間の顔なのです

    読み
一行目 原爆で変わり果てた人間の現実にはありえない姿に絶望。率直に、逃げられない現実なのだ、と断言している。

二行目 淡々と語っていることから、感情が込められていないように感じる。しかし、その淡々と語る様が逆に恐ろしく感じる。

三行目 原爆によって変化する肉体の様子も人間の体のことを肉体と表現することで、生々しい残酷な感じがする。

四行目 男も女も区別がつかなくなるほどの変化。「…型ニカヘル」は二つの読み取りができる。一つは、同じ格好をしていれば見分けることのできない幼い子供の姿に帰る、と言う読み。もう一つは、男女の区別もつかないほど、原爆に(人間の)型を変えられたと言う読み。

五行目 目の前で人間の原爆に変えられた姿をみてしまうと、「オオ」とつい口から洩れてしまう。それほど滅茶苦茶になってしまった人間の様子を表している。

六行目 原爆により声を出すことさえつらいほどの体の変化の様子。実際に見たことがない私でも想像し、嫌な気分になるほどの的確な表現。

七行目 そんな変わり果てた、もうすでに人ではないような肉体から、やっと声を絞り出し、「助ケテ下サイ」という。

八行目 六行目の様な体からは、「カ細イ 静カナ言葉」しか出ない。六行では「声」だったのが、八行では「言葉」と言う表現になっている。唇から洩れてくるうめきの様な声は、よく聞くと「助けてと言う」ことばだった。九行目 コレガ コレガと繰り返すことで、原爆によって変わった人間の信じられない姿を、自分に、読者にこれが人間なのだ!と、言い聞かす様子。十行目 一番人間一人一人の個性が出る、人間らしさが出る顔でさえ変わってしまった恐ろしい姿。

    『夏の花』で見る『コレガ人間ナノデス』の表現
    五頁・五行目「言語に絶する人々の群れを見たのである。」人々との群れと、人間を(人間以外の)動物を言うように扱っている。今まで見たことのない人間の姿に絶望。詩の一行目とつながるところがある。

    五頁・七行目 「岸の上にも岸の下にも、そのような人々がゐて、水に影を落としてゐた。どの様な人々であるか……。」詩の二行目の言い方に似ている。

    五頁・八行目 「男であるのか、女であるのか、ほとんど区別もつかない程、顔がくちやくちゃに腫上って、随って目は糸のように細まり、唇は思ひきり爛れ、それに、痛々しい肢体を露出させ、虫の息で彼等は横はっていゐるのであった。私達がその前を通って行くに随ってその奇怪な人々は細い優しい声で呼びかけた。『水を少し飲ませて下さい』とか、『助けてください』とか、殆どみんながみんな訴えごとを持ってゐるのだった。」

    詩の四・五・六・七・八行目の様子5頁・十五行目 「その顔は約一倍半も膨張し、醜く歪み、焦げた乱髪が女であるしるしを残してゐる。これは一目見て、憐愍よりもまず、身の毛のよだつ姿であった。」詩の三行目の様子

    まとめと感想
 以上のことを作品研究した結果、(はじめ)で言った「夏の花」の表現で、「原爆小景」をある程度読み取れるのではないか、という考えはある程度正しいものであると言えるように思う。そのことは『原爆小景」の殆どの詩にあてはまる。それはどちらも、原民喜自身の原爆体験を書き残したものである。

    原民喜は、原爆体験をノートに書きとめていたと言う。そしてそれをまとめたものが、『原爆小景」である。それなら、原民喜はそのノートを「夏の花」を書いたときも参考にしていたのだろうと考えられる。だったら、「夏の花」と『原爆小景』が似か依るところがあっても不思議ではないのだ。今回このような作品研究ができてよかったと思う。完璧なものとはいえないが、以前から気になっていたものを課題にしたので、自分でも楽しく取り組めたように思う。本当は峠三吉か、原民喜か、どちらにしようか悩んだが、私にとって原民喜の詩がとてもリアルに感じたので彼を選んだ。

    戦争文学は、読んでいると気持ちが暗くなってしまいがちなものである。だからといって、戦争文学を避けてはいけない。戦争は繰り返してはいけないおそろしいものなのだ。だが、年月がたってしまうと次第に戦争の恐ろしさが薄れ、なぜ戦争がいけないのかと思われるようになるにちがいない。実際に、そうなりつつあると言える。そうならないためにも、戦争文学を読み、文学の向こう側にある戦争の恐ろしさを学んでいかなければいけないのだと思った。

11 「日本原爆記録原爆詩集長崎編より 詩集原子野」(福田須磨子
                               TJ生(商学科2年)

赤外線

赤い光線
照射される手・胸・顔
血のような色
がらんとした病院の一室

何も彼も赤一色に染まり
私の心は深海魚の様に
しんしんと沈んで行く
昼間の病院の一室だというのに

侘しさは私の胸板を這いめぐり
呪詛、嗟嘆、憂愁、
あらゆる感情を呼びおこすのだ
狂人になったのではないかと疑いだす一とき。

 第1連は昼間の病室の風景を書いたように見えるが、私には被爆した様子を写し出したものだと感じた。『照射される手・胸・顔、血のような色、』で、ただれた感じの体を表現している。

 第2連は原爆によって生きていく希望を失いつつ表現が印象的である。『昼間の病院の一室だというのに』で、自分と社会を区別しているかのように表現しているかと思った。

 第3連は原爆によって十字架を背負ってしまったような表現、『侘しさは私の胸板を這いめぐり』を受けて、自分の感情を出そうとすると負のイメージしか出てこない。これによって、なぜ自分だけという境遇を考えてしまって狂人となってしまうような感覚に陥ってしまうのではないかと思った。

 全体を通して私の考えを述べると、「原爆によって受けた傷は生きる希望を無くしてしまい、病院の一室にただ住まわしてしまう。それは、社会と自分とが離れてしまったような感覚を受ける負のイメージとなり、作者自身気が狂いそうになる。」となる。

私の皮膚

悪魔に魅入られた私の体は
現今の医学を嘲笑し
勝手きままな絵が
私の軟らかい皮膚に描かれて行く。

軟らかな白い皮膚は
悪魔の筆に染まると
突如として魔法がかかった様に
ゴワゴワと音でも立てそうな
かたい皮膚に変質して行く。

如何に治療したところで
所詮現今の医学は無能なのか
見てごらん ほら 私の皮膚に
悪魔の長い爪がまだ絵を描いてる。

 これまた、負のイメージが強い詩である。『悪魔』とはまず、最初に考えたのは原爆であった。そうすれば後の詩についても当てはまるからだ。被爆した人の体はそのころどうやっても、元の体にはもどせないし、その後の数年間でも、何らかの後遺症が残っている。その頃の医学についての反感と、そこまでした『悪魔』が憎いという感じがしていた。

 しかし、この『悪魔』が原爆でなく、次に私が考えた「社会の偏見」ならどうなるだろうか。そうすると、第1連の『勝手きままな絵が、私の軟らかい皮膚に描かれて行く。』は、社会の偏見によって、皮膚病がうつるなどの解釈が社会全体に広まり、それが、被爆した人のイメージとなってしまっている。

 第2連は、第1連をうけて、『ゴリゴリと音でも立てそうな、硬い皮膚に変質して行く。』は、これは、自分自身の心が硬くなった皮膚のように社会を受け入れなくなろうとしていることを憎いといっているのではないだろうか。第3連は、どんだけ治療しても治らない私の体を「社会の偏見」がまたでてきているのを表している。

 つまり、「社会の偏見によって、私の体には偏見という絵が描かれている。社会の偏見にはまると、私の心は、堅く閉ざしてしまう。どんなに治療しても今の医学ではだめで、まだ、社会の偏見は続いている。

再びS医師に

貴方が
私の醜い両手を
ぐっと握りしめて
慰めてくれたことは
絶望の底に
幾度もおちこもうとする
私の意欲を
僅かでも支えてくれました。
私が
精神療法を必要とする
ややこしい患者なるが故に
医者としてのテクニックであろうと
そんな事どうでもいい事です。

自分自身さえ
匙をなげだした様な
近頃はその思いが激しい時
貴方が
私のこの醜い両手を握って
おっしやって下すった事は
一言 一言 私の血となり
私に希望の灯を点してくれました。

 詩の特徴は、S医師という第三者がいることであろう。ほかの詩には、作者以外出ていないがこれは、第三者が居ることによって、被爆した人の対応の仕方が分かる。

 当時の被爆者の扱いは、一般人との差別化があり、この本に載っている『撮影』のように何か違う人類を見ているように扱われるのが、当然だった。しかし、このS医師はそんな好奇の目ではなく、人として当たり前のように扱っている。それがきっかけで、『匙を投げだしたような』の気持ちが『私に希望の灯を点してくれました。』に代わり、生きようとする意志を持ち始めてきた。このような当たり前のことをされなかった被爆者達はたくさんいたのだろうけども、まだ人間として扱ってくれる人もいるということをこの作者は伝えたかったのではないだろうか。

雨の日に

しめやかに雨が降ります
ひっそりと私は病床に横たわり
夫は傍に
つくねんと坐っています
“須磨子お前死ぬなよ
 皮膚がもと通りにならないとしても おさまってくれたらいいからな
 お前が死んだら俺も死ぬぜ”
ぽつんぽつんと糸の切れる様に
夫は話します。
こんな雨の日
私以上に彼も寂しいのでしょう。
“やはり年の故かな”
夫はぼそっと口をつぐみます。
雨の日のためか
私の胸は痛みます
おさえきれぬ涙が頬を伝います。

 「雨の日」というイメージは、はかない・悲しいといった負のイメージがある。この詩も普通に見たら負のイメージが強く残るだろう。しかし、何度か読み返すうちにこの詩の陽の部分も見えてきた。最後の3行目『雨の日のためか、私の胸は痛みます、押さえきれぬ涙が頬を伝います。』この部分は、雨の日というイメージのなか涙というイメージを重ねあわせたような感じがした。涙は嬉しいときや、悲しいときに流すものであり雨の日というイメージと重ね会うところがある。しかし、この場合の涙は夫の言った言葉で自分だけではなく、夫も寂しいのだろうと感じたとともに、『お前が死んだら俺も死ぬぜ』の言葉で生きろという言葉を投げかけているように感じた。作者はこの言葉を聞き、嬉し涙を流したのではないかと思う。

 雨の日というイメージと涙というイメージは、同じようなイメージだがこの場合は雨の負のイメージと、涙の陽のイメージが相反していて、陽の部分が強くなる表現をしているのではないか、そして、夫婦という関係が強く出ることによって最後の1行『押さえ切れぬ涙が頬を伝います。』が、強く印象づけることができる。

入浴

誰も見ない様に
片すみ後を向いて
シャボンの泡をとばし
そして
誰も入っていないのを
確かめてから
まるで悪い事でもする様に
コソコソと
人目をはばかって入浴する
別に人に伝染する様な
そんな皮膚病じやないけど
奇妙な悲しいくせが
何時の間にかついてしまった。

 被爆者が受けた社会的偏見によって、この様な悲しい事が起こってしまったのではないか。『コソコソと、人目をはばかって入浴する、別に人に伝染する様な、そんな皮膚病じゃないけど、奇妙な悲しいくせが、何時の間にかついてしまった。』この部分は、当時の被爆者の扱い方が分かる一文であり作者が最も言いたかったところではないだろうか。なぜなら、当時受けていた社会的偏見と被爆者との間の壁によってこの様な『悲しいくせ』ができてしまったのではないだろうか。

    すべてを合わせた感想
 私が選んだこの5作品は、私が最初に見て感銘を受けた詩だった。しかし、読んでいくうちにこの詩に隠されていた深さを気づいた。

 1では、赤という印象深い色を使って『あらゆる感情』を印象づけている。2と5では、社会の批判に対しておこなっている。3と4は、被爆した作者を人間として扱っている人々に感謝の念を抱き、生きようとする力をもとうとしている情景だった。

 すべての作品にいえることは、負のイメージが強いことと、それに対して原爆被害者の立場からの視点からみた社会を批判している。生きる希望を持つ被爆者達は数少ないけども、この作者はとても強い心を持って生きている。この様な生き方は皮肉かもしれないが、被爆した人でしかできないのではないだろうか。



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