ミニ講座の部(2001年度)  

1 沖縄戦と三和地域の状況
(1)沖縄戦の特徴 
 (省略)→参照「沖縄戦論評・沖縄戦の特徴

(2)三和地区の沖縄戦前  
@ 地域住民
・日本軍への最大動員〜徴兵年齢(20〜40歳)の拡大により、17〜45歳まで  の男子の陸軍防衛召集、学徒動員、義勇隊動員、愛国少年団動員、在郷軍人会動員等
・日本軍への協力〜陣地壕づくり、食糧供出、住宅提供、炊事手伝い、食事提供、金属供出、水汲み、飛行場建設、戦車断崖建設、陣地構築の松の木 の調達、銃弾のさび落とし、ヒマ油供出、
・女子青年は補助看護婦として動員
・訓練〜消火訓練、灯火管制訓練、竹槍訓練
A 地域の子ども
・字ごとに分団を組織して集団登下校、奉安殿での最敬礼、御真影・教育勅    語の避難訓練、
・字ごとに閲兵分別行進の訓練、金属供出、部隊への水汲み、兵舎建設のカ  ヤや竹取 り、軍馬の草刈り、
・昭和20年3月になると、14歳以上の少年は弾薬運び、少女は炊事の手伝い  
・14歳の少女が喜屋武にあった歩兵第32連隊第2大隊の医務室で手伝い。
・戦闘がはげしくなると、15〜6歳の少年まで義勇隊として動員

(3)三和地区の沖縄戦の主な経過(抜粋)
・昭和19年(1944)10月10日… 喜屋武方面から米軍機多数が那覇方面へ飛んでいき、那覇方面が燃えているのが見えた。
・昭和20年(1945)3月23日〜25日… 米須に空襲、艦砲あり。
・4月…真栄平、米軍焼夷弾で焼ける。
・5月23日…米須、真壁、真栄平の三角点に砲兵隊が布陣(支援態勢)。喜屋武には 沖縄海軍根拠地隊が布陣(予備軍)。
・5月24〜31日…首里防衛に失敗した日本軍の各部隊や陸軍病院関係が三和地区 一帯に移動してくる。
・5月30日…摩文仁一帯に米軍の艦砲攻撃。
・5月下旬…このころ、那覇・南部他地域からの避難民が激増。
・6月…糸洲、艦砲や迫撃砲を受ける。避難民と日本軍の敗残兵が混在し、喜屋武 方面や摩文仁方面へ移動。
・6月3日…沖縄県の首脳部が轟壕に避難。
・6月10日…小渡一帯米軍の猛攻。真壁・米須部落だけでも一時間に5ボンドロケット弾800発。
・6月13日…摩文仁一帯米軍ナパーム弾攻撃
・6月17日…日本軍連隊本部全滅解散。国吉、真栄里米軍占領。伊敷付近で戦闘。 糸洲のガマで米軍馬乗りガス攻撃。
※このころの日本軍の残存兵力〜約3万(20%は防衛隊)
・6月18日… 小波蔵、伊礼、石原で戦闘、占領。真栄平包囲。新垣北方の洞窟など 粉砕。
・6月19日… 摩文仁に米軍戦車攻撃。米須付近で戦闘。真壁の西で戦闘。真栄平で戦闘。喜屋武の丘で戦闘。伊原の丘に米軍進攻。真壁─伊礼、石原占領。米須海岸 占領。
・6月20日… 摩文仁で戦闘。新垣占領。真栄平北占領。
・6月21日… 小渡占領。喜屋武丘陵占領。荒崎占領。摩文仁丘占領。
※米軍、日本軍の組織的抵抗は終わったと宣言午後(1時5分)。
・6月22日… 真壁占領。(牛島司令官・長参謀等の自決説)
・6月23日… 真栄平南東の壕爆破、戦闘ほぼ終結。牛島司令官・長参謀自決。真栄平の拠点攻撃、米須、喜屋武、摩文仁一帯を掃討。
・6月24日… 轟壕の日本兵投降。
・6月26日… 野戦病院の学徒隊解散命令。
・6月28日… クラガー(宇江城)の入り口爆破。(以下省略)

(4)三和地区の主な避難壕の状況と犠牲率

 主 な 避 難 壕 と そ の 状 況 犠 牲 率
真壁 ○アンディラ(千人壕)〜・球部隊野戦重砲兵第1連隊(山根大佐)の野戦病院(5/27)・連隊本部も入る・6月20日米軍に包囲されて降伏・区長が「戦果」を報告していた。・字民追い出し
○アンガー〜・第24師団(山部隊)第2野戦病院(小池少佐)の分院(5月始め)・6月野戦病院解散命令→動ける者は本隊(糸洲の本隊)に復帰、動けない者は自決せよ。・字民追い出し・食料強奪  
○タジリガマ〜・山部隊歩兵第22連隊(吉田中佐)・患者収容所を開設(6/12)
沖縄戦関係 
631名(41%)
地元犠牲率 
83、3%  
宇江城 ○クラガー〜・軍の陣地・山部隊の看護隊、炊事隊が共にいた。・6月5日山部隊指令部(雨宮中将)が後退して近くに野戦陣地を構築。・字民追い出し        
○アブガマ〜・昭和20年3月末〜艦砲で避難する。・軍の病院壕になる。・字民追い出し      
沖縄戦関係 84(50)  地元犠牲率 94、0%
真栄平 ○アバタガマ〜・字民追い出し(5/25)       
○アルギン〜・字民追い出し・日本兵による住民虐殺   
沖縄戦関係 553(56)
地元犠牲率 83、9%
新垣 ○イクサミチジガマ〜・字民追い出し→抵抗→日本兵と同居  ○小橋川の屋敷壕〜・弾薬倉庫として接収される       
○ムンクエアブ小      
沖縄戦関係 239(50)
地元犠牲率 75、3%
伊敷 ○トーグワの壕〜・住民追い出し(病院にする)      
○クラガー(一本松の壕)〜・住民追い出し・山部隊の野戦病院(小池少佐)分院 ・6月17日分院解散(青酸カリ使用)
○轟壕〜・避難民と敗残兵千数百人・県庁幹部が避難(6/3)・馬乗り攻撃(6/18)→住民の所在で中断→投降勧告・投降(6/24)
沖縄戦関係 57(46)
地元犠牲率 75、4%
名城 ○アバサーガマ〜・警防団・日本兵が追い出し(安全な所への勧告)      
○ウッカーガマ〜・字民追い出し          
○ウンザーガマ           
○アラレーガマ〜何度も追い出し
沖縄戦関係 270(36)
地元犠牲率 84、0%
小波蔵 ○アカサーガマ(糸洲)         
○小波蔵の後ろのガマ〜・字民追い出し   
沖縄戦関係 97(42)
地元犠牲率 83、5%
糸洲 ○ウッカーガマ〜・共同避難壕           
○ウンジャーガマ〜・床板を敷いて整備・字民追い出し・山部隊第2野戦病院(小池少佐)が豊見城城址から移動・積徳高等女学校学徒隊も同居・6月17日〜馬乗り、ガス弾攻撃、重症者に毒物注射・6月26日〜学徒隊に解散命令   
○陸軍病院第2外科壕〜・5月25日〜南風原から移動・6月18日〜解散命令・6月19日〜馬乗り  
沖縄戦関係 69(37)
地元犠牲率 75、3% 
喜屋武 ○隊長壕〜・100人以上が避難       
○フルグスク〜・住民追い出し・食料強奪        
○トンヌマー〜・食料強奪            
○アカンチャー壕〜・銃で脅され米強奪        
○海岸沿いの壕〜・住民追い出し 
沖縄戦関係 399(31)
地元犠牲率 77、4%
山城 ○マヤーアブ〜・班を作り役割分担(水・炊飯・野菜取り)・第62師団が後退してきて日本軍に監視される。(6/18司令部は摩文仁に移動)・その後、日本兵の追い出し・子供を毒殺する。
○サキアブ〜・5月25日南風原陸軍病院本部が移動・6月18日直撃弾を受け病院長が戦死、解散となる。   
沖縄戦関係 86(34)
地元犠牲率 79、0%
福地 ○ンタヒーアブ〜・住民追い出し(棒で殴る)       
○アカサー壕              
○ヒラバルの壕             
○アカンチャー壕(束里海岸) 
沖縄戦関係 60(25)
地元犠牲率 60、0%
束辺名 ○アカンチャー壕           
○ワイトゥイの構築壕(東)〜・地雷置場          ○ワイトゥイの構築壕(西)〜・地雷置場          ○ミーガー壕〜・追い出し(与座岳に行け)・字民の抵抗に軍刀で脅す     
○ウマウトゥシ〜・山部隊防疫給水部隊(金井少佐)が入る。
沖縄戦関係 62(36)
地元犠牲率 74、1%  
上里 ○アガリン壕(東の壕)〜・住民避難壕。・ひめゆり学徒隊のグループにガマをだされた(譲った?)。
○イリーン壕(西の壕)〜・住民避難壕。  
沖縄戦関係 40(29)
地元犠牲率 77、5%
南波平 ○サーターヤー壕〜・字民の避難壕・字民追い出し・負傷兵の壕に使う。                
○つら山の壕              
○シマアガリの壕 
沖縄戦関係 83(36)
地元犠牲率 75、9%
石原
  ・伊礼
○アグテラ壕(自然壕)〜・陸軍病院第一外科壕・住民追い出し○チブラアブ〜・陸軍病院第3外科壕・住民追い出し(6月始め)
○自然壕(ひめゆり塔西側)〜・大田病院関係者も同居 
沖縄戦関係 97(31)
地元犠牲率 75、3%
米須 ○鎮魂之塔壕〜・軍民混在・日本兵の抵抗でガス弾・火焔放射攻撃を受ける。    
○忠霊之塔〜・住民追い出し(野戦病院に)・軍民混在・住民を奥にして、日本兵が抵抗、ガソリンを流し火を付ける。    
○カミントウ壕〜・軍民混在・「デテコイ」に応じない。入口の日本兵が出さない。・焼夷弾をなげこまれる・「集団自決」 
沖縄戦関係 735(58)
地元犠牲率 87、0% 
大度
  ・小渡
○アマンソウガマ〜・追い出し(山原に疎開せよ)・再入壕・再追い出し                
○マヤーン壕              
○チビウサギー壕〜・日本兵によって殺されかかった女性(スパイ容疑)・他の日本兵が助かる 
沖縄戦関係 134(43)
地元犠牲率 78、3%
摩文仁 ○ウチャタイ壕(1班)〜・追い出し・食料強奪       ○アカミの壕(2班)〜・追い出し・食料強奪        ○カーデラの壕(3班)〜・追い出し・食料強奪      ○チカドーの壕           
○ハンタ原の壕 
沖縄戦関係 140(36)
地元犠牲率 77、10%

                       (「糸満市史資料編7」から作成) 

(5)三和地区の全般的特徴
 @ 沖縄戦の特徴的問題が露出した戦場。
・第32軍が長期持久戦のためにガマ(壕)の多い喜屋武半島を選択。
・那覇・首里地区および中南部住民の避難時期のズレに伴う喜屋武半島への避難集中し、住民・避難民と日本兵の混在した戦場。
・日本軍敗退の後の米軍掃討戦の戦場となった。
・組織的戦闘が不可能となり、敗残兵としての日本兵の行動。
・「降伏」なく、米軍の徹底的攻撃に晒された。 
A住民と避難民を巻き込んだ沖縄戦最大の修羅場。
・日本軍駐屯により、避難脱出機会を失する。
・日本軍の戦闘計画に無原則的に協力させられた地域
・日本軍や日本軍関係機関(陸軍病院等)にガマを追い出され、また、やむなく提供させられた。
・日本軍敗残兵による暴虐的仕打ち。
・日本兵の自虐的抵抗に対する米軍の無差別攻撃の拡大。
・那覇や中部、南部他町村からの避難民との摩擦。

2 沖縄戦におけるガマ(壕)
(1)ガマ(壕)の役割
  ・日本軍の陣地として 
  ・野戦病院として 
  ・住民の避難壕として
  ・他地区からの避難民の避難壕として
  ・日本軍の敗残兵の避難壕として
(2)日本軍とガマ
・昭和19年武部隊が駐屯すると、ガマに陣地構築をはじめた。弾薬庫や食糧倉庫、部隊居住などである。一方、軍関係病院壕としての整備も進められた。
・米軍との戦闘が始まると、ガマを使った抵抗戦が計画され、日本軍の命により地元住民をガマから追い出し、住民を米軍の猛爆に晒した。(第一次ガマ追い出し)
・首里戦線を突破された日本軍は組織的な戦闘はできず、小集団がそれぞれにガマの避難民を追い出し、ガマを根城に散発的な抵抗戦に入る。その結果、住民および避難民を米軍の猛爆に晒した。(第二次ガマ追い出し)
・米軍の掃討戦の状況の中で、日本兵は敗残兵として住民をガマから追い出し、或いは雑居し住民を巻き込んでの玉砕戦の様相を呈する。(第三次ガマ追い出し)
・日本兵は、住民の食糧や飲料水を奪った。
・米軍の攻撃に対して住民を楯にした。
・住民の投降に対して阻止、妨害した。
・住民をスパイ容疑等で殺した。
・泣く子どもを殺したり、殺害強要をした。
・ごく一部、日本兵の虐待から住民を助けたり、米軍への投降を勧める日本兵もいた。
(3)米軍とガマ
・ガマの攻撃…「馬乗り」・ガソリンを流して火をつける・手榴弾を投げ入れる。ガス弾(毒ガスを含む)を打ち込む。
・住民がいると、投降勧告をし、応じないとあらゆる攻撃をした。
(4)ガマ(壕)の状況
@地元住民
・食糧倉庫、水汲み場→夜間避難場所→昼間も避難→他の住民も避難してくる。
A住民・日本兵雑居
・米軍の攻撃の合間をぬって食糧捜しや飲料水確保
・負傷者や病人は放置された。
・移動の時は、歩ける人だけ移動し、その他の人は放置され,もしくは殺された(軍も民も)。
・米軍の攻撃、住民、日本軍の関係によって「集団死(自決)」や「自殺(自決)」が行われた。
・死者は、ガマの外で埋葬したが、後は壕内に放置された。

3  沖縄戦と慰霊塔・碑〜慰霊塔は何を後世に伝えるのか            
(省略)→参照「沖縄戦と慰霊塔
                          
4 まとめ
(1)日本軍の実態
・天皇の軍隊として存在し、住民を守る軍隊ではない。
・軍隊の組織として行動する日本兵は、天皇の命令を行動しているという意識
・中国侵略戦争を進めた「関東軍」の一部が急遽沖縄戦に投入された。
 ※牛島司令官、長参謀の役割。 
・組織的戦闘が崩壊した後は、個人の人格の発露が認められる。
(2)アメ リカ軍はやさしかったか。
・「日本軍は怖かったが米軍はやさしかった」という証言の持つ意味
・米軍の戦闘状況との関係で検証すべきである。
・捕虜収容所での米軍の捕虜への対応
・沖縄占領後の米軍の軍事的支配の側面
(3)沖縄住民は被害だけか。
・被差別の差別
・語られない戦争体験(加害者としての行動)

戻るトップへ