「戦争と文学」資料
戦争状況の設定時間と空間による状況の推移

    はじめに
 敵と味方が殺し合うことの現実が戦争である。「殺さなければ殺される」敵対関係で人間が如何に生きるか、という論が成立するのか。成立すると仮定すれば、それはどのような状況なのか。
 人間が如何に生きるのか、という前提は生きられる(あるい生きている)という保障の枠の中でしか成立しないのではないか。戦争における人間の生きざまを表現するのが、戦争と文学のテーマとするならば、戦争状況の設定もまた重要になってくる。

1 戦時体制前(戦争前)1920年代〜

(1)戦争動員の状況
@経済不況、自由の抑圧、思想(共産主義→社会主義→民主主義→自由主義)弾圧。政治、生活、文化、教育における管理強化
A兵役等の有事法制による戦争動員。
○関東大震災(1923)
○朝鮮人と社会主義者の大虐殺(1923)
○金融恐慌のはじまり(1927)
○世界大恐慌のはじまり(1929)
○昭和恐慌のはじまり…輸出の激減、工場倒産激増、失業者増加(1930〜1934)
○財閥の完成…三井、三菱、住友財閥の完成→政経の癒着、海外進出の利益追求
○国民生活の疲弊

(2)社会・労働運動の高まり
○日本共産党結成(1922)→弾圧の嵐
○治安維持法公布(1925)→同法改悪(1928)
○普通選挙法公布(1925)
○ストライキの頻発(1926)
○労働農民党、社会民衆党、日本労農党等結成とその合同(1929)

(3)当時の沖縄
○ソテツ地獄の始まり(1920〜)
○移民と出稼ぎの島…4万人(1920〜24)、4万7千人(1935〜39)が県外へ
○移民…(39,000人・1935年昭10)
○本土への出稼ぎ…沖縄差別の実態

(4)当時の植民地の状況

@朝鮮
○経済介入から軍事介入へ(1876)
○軍事占領(1904)
○朝鮮併合(1910)
○日本の支配下、食糧強奪(米の強制輸入50%以上・1930〜40)、皇民化運動(1930 〜40・日本語化、創氏改名等)、

A台湾…1895年支配。砂糖による利益収奪政策。米の買占め

B中国の状況
○日清戦争以降の中国侮蔑による大陸支配の野望、
○中国のナショナリズムの台頭…国家統一への内戦→国民革命軍と中国共産党
○主な論争
・「内政不干渉、米英協力」(若槻内閣の幣原外相・1924)
・「強硬外交」(田中義一)「満蒙は日本の生命線」(松岡洋右)
○田中義一、首相兼外相となる(1927)
○第一次山東省出兵(1927)、第二次第三次山東省出兵(1929)
○東方会議(1927)「対支政策綱領」
→満州・蒙古は支那本土とは別で、日本は特別な利益と権利をもつ。
→反日勢力の弾圧と日本の権利・利益が侵害された時の取り締まりは、断固として行 う。
→中国では対日排斥運動
○張作霖爆死事件(1928) 
○「不戦条約」可決(1929)

C満州(傀儡国家)…大豆・小麦を安く買い占め、反対に日本の衣料品を高く売りつけ た。鉄道、炭坑、製鉄所などでは、日本人の三分の一の賃金で働かせた。

D経済侵略…日本工場の進出によって地元工場を倒産に追い込み、生産も労働力も握り、 安い賃金で働かせ、多くの生産をし、高く売りつける。買いつけには、「軍票」など を使った結果、貨幣の価値は下がり、はげしいインフレとなり、経済が麻痺。

2 戦時体制(戦時下)1931年(昭6)〜1945(昭20)/8/15

(1)国内の戦時体制
@ 戦争動員の状況
ア、国家総動員体制…「国家総動員法」公布(1938年昭13)、大政翼賛会の発足(1940 年昭15)、国民、政治、経済、文化、教育、生産、生活、食糧等
イ、徴兵、徴用、供出、軍事訓練、防火訓練等、灯火管制、防空壕、

A 戦争状況…避難疎開、空襲、機銃掃射、原爆投下
ア、空襲の状況…焼夷弾、ナパーム弾、B29、避難、焦熱地獄、
イ、機銃掃射…
ウ、原爆投下…(ヒロシマ・ナガサキ)
○ 一瞬の地獄…爆風の被害、熱線の被害、

B 沖縄の戦争状況(戦闘突入前)
ア、避難疎開、灯火管制、防空訓練、軍事訓練、避難訓練、徴用(陣地構築・飛行場建 設・戦車断崖建設・炊事等)、供出、出征、現地徴兵、生活、食糧、避難壕
イ、空襲の状況…焼夷弾、ナパーム弾、ガソリン放火、
ウ、機銃掃射…地上、海上(避難船、疎開船、貨客船等)
エ、艦砲射撃…上陸前
オ、潜水艦攻撃…避難船、疎開船、貨客船、物資運搬船、軍用船

C 戦闘状況(沖縄県)…沖縄戦
ア、戦闘時の直接被害
○アメリカ軍による直接被害…空爆、艦砲、戦車砲、銃砲等による被弾死傷。空襲や 艦砲、火焔砲・ガソリン放火等による焼死傷。毒ガス・催涙ガス等による窒息死傷。 航空機や魚雷による船舶沈没での水没死傷。銃爆撃による船舶での被弾死傷。被弾船 の火災による焼死傷。上記のすべての傷害がもとでの戦没死傷。他。
○アメリカ軍による間接被害…捕虜時の殺害。他。
○日本軍による直接被害…誤射等による被弾死傷。兵器暴発による爆死傷。他。 
○日本軍による間接被害…投降時の被弾死、投降阻止の殺害、他。

イ、戦闘時の間接的な被害 
○避難・疎開時の事故死(海や壕内の溺死、転落死など)。死傷。栄養失調死。中毒 死。衰弱死。精神異常死。自殺。病死。ショック死。原因不明死(赤ちゃんや老人)。 他。

ウ、戦闘行為以外の被害
○日本軍による直接被害…刺殺傷、銃殺傷、絞殺傷、斬殺傷、毒殺等の虐殺。他。
○日本軍による間接的被害…ガマ(壕)追い出しによる戦死傷。殺害強要死傷。「自 決」・「集団自決」強要死傷。食糧強奪による栄養失調死傷・衰弱死・餓死等。治療拒 否による死傷。放置による死傷。日本軍に受けた怪我による間接死傷。他。
○アメリカ軍による直接被害…レイプ事件による殺傷。収容所病棟での投薬殺傷。収 容所外での規則違反者の射殺傷。他。
○アメリカ軍による間接的被害…レイプ事件による自殺。収容所における食糧難によ る栄養失調死・衰弱死・中毒死傷・餓死。病死。傷病者や栄養失調者等の放置死。放 置弾による爆死傷。他。

エ、日本兵…被弾死傷、自爆死傷、自決、虐殺、放置死傷、毒殺、銃殺、餓死、栄養失 調死、水死、精神障害死、事故死傷、他
オ、米兵…被弾死傷、精神障害、他
カ、朝鮮兵…被弾死傷、虐殺、自決強要、餓死、栄養失調死、銃殺、毒殺、放置死傷、 水死、他

(2)国外の戦時体制…植民地獲得戦争=侵略戦争
@一般的な日本軍(兵士)の状況…侵略戦争の実態(掠奪、焼き討ち、強姦、虐殺、毒 殺、細菌兵器実験等)、軍隊の実態(暴力制裁、反逆、殺人教育、捕虜虐殺等)、人間 と人間の殺し合いの場面。加害者と被害者の関係。侵略軍兵士と抵抗軍兵士。敵と味 方。攻撃と守備。進攻と退避。飢餓状況、餓死、人肉食、

A 侵略軍と被侵略地の実態
ア、「朝鮮」…犠牲者約20万人以上
○朝鮮兵の徴兵(1943年昭18)…23万人の兵士と15万人の軍事要員
○「うさぎ狩り」(1939年昭14)…「労務動員計画」を発表し、朝鮮人の強制連行(本 土−67万1,607人、樺太−4万3千人)
○従軍慰安婦…だまし討ち、「うさぎ狩り」

イ、中国…犠牲者約1千〜2千万人(現在も調査中)
○日中戦争開始(1931年昭6)…柳条湖事件。
○日本の戦争犯罪の最大三点…「南京大虐殺」「七三一部隊の蛮行」「三光作戦」
○「南京大虐殺」(1937年昭12)…20〜30万人の虐殺。 略奪、放火、婦女暴行事件。
○「三光作戦」…焼き尽くし、奪い尽くし、殺し尽くす
○「七三一細菌部隊」…細菌兵器の開発と生体実験(3千人以上殺害)
○従軍慰安婦…1937年(昭和12)「登記」という名目で、南京市民を出頭させ、数千 人の若い女性を強制的に収容し、慰安婦として南京や上海の「慰安所」に送る。それ 以外にも、約2万5千人の人たちが、拉致(らち)同様に慰安婦にされた人たちがいる といわれている。
○「毒ガス兵器」(1937年昭12)…化学戦部隊を華北(中国北部)に派遣する勅命。敗 戦時、日本軍は毒ガス兵器(砲弾二百発・化学剤約百トン)を放置したまま撤退。 ○「強制連行」…「ウサギ狩り」(4万1,762人、うち6,512人が虐殺、栄養失調死)

ウ、ベトナム…犠牲者約2百万人餓死
○徹底的な米調達(1940昭15〜1945昭20)…餓死者が続出。

エ、インドネシア…犠牲者約4百万人
○米の供出・強制連行…インドネシア国旗掲揚、国歌斉唱を禁止
○兵補(日本軍の補充部隊)として半強制的に徴兵
○日本軍の慰安所に現地から慰安婦を強制的に集める。

オ、フィリピン…犠牲者約百十一万人余
○全面占領(1941年昭16〜1942年昭17)…「パターンの死の行進」(1万人が死亡)

カ、シンガポール…犠牲者約5千人虐殺
○「華人大虐殺事件」(1942年昭和17)…中国系住民の虐殺。
○東京時間を使い、通貨や切手その他生活のすべてに日本語を強制。

キ、タイ…犠牲者数不明
○占領(1941年昭16)…日本の軍事支配。
○「泰緬(たいめん)鉄道」の建設…捕虜約6万5千人、東南アジアから集めた「ロー ムシャ」約20〜30万人。うち、捕虜1万2千人、「ロームシャ」の約15万人が死亡(「枕 木一本、死者一人」と言われた)。

ク、マレーシア…犠牲者1万3千人以上
○住民虐殺(1942年昭和17)…1万3千人以上の中国系住民を虐殺。
○「日本精神教育」…「臣民」教育、「創氏改名」、日本語押しつけ、宮城遥拝、君が 代斉唱、日の丸掲揚などの強制。

B植民地での国民の状況
○軍民一体化(軍官民共生共死)による「集団自決」、

3 戦時体制後1945年(昭20)8月15日〜

(1)国内の戦後
@ 空襲後…一面の焼け野が原、被害者、焼け跡、焼死体、避難生活、潰滅、
A 原爆投下後…街のようす、人々の様子、ずっと後々までの被害(放射能被害)
B 占領政策…戦争犯罪者、戦争協力者、
C 沖縄への眼…沖縄切り捨て(天皇発言)、サンフランシスコ平和条約第三条、差別の 増幅

(2)沖縄の戦後(必ずしも1945/8/15以降とは限らない)
@ 戦闘の後…焦土、
A 県土…潰滅、食糧問題、住宅、遺骨収集、肉親捜し、一家全滅、放置弾被害、社会 機構の破壊、生活、教育、経済、文化、政治
B 軍事占領から米軍の直接統治へ…反共布陣の米軍基地の強化、軍事支配、

(3)国外(侵略地)での戦後(必ずしも1945/8/15とは限らない)
@ 兵隊の状況…傷病兵、敗兵、捕虜、収容所生活、強制労働、飢餓状況、餓死、栄養 失調死、虐殺、疾病、
A 国外での国民(移住者)の状況…追放、置き去り、難民、栄養失調死、餓死、虐殺、 捕虜、収容所生活、強制労働、

4 戦争への視点

(1)戦時体制前から戦時体制への視点
 @ 戦争への道…戦争の原因は経済侵略にある。財閥と政府が結託し、軍隊の力を背景に他国を侵略し、己の経済的優位を確保する。その状況を作りだすために、政府は何をしたのか。国民の日常にどう組み込んでいったのか。政治、経済、教育、文化のあらゆる国家機能を使って国民を戦争へ動員する手だてを講じた。
  そして、国民の側からすれば、その状況に対して、様々な人間模様が存在する。戦争へ導く者=国家に対して国民がどう反応したか。まさに人間としていかに生きたか、が問われる状況の設定となる。

A 戦争反対の意思表示…日中戦争や太平洋戦争の場合には、天皇制国家体制によって、戦争反対の声は完全に押しつぶされてしまった。それでもなお、それに命を賭して抵抗した人たちがいたこと。
→戦後の民主的革命文学の誕生

B 戦争動員への協力…文学者たちが、国家の戦争体制に組み込まれていった文学の歴史は明らかにしなければならない。
彼らがどのような作品を書き、どのように戦争に協力していったのか、その検証は必要である。
→戦後の戦争文学の興隆

C 戦争に協力したその他の人たち…国家権力の末端としての身近な人たちの戦争協力は、一層の批判的精神によって批判されなければならない。例えば、教師、警察官等 は明らかに国家権力の末端としての機能を発揮していた。また、社会的地位の高い者は、その地位を利用したし、経済力のある者はその経済力を利用した。
→戦後の民主主義教育の興隆

D 国民は被害者意識だけでよいのか…では、一般国民と呼ばれる人たちは、本当に被害者だけであったのか。人間が生きるという価値について国民がどうそれを己の人生に投影させるのか、ここに、人間として生きる人間の生き方について鋭い批判の目が必要となる。それが文学の精神とどう結びつくのか。
→民主主義社会の勃興と戦争責任追求の曖昧さ

(2)国内における戦争状況への視点
@ 国民の衣食住生活の状況
A 空襲の被害状況
B 空襲時の避難状況
C 被害の根源への追求

(3)戦闘状況における視点
@ 植民地戦争における視点

ア、もっとも戦争状況を表現…生と死が偶然によって左右される状況。したがって、この状況を文学に表現するためにはこの状況を生き残らなければならない。しかし、それは偶然である。文学の創作が目的か、人間が生きることが目的か、混沌とした結果を生み出す。したがって、戦闘状況の文学化は、あくまで結果論でしかない。

イ、人間が表現するということは、己の存在を有とするからである。したがって、この戦闘状況の記録は、そのほとんどが己の顕示となるものが圧倒的に多い。それは、生と死の偶然性をくぐり抜けてきた人間の自己表現の欲求であろうか。裏を返せば、優 れた文学と言える作品はほとんどない(小田切秀雄)。

ウ、生と死の極限の状況が表出される。その状況の中から己を人間として表現すること は、己と戦場の真実を描写することである。それを出来たものだけが、文学としての 表現をなしたものと言えよう。

A 沖縄地上戦における視点
ア、軍民混在の中で、どのような人間破壊が行われたのか。想像の産物が文学であるが、沖縄戦は想像を越えるものであった。それゆえに沖縄戦の戦場は、文学として成立しがたい。

イ、人間破壊の態様も個と集団が渾然としている。特に、日本軍の態様は軍隊のもつ個 と集団の関係において不明瞭である。しかし、日本軍の本質ともいうべき「天皇の軍 隊」を背負った個であったことを見逃してはいけない。

(4)戦時体制後の視点
@ 国内における戦後の視点
ア、如何に戦争を反省したか。如何に己の生きざまを振り返ったのか。
イ、アメリカのアジア戦略に基づく単独占領によって、国内における戦争に対する反省  (戦争責任の追求や天皇の責任問題についての論争等)は有耶無耶にされてしまった。
→現在に尾を引く日本人の曖昧さの問題

A 沖縄における戦後の視点
ア、地上戦の真っ只中に放り込まれた県民の戦争意識は、被害意識の増幅となっ戦後を迎えた。しかし、戦後はアメリカの軍事支配の中で新たな戦争状況の中に放り込まれた。したがって、沖縄における戦後の視点は、己の被害意識を拡大した過程であったと言えよう。
イ、「本土復帰」後において、日本化された目で見た時、アジアが見え、沖縄が見えた。 その時、加害意識が芽生えた。そのことは「沖縄」対「本土」での視点ではなく、同 化された「日本」の視点をもったことを意味する。

B 植民地における戦後の視点
ア、生と死の偶然の結果によって、生き残った兵達は、どう己の戦争体験を表現していったのか。去る太平洋戦争では敗者となって終わったが、戦争の状況では、敗者と勝者の区分よりも、人間としていかに生き残ったのか、が問われなければならない。
イ、それは、戦闘の前と中と後という一連の中で己をどう見つめているのか、というテーマに重なる。
ウ、日本軍を背景にして植民地、侵略地に赴いた日本人の視点はについても問われなけ ればならない。それは、軍隊の力を背景にして植民地や侵略地の住民を含む彼の国と どのような関わり方をしたのか、である。

5 戦争の概念の確立
(1)戦争の本質と現象
・侵略戦争、抵抗戦争という形態について言えば、戦争は具体的なものであり、抽象的 な戦争は存在しない。

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