「ヒロシマ神話」のまとめ(光村図書3年)     「ヒロシマ神話」の授業

1(女子)

 普通、死んだ人は生き返りたいと思うと私は考えていたけど、この詩にはほんとうの死≠ェ欲しいとありました。

    初めてこの詩を読んだ時(なんでもう一度死ななきゃいけないの?)と思っていたけどこの人達のほんとうの死の意味を知り、私ってぜい沢者だなと思いました。もし、私が死んでも、きっと死体は残って、魂になっても(私はしんだんだ)と理解できると思います。しかし、この人達は、何を証拠にして「死んだ。」と言われるの?とか、死んだ証拠が無いのなら生きているという理由もないなんてものすごく悲しすぎる気がします。

 深く考えずにこの詩を読んだ後は、ただ被爆者の人の魂が早く成仏出来るといいなと思っていただけでした。意味が取れるようになり、だんだん深く考えられるようになると、私が生きている事や平和な国に住んでいるという事がとても大切な事で、もう二度とこんな事が無いようにと祈るだけじゃなく、もっといろいろな核兵器反対の運動に参加して一日でも早く世界中から、核兵器がなくすようにしてほしいです。

2(女子)

 私は、原爆についてあまり関心がなかった。が、修学旅行で、資料館を見たり、爆心地を見て回ったり、被爆者の話を聞いているうちに、原爆の恐さ、残酷さなどを身にしみるほど感じた。

 前までは、「原爆ってむごいなー。」とか、「恐ろしい。」などという考えが今では、胸が痛くなったり、身震いするほどにもなった。

私が一番、興味を持ったのが、被爆者の話だった。初めは、「つまらないなー。」と思って聞いてなかったけど、段々当時のことを想像してしまった。原爆を落とされた瞬間、何万度という熱や風で、何十万人の人々が亡くなったか……。悪夢を見ているような感じだった。
 「それは火で刻印された二十世紀の神話だ」という部分で私は、このことが二十世紀で最大な事件ではないかと思う。

   石段に焼きつけられた影は、誰がどうすることもできない。平和を願うたくさんの心があったら、少しは原爆で亡くなった人も救われるのだ。その心さえもなかったら、人間としておしまいだと思う。「自分たちの身の回りで起きた事じゃないから別にいーさー」などという考えは捨ててほしい。同じ人間として、もう二度とこういう事がないように二十一世紀へ向けて願っていてほしいものである。

3(男子)

   「ヒロシマ神話」、教科書をベラベラとめくっていて目についた題でした。その時私は、「あー、また原爆のことだな。たまには沖縄のことものったらいいのになー」と思いました。広島や長崎のことが多くとりあげられているので、少しねたみをいだいていたのかもしれません。しかし授業を受けるにつれ私が持っていた感情は非常に失礼なものであったことに気づきました。

   「一瞬にして透明な気体になって」
頭ではどんなことを意味しているのかは分かっていましたが、実感がわきませんでした。しかし学んでいくにつれて意味が分かってきました。それは、もろもろの死に伴うものを経験することなく死んだ…。ということでしょう。実にいやな死に方です。自分がいつどこでどのように死んだかだれも分からないのです。何が何だか分からないまま燃えてしまったのです。その人がどんな死に方をしたのか、どんな気持ちでいたのか知るよしもありません。知っているのは神様だけです。

   又、という文の「魂」は、私は「霊」という意味ではなくて一瞬にして死んだ人々の無念さを象徴していると思います。

 話はかなりそれますが最近聞いた所によると、当時アメリカ大統領の故トルーマン氏は計十六個の原爆を日本に投下する予定だったようです。恐ろしいと思いつつも、トルーマン氏をそこまでの気特にさせた日本の蛮行も非難されるべきでしょう。ですから私達は、軍部の暴走を止められなかった分精一杯努力しなければなりません。

   「影」を解き離つためには、日本人だけでなく全人類が心から平和を願うなら必ず戦争がなくなることでしょう。そうなるなら軍隊もなくなり、去年の九月に起きた少女暴行事件のような悲劇もなくなると思います。

 では、まず、戦後五十一年にあたって沖縄戦を再確認しましょう。ただ節目節目にチョコッとだけ考えるのではなく、毎年風化させないように思い起こしていきましょう。
そうすることによって、平和のありがたさを実感していきましょう。

4(女子)

 現在、ぜいたくで豊かな生活をしている日本が五十年前は、こんなに悲惨な出来事があったとは、簡単には想像できない。

 私は「ヒロシマ」という字にまず目がいった。どうして「広島」を片仮名で表しているのかと思ったが、読んでいくうちにこの「ヒロシマ」は、単に日本の地名としての広島ではなく、人類史上初の核兵器による被災地として、歴史的な悲劇を世界に伝える意味が込められていたという事が分かった。

    戦争と原爆がなければ死者達が過ごせたはずの人生が、原爆が投下された魔の一瞬に失われてしまった。その一瞬のうちに命を失った人達は「肉体」は消滅したが、「魂」はどこに行っていいのか分からないでさまよっている。原爆による死は、なぜ自分が死ななければならないのかが分からないままの突然の死だ。「ほんとうの死」つまり、自分がまっとうして迎える死のことだ。今空中でさまよっている人々は今もこの死をまっているのだと思う。

石段に焼きつけられているひとりの影も解き放つのをまっている。死者達を束縛から解放できるのは今この時代に生きている私達だ。

 「神話」とは実際にあった出来事ではない。原爆のもたらしたあまりの悲惨さに対して、とても実際の出来事とは思えない、こんな道理に合わないことが現実に起こってたまるか、と思いがあるからの表現だと思う。

 死ぬという自覚もなしに、一瞬のうちに命を奪われた人々の魂の叫びが私達に訴えている。「ほんとうの死を…」と。

 原爆をめぐる諸問題が今核兵器実験をしているフランスや中国の全人類すべてに共通するよう少しでも早く核兵器という恐ろしい物をなくしたい。

5(女子)

 私がこの詩を読んで心に残っている言葉は、「それは火で刻印された二十世紀の神話だ」というのです。

    この言葉で戦争は忘れてはいけない、あるいは一発の原爆での悲惨さを、忘れてはいけないと言っているように思う。自分は戦後生まれで、戦争(原爆)のおそろしさを知らないけど、この詩で表現されているより、もっとこわいと思う。たった一発の原爆で一瞬に、自分の体・家族・愛する人を失うことは、とてもつらいと思う。しかも、死を味わうことができない、そしてまた、ほんとうの死を与えよというのがなんか、とても悲しく思えた。

 長崎の平和資料館に行ったとき、熱でぐにゃぐにゃになったビンや、ケロイドの写真、放射能で髪の毛がぬけた写真など、思わず目をそむけたくなるような物がたくさんあった。でも、この詩を読んで戦争(原爆)は、私達祖先がやってしまったことなので、そむくことはできないと思った。

 戦争は忘れてはいけない、これからもずっと平和である

6(女子)

 どうして自分が死ななければならないんだろう。なぜこんな醜い姿にならなければならないのか。原爆の被害にあった人々は、一瞬にしてこの世に存在しなくなった人達のことを考えると、自分が五体満足で生まれ、何の苦労もなく生きてきたことを本当に感謝し、考えさせられる。

    あの失われた時から石に縛られている影は、どんな世の中を見てきたんだろう。たくさんの人々が自分の前に立って何かをつぶやく。そして祈る。しかし誰もこの石から、ワタシを助けてはくれない。ただそう祈るだけ。

 私は、戦争を経験していないので、かわいそう、ひどい、などしか言えないけれど、被害にあい、ヤケドを負っていたなら、きっと死にたいと思ったにちがいない。でも中には原爆の恐ろしさを多くの人々に感じてほしいために、自分の負ったヤケドを進んで見せてくれる人もいる。自分の醜い姿を他の人たちに見せるということは、どんなに辛いことなんだろう。そのようにして、世界中の人々が平和というものが、いかに大切かをいっそう認識して、これからの将来における目標となればと思っている。

7(女子)

 私は、この「ヒロシマ神話」というのを読んで、はじめは、ただ、かんたんに、戦争のことを書いているんだなあと思ったけど、でも最後まで読んでみて、自分が初めに思ったこととは、全然別で戦争に対して、いろいろと詳しく書かれていた。

 例えば、戦争にしても、痛い思いをして、死ぬのではなく、それから、死んだ後に何かが残るわけでもないこと。
それは、この本に書かれていたように、「一瞬に透明な気体になって消えた」というこのたったの一行で私は、戦争に対する「恐怖」と「恐ろしさ」そして、「惨たらしさ」をとっても詳しく知ることができた。

一瞬に、自分の目の前から何もかもが消えてしまうという恐怖は、誰しもが分かることではないのだから。しかも、自分の目の前のものだけではなく、自分自身までもが、消えてしまうと言うこと。私は、それがとても信じきれない。

 この「ヒロシマ神話」というのは、この戦争で一人一人が、何の罪もないのに、戦争と言うたった一つの争いでこんなにたくさんの人々の失われた命など、この「ヒロシマ神話」というものが、一つ一つの言葉に、大切な意味や思いがこめられてるということを、私はこの「ヒロシマ神話」という詩を読んで思った。

8 (女子)

 はっきりいって、この詩はこわい。とくに、影をひき放された私の肉体はどこへ消えたのかの所。でも、この二行は、よく理解できる。作者の言いたい事がよくわかるしこの影の本人がそういってるような気がする。

    この詩の中に「いつになったらだれが来てその影を石からひき放つのだ」の所も、まるで今とちがって戦争のないとても平和な時代がきたら、きっとみんなは、戦争の事は忘れるんだろうな、だからこの影は、この石だんにへばりついてる必要はないといってるようだ。

    でも私は、五〇年前に悲しくて、おそろしい戦争があったって事は、忘れてはいけないと思う。罪のない人々が次つぎと死んでいくおそろしい戦争。戦争をおこした者、それが同じ日本人だというのは、悲しい事かもしれない。

9 (男子)

 ヒロシマ神話を読んで、僕はこんなに悲しいことと、昔このように亡くなったという人がいたという事実を知りました。

 最初読んだとき、どういう意味なのかわかりませんでしたが、授業をすすめているうちに、だんだんと分かってきました。戦争経験者なら、すぐに読んでどういう意味なのか分かったと思いますが、僕たちのように戦後生まれた人たちがこの詩を最初読んで、どういう意味なのか、僕のように分からなかったと思います。どれほど僕たちが、戦争の知らない時代に生まれ、平和な暮らしをしてきたか、この詩を読んで、今の時代に生まれてよかったと思いました。

 この詩は一人の人が、石段に焼きつけられていることを、書いている詩で、(われわれにもう一度本当の死を与えよ)という死者の言葉に、とても強い印象をうけました。

    普通死″なんてものは、誰もがいやなもので、来てほしくないものなのに、この死者は、いちおう自分が、死んだということが分かっているけれども、なぜか、この死者は、本当の死を与えよ″と、つよく叫んでいる。その死者が叫んでいる本当の死とは、感情があり死体がある死と、授業で教えてくれたけど、この死者たちは、その条件が全然そろっていないということは、きっとこの死者たちは、まだ、この地にさまよっていると思います。

    僕は「りんね転生」という言葉を知っています。どういう意味かというと、死んで、成仏した霊が、また、同じ生き物に生まれ変わることを、意味するそうです。本当の死を与えられていない、この死者たちは、きっと、りんね転生ができないで、ずっと原爆で死んだことを、うらみつづけながら、この世にさまよっているのだと思います。

 もし、この死者たちが、生まれ変わるとしたら、いつ、どのような時代に、生まれ変わるのか誰にも分からないけど、きっと戦争や争いごとのない、平和な時代に生まれ変わると思います。

    だけど、このような時代は、何十年後、何百年後になるかもしれませんが、世界中の人々が戦争廃止の願いと、それに対する反対への行動をしたら,、きっと死者の影は亡くなり、平和になると思います。

 僕もこれから、戦争がなくなるために、戦争に対する範囲の行動を、いろいろさがし、世界中の悪意がこの世からなくなり、あの死者の影がなくなることを、心から願います。

10(女子)

 「(われわれにもういちど人間のはんとうの死を与えよ)」という文章が、一番心に残った。人間のほんとうの死を望む人(霊)がいるということが怖い。ふつう、死んだ人間なら、もう一度生きたい、命をくれというはずなのに…。

 原爆は、たくさんの人々が、光や熱や見などで命を落としていったという。「ヒロシマ神話」では、その中の光によって肉体が消され、影が石に縛られているという人をとり上げていた。私は、最初、「本当に影だけ残るのか。」という疑問があった。もしかすると、何かのしみが、人の形のようになってしまったのではないかなどと、疑ってしまった。しかし、「ヒロシマ神話」を深く読んでいくうちに、そうだとは、思えなくなった。でも、私は、光によって人間が失くなるなんて、考えたくはない。

 ところで、昔見た映画のワンシーンで、人間が、原爆によって、亡くなったり、失くなったりするのを見たことがある。その中で、熱によって失くなってしまう人間は、一瞬で肉がどろどろになり、数秒後には、骨になっていた。口を開けたままで…。恐ろしかった。何か、悪夢を見ているような感じだっだ。

 私は思う。戦争というものがあると、絶対に影の人は、自由にはなれない。これから後戦争があるとすると、人々は、ヒロシマや、ナガサキや、オキナワに対して、どういう態度をとるのだろうか。ただ単に、生き物を傷つける無意味な戦争など、なくてもいい。今すぐにでも、世界各地から、戦争を失くしてしまわなければ、死んでしまった人々の魂は、むくわれないと思う。

 私は思う。『平和』とは、世界中のだれもが望むことなので、戦争は、絶対にしない、させないという気持ちをもつことが、一番大切なことだと……。

11(女子)

 私達は戦争を知らない世代で、それを体験した人達の話を聞かなければ分かりません。沖縄は唯一の地上戦で、たくさんの被害者が出ましたが、長崎や広島では、たった一つの原子爆弾で多くの死傷者を出してしまいました。 一九四五年八月六日。その日は人々の運命を変えてしまった呪わしい広島市への原爆投下の日である。人々はいつもと変わらなかった。原爆投下時間は八時十五分、朝食時である。

 それにしても、たった一発の核兵器で何千人、何万人の命が失われるおそろしい原爆とはどんなものでしょう。原爆を投下して、その熱や火などで殺されるならまだしも、約五十年たった今でも原爆病で死んでいく人が後を立ちません。もし私が広島に住んでいて、原爆に合い、幸いにも命が失われずにすんだとしても、その時のキズや、放射能をあびて白血病にかかったりしてしまい死んでいく。そういう人が五十年たった今でも続いているんです。そういう人達がいる限り、戦争は終わっていないなあと思います。

 「ヒロシマ神話」にあったひとりの影が石段に焼きつけられているものは、以前、テレビでやっていた白馬の映画でみたことがあります。白馬だったけど、石段と影の違いがはっきりでていたし、その影の主の様子がありありとよみがえりそうな、そんな様子でした。ちなみに私がみたのは立っている所ではなく、たぶん男の人だと思うけど、その人が石段で座っているものでした。

 もともと戦争の原因を作ったのは誰だったのでしょう。私達の国、日本だと思います。日本がハワイの真珠湾に奇襲しなければ、大平洋戦争にまで発展しなかったのだろうし、広島や長崎の原爆、沖縄での地上戦も行われなくてすんだでしょう。
アメリカ側の人達だってもちろん悪い。しかし、もっと悪いのは攻撃しかけた日本です。日本のわがままさ、一度も戦争で負けたことのない自信、これさえなければ、日本だけでなく、中国やその他の国々を苦しめることはなかったでしょう。

 世界の中の国々で内戦がおこっていますが、これからの世界はいつまでも平和でいられたらいいですね。

12(女子)

 あの時代に生まれてこなくてよかった……。人間として残されたものは、何もないのです。あるものは──魂そして心、今まで、これほど人類が発展するためには、このように恐ろしい過去があったのです。

    もう二度と、犠牲者のためにも、このような過去を起してはなりません。未来を、美しい地球上を、決して、戦争というもので汚してはいけません。

 私は、本当にあの時代に生まれなくてよかったと思います。もし私が、あの軍国主義の時代に生まれ、あの恐ろしい戦争と出会い、私が生き残ってしまったら、両親を失ってしまい、兄弟もいつのまにかいなくなり、何一つ家族を失ってしまって、滅絶以外にこの世の中に何が残るでしょう。そして、周囲は、死体ばかり、しかも人間が、これほどまで、やけどを負えるのかと思うぐらい、恐ろしいほど、焼けただれた肌、それから、男性、女性の区別のつかない人々、気が狂う以外に、前方に何が見えますか。

 本に書いてありました。死を飛びこえて魂になった……。と。私は、初め、その言葉の意味を軽い意味でとらえていました。案の定この詩を読めば読むほど、その意味は、この世で最大の意味を含めているような気がしてなりませんでした。

 何もかも失い、魂だけを残された人々、体のかわりに、影が残ってしまった人々、なんて、可愛そうなのでしょう。人々をこれほどにするほどの力を持っていながら、何故、他の科学に使わなかったのでしょうか。

   戦争という、悪事行為を行う人間は、民を何だと思っているのでしょうか。自分というものを失った人々、痛みを覚えて死んでしまった人々、又、原爆の光を浴びてしまったために、今もまだ死んでいく人々、それから、未来に死んでいく人々、どういう気持をその小さくなった心に、抱いているのでしょうか。

   戦争という行為を起した人々は、民の考えることさえ、自分達のことで精一杯で考えられなかったのでしょうか。人間なんて、頭脳だけ発達していきながら、心は次第に酷くなっていく……。

 ヒロシマ神話という詩には、ものすごい数の問いかけがあります。もし私に、その質問に答えなさいというのなら、考えはするものの、何も、答えは出てきません。私には、あまりにも、むずかしすぎるのです。

    逆に私が被害者となるなら、もっと質問したいことが沢山あります。どうして……と溢れんばかりの言葉が……。

 本当に本当に、本当の人間の死が欲しかったでしょう。
自分は、生きていたんだ。″という証が欲しかったでしょう。民は、何も悪くないのに、何故、殺されなければならないの……? 残された影、肉体が欲しいでしょう。この影を見れば、みんな気味悪がって近づかない、このまま、一生不の死の心を持った影は、このままずっと何を待たなければならないのですか。消えることのない影の中で……。

 本には、いつになったら誰が来て、その影を石から解き放つのだ″と書き印されてありました。だけど、私には、そんなことは出来ない。可哀そうとか言いながらも出来ません。たてまえでは、言えても、本音では、そんなつらい言葉しか出てこないのです。ひどい人間と思うかもしれませんね。だとすれば、あなたには、そのような行動を起すことが出来ますか。

 もう二度と戦争というものを起こしてはなりません。人の気持ちを考えきれない人間なんて、人ではありません。こんなに恐ろしい物を作れるぐらいなら、他のことに向けて欲しかった……。

 私には、被害者の気持を安らかにさせることは、きっと出来ません。戦争が起きることを止めさせることが出来たとしても……。

13 (男子)     

 何の罪のない人達も、原爆で死んでしまいました。この「ヒロシマ神話」では、(死はぼくたちにこなかった)(一気に死を飛び越えて魂になった)(われわれにもういちど人間の本当の死を与えよ)と書かれていました。死体までが熱線で溶けて、骨さえも残らずに一瞬で殺されてしまい、かわいそうだなあと思いました。「生き返らせてほしい」ではなくて、「人間の本当の死を与えよ」などという願いを普通はしないと思いました。もう、この世に思い残すことは何もないのかなあと思いました。生き返っても、またこのような死に方をするかもしれない。だから、どうせ死んでしまうのだから、他の人と同じように火そうされてい骨を墓に入れて、みんなにくようされたいという思いから、こういう願いを言っているんだと思いました。

   一番驚いたのは、(その中のひとりの影が石段に焼きつけられている)という文でした。原爆の光で一瞬、自分の後ろに影ができ、そのあとにきた熱線で、体が燃えつき、影さえも燃えてしまったそうです。本当にこういうことがあるのか、と思いました。でも実際に広島の原爆資料館には、実物が展示されているというのでびっくりしました。実物を見たらきっと恐ろしくなると思います。自分の肉体だけでなく、影までもが燃えるなんて、考えたくもありません。本当にものすごいことがおこったんだなあと思いました。

 修学旅行で長崎に行ったとき、被爆者の永野さんの話を聞きました。原爆が落ちたとき突然、目の前が明るくなって、目が見えなくなり、見えるようになると建物などは、みんな壊れていて、この世の終わりかと思ったそうです。大好きな弟の皮膚は、焼けただれていて、かつぐことすらできなかったそうです。聞いていると、まるで地獄のようだなあと思いました。

14(女子)

   一九四五年八月六日、それがヒロシマに原爆が投下された日、ということは知っていたはずだったけど、いつの間にか忘れていた。

 修学旅行で「原爆資料館」へ行って、原爆によるたくさんの恐ろしい被害や、当時の人が書いた文章を読んで、今まで以上にくわしく知ることができた。爆風や熱線、放射能などによって一瞬で死んでいった人、病気になって苦しみながら死んで行った人など、かわいそうだと思いました。

 それから、この「ヒロシマ神話」を読んで(死はぼくたちに来なかった)というのが、私は印象に残りました。本当に一瞬で、ヒロシマの街のたくさんの人たちや、風景を奪い去ったことでしょう。死が来なかった人たちは、とてもかわいそうです。私には、死を飛び越えて魂になるということは、経験したことがあるわけないから、「とてもかわいそうだ」と言葉に表すことができても、本当にその人たちの気持ちを感じることは無理だと思います。 また、あまりにも一瞬のことだったので、自分が死んでしまったことにも気づかない哀れな人もいたでしょう。肉体が残る人間の本当の死を迎えるという、当たり前のこともできないこんな最悪なことは、もう二度とおこってはいけないことだと思いました。もし、今空から爆弾が落ちてきて「ヒロシマ神話」のようになってしまったら……と、考えると空を見上げることも、できなくなってしまうでしょう。

 あの影のような犠牲者がでないように、「ヒロシマ神話」のようなことが二度とおこらないように、世界中の人々が平和になって、あの影が自由になれる日が来るといいなと思いました。

15 (女子)

 ヒロシマ神話を読んで本当に、体があっという間に一瞬で消えるのかなあと思いました。それも一人じゃなく数百人も消えるというのを読むと、原爆の恐ろしさが伝わってきました。その消えた数百人の人々は、どういう思いを残して一気に死を飛び越え魂になったのでしょうか。

   「われわれにもう一度本当の死を与えよ。」というせりふを読んで、はじめ私は「はあ。」となりました。普通なら「もう一度生きかえらせて、もう一度残った人生を歩みたいから。」とかなのに、このヒロシマに落とされた原爆で亡くなった数百人の人々は、「もう一度本当の死。」なんだろうとはじめは思いました。でも、何度も何度も読んでみると、その「もう一度本当の死を。」の意味が分かるような気がしました。

 それは、死体がなくてこの辺を漂うよりも本当の死があれば、死体もあるし、安心して天国に行けるからだなあと思ったからです。

   一瞬にして、体が消えるほどの熱い光熱で、体を燃やされると、痛いと感じないで原爆の光だけ見て、何も考えずに死んでいった何百人の人々は、今どういう思いでいるのかなあと思います。

 七千度という温度で影も肉体も、燃やされて今、長崎にある資料館には、石の壁に肉体より早く人間の影やはしごなどが、焼きつけられていると、広島の石段に実際に焼きつけられているのを目の前に見て、あ然としました。それほど、強い光、放射能などを受けたのは、先生もいってたように、今の科学では実験しようとしても、無理だと思います。

 今まで、フランスや中国では海で核実験をよくしています。それを、テレビで見ると大きな海の所でいきなり大きな爆発がおこったと思うと、海が白くなり、すごいのを見たなあと思うだけでした。核実験をして、何の得になるのか、ただ自然を破壊するだけなのにと思いました。だけど、核実験をする国は自分たちの国が強いというのを宣伝したいためにすると思うと、心が痛くなります。やっぱり核実験もいけないことだと思い、その実験を行なっている人々は、今から51年前のあんな悲惨なことを忘れたのでしょうか。ただ意味もなく多くの人々が死ぬだけなのに…

 ヒロシマ神話の最後に「いつになったら誰が来てその影を石から解き放つのだ。」というのを読んで、私は早くこの世界が平等で、戦争のない平和な世界になって今、石に縛られている人を解き放つようにがんばりたいです。そのためには、51年前にあった悲惨なことを忘れず、みんなが助け合って生きていくことが大切だなあと思いました。
 このヒロシマ神話が世界の人々に読んでもらって、みんなで平和な世の中を作りたいです。

16 (女子)

 「ヒロシマ神話」を勉強して、私はとても悲しい思いでした。この話は原爆を落とされて、魂だけがあり、影は石段に焼きつけられて肉体は消えてない。とても悲しい話でした。

 この魂は、「われわれにもう一度人間の本当の死を与えよ」と書いてある。一度死んでいるのに「もう一度本当の死を与えよ」と書いてある。私なら「命を下さい。」と言うと思う。なのに、魂は…

 先生が「せめて本当の人間の死に方をしたい。」と言っていた。その言葉を聞いて心に、「ぐっ」とくる思いでいっぱいでした。

 戦争は、本当の人間がすることではないと思います。私は、心のない者がすることだと思っています。でも、戦争の始まりは、人間の欲望から始まっています。例えば、自分の国にない物が、他の国にあって、それがほしくなりその国を力づくで自分の国にしてしまおうとする欲望が戦争をするきっかけだと思います。

 私は、祖母から戦争の話を聞いたり、学校でビデオを見たり、資料を見たり、先生から聞いたりしてある程度は、知っているつもりでした。でも、「ヒロシマ神話」を読んで少しずつ、私が考えている「戦争」が変わってくるようでした。

 「戦争」は、人間の欲望から始まり、私たちの何ものにも変えがたい尊い命までうばってしまうざんこくなことです。あらためて、「戦争」のこわさやおそろしさを知り、もう二度とおこしてほしくないと思っています。「ヒロシマ神話」みたいに…
 それが、私の今の気持ちです。

17 (女子)

 原爆が投下されただけであっという間に建物や人の命、希望までもが消されてしまった。八千度という高熱で肉体がとけて骨までもがとけてしまう、怖いなと思いました。死体ものこらないで死んでいくなんてじょうぶつできないのもわかるなと思いました。原爆で長崎では七万人も死に、広島では十万人もの人が死んでしまった。こんなにたくさんの人があっという間に死んでしまうなんて私には考えられないな、と思いました。

 石に影がのこるなんてとってもすごいことだなと思いました。とってもすごい光をあびたんだなと思いました。暑かっただろうな苦しかっただろう。でもこの人はそう思う前に一瞬にして消えてしまった、かわいそすぎると思いました。その肉体まで消されて影がのこっている。私はこの影はその人のためにものこしてあげたほうがいいと思いました。自分の骨もなにもないのでこの世の中に自分が生きていたということ、世の中に存在していたということをみんなにしってほしいと私だったら思うなと思いました。

   戦争で死んでいった人達は今もどこかで二度とあの戦争がおこらないように祈っているんだろうなと思います。だから、戦争でなくなった人達の願いを今生きている私たちが、かなえなければならないと思いました。

18   (男子)

 長崎の原爆資料館を見学してきたあとにヒロシマ神話を読んだので、読みながら資料館で見たことを一つ、一つ思い出した。

 資料館で見た物は、どれも目をそむけたくなるような物がたくさんあった。だけど、このヒロシマ神話には資料館で見た事とはまったく違っていて、とてもあっけないと思ってしまった。

 原爆といえば、白血病やケロイドを思い出すけど、痛みも熱さも感じずに消えてなくなる。僕には想像もつかなかった。死体が残らない、影しか残らない、草木も人も何もないただのがれきの山、授業を進めるたびに少しずつだけど、何かをつかめたと思い始めた。

   たった十二行の詩なのに、原爆で死んだたくさんの人々の魂がこもっている詩だけど、ヒロシマであった事は十二行では表すことができないと思った。十二行、短い詩なのですぐ読み終えてしまう。それは何か原爆で死んだ人たちのむなしさが書かれているような気がした。僕がこのヒロシマ神話で読みとったことはほんの一部にしかすぎなくて、ヒロシマでおこった事は世界のだれもが知らない無限の神話だとおもう。

19   (女子)

 前の私は原爆の事など知ろうとも思ってなかったけど、修学旅行で原爆資料館へ行き、そこで、被爆者の体験談や写真などを見ていろいろ知り、また、授業でも詩を通していろいろ知った私は、前の自分がはずかしくなりました。

 この詩は、最初は読んで見てもなかなか内容が読み取れなくて、困っていました。あの原爆資料館に行った時に見た物などを思い浮かべながら気持ちを読み取りなさいと先生に言われたので、いろいろ思い浮かべました。特に私が強く印象に残っているのは、原爆の放射能や熱線の恐ろしさ、人体のひどいやけど建物がゆがんでいたりした事です。
原爆の中心地が何十万度と熱いことなど、私は全く知らず、人間があとかたもなく消えてしまうことは、夢の中の悪夢の様で、私には信じられませんでした。

 本文の中で消えた数百人の人間の一人が抗議している所は、不思議な感じがしてとても印象深いです。そして矛盾しているこの平和な世の中に何か訴えているような気がしました。

 何回も授業を通して読み取れなかった作者の思いや、出てくる人達の怒りや叫びが私にも伝わりました。そして、この石段に焼けられた影達は今も存在すると思うと怖くなり、普通じゃない死に方しかできなかったことに同情しました。生きている人が一瞬の光と風で突然消えてなくなるのです。こういう事を考えると、私が最初に信じられないのも仕方がないのかもしれないと思いました。

   世界の一部では、まだ紛争とかいろいろな事が起っているけど、一瞬に消えることのない毎日を送れる私は何十倍も幸せなんだと実感しました。そして、未来では、こんな事が起らないでほしいと思いました。そして、私は、平和を願う人々の一人としていつの日かその影達が石から解き放たれることができることを信じたいと思いました。

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