ガマ体験学習(3年生)

□ I・T(男子)        

 僕たち3年生は、体験学習としてガマに入りました。その日はとても暑く、これでガマにでも入ったらとても暑くてやりきれないと思っていました。しかし、ガマに入ると、ひんやりとした空気が僕の体をよぎりました。そこはとても気味が悪く真っ暗闇の世界でした。

 ガマの中は想像よりもはるかに広くてびっくりしましたが、何よりも昔この中で日本兵や親たちが、泣き叫んでいる赤ん坊を、三角巾やさやで殺していると聞いて、とてもびっくりしました。

 僕は平和学習を通して学んだことは、戦争は人を極限状態におとしいれるものだとわかりました。また、戦争は何の罪もない一般人の尊い命まで奪う恐ろしい事ということも分かりました。

 僕たちも同じ過ちを繰り返さないように戦争の事を知り、平和を考えるべきだと思いました。                                      
                                        
□ T・A(女子)       

 私たち3年生は、 6月21日に真壁にあるアンガー壕という壕に入りました。私たち3年1組は、2組の女子と一緒に入りました。アンガー壕に入るとき、壕の中は、とても涼しく水たまりがあって、雨靴がないと入れないところでした。

 私たちは、電灯もって百メートルぐらい入った所で、電灯を消し、戦争中の体験者の証言テープを聞きました。私は、こんな真っ暗な壕の中で、身動きもできないところで、戦争が終わるのを待っていた昔の人たちは、どんなことを考えていたのだろうと、思いました。

 私たちは、今の時代に生まれ平和な暮らしもできてとてもよかったなと思いました。これからも、戦争のない平和な世界にしていきたいです
                                        
□ M・R(女子)

 平和学習会を通して、戦争当時の残酷で恐ろしい出来事が少し分かったような気がします。私たちは、ガマの中に入って戦争の悲しさを感じました。

 実際に灯を消して、体験談を聞いたとき、「戦争は何て恐ろしいんだろう。もう、二度とこんな出来事を繰り返してはいけない。」と強く思いました。当時の人々は、あんな狭くて暗い所で不安な日を送っていたのかと思うと、かけがえのない平和をずっと大切にしていく私たちの心が必要だと思います。

 この美しい沖縄で戦争があった事をいつまでも忘れずに、戦争で亡くなった人たちの尊い命をムダにしないように、これからの沖縄を夢と希望でいっぱいにしたいです。   
                                        
□ H・S(男子)

 真っ暗な壕の中、手足も自分がどこにいるかさえわからない真のやみで、電灯を消すとそんな感じになった。戦争当時この中で、数百名の人々が暮らしていた。その時の感じをちょっとでも体験できたのは、勉強になったが、「こんな中に戦争中おびえながら僕たちより小さな子が。」と考えると、怖くなった。それが最初の印象だった。

 話は変わって、壕の中に入ると、人一人が通るのがやっとという道が続き、その奥に僕たち男子がちょうど入るぐらいの空洞がある。その奥は、まだ続いていたが、何があるかよく分からないので、進まなかった。

 帰りは来る時よりも早く出ることができた。出た瞬間、暑くなった。それほど壕の中が冷たかったということがあらためてわかった。

 戦争は、人と人とが争うもの。なぜ同じ人間なのに、国が違うため自分の欲望のために自己満足のため、血を流すのだろうか。戦争で犠牲になるのは、権力者じゃない力のない女、子供、老人なんだ。だが歴史の中では、この悲惨な出来事がくりかえされている。 

    世界を平和にするには、争いをなくさなければならない。しかし、それは理想という人がいるが、僕はそうは思わない。世界中の人々が分かり合って、手をつなげばきっとその日が来ると信じている。
                                        
□ S・T(男子)
 「ガマ」、僕の考えていた壕はゴツゴツした岩で小さいそんなイメージの壕だった。でも、入ってみると、以外に入口は広かった。岩は石灰岩の溶けた鍾乳洞になっていた。とても滑らかになっていた。入ってまず感じたことは、涼しい地面は湿ってつるつる滑り、歩くのも困難なところだった。奥まで行く途中、奇妙な生き物とか、とても狭い所とかがあったりして、とても人が住む所ではないなあと思いながら、奥へと進んで行った。

    やっとのことで目的地についたようなので、みんな腰を下ろして、先生たちがもってきたテープを聞いた。戦争のテープとか本とかよく聞いたりするけど、壕の中では一層不気味に聞こえた。テープを聞いたあと、みんな懐中電灯を消した。暗いというのを通り越して、自分がどこにいるのかというだけでなく、自分の手が見えなくて、目をつむっているんじゃないかという感じがした。

    みんな静まり返るとあたりがシーンとして、何の音も聞こえてこなかった。昔は、懐中電灯はもちろん、ろうそくだって不足していたはずなのに、こんなに暗い何んもなくて、何の音もしない壕の中で、とじこもっていたのか、とても惨めだと思った。

 帰る時は、来た時よりも早かった。入る時は何があるか分からなかったかもしれないけど、とても早く感じた。全員が壕に入ったあと、女子が到着した。その後、戦争体験者の話を聞いた。話を聞いてとても恐ろしかった。生きたまま傷口からウジが湧いたり、麻酔なしで手足を切断したりしたと言っていた。

 戦争は全てが勝った方のアメリカのせいだけではなくて、しかけた日本も悪いと思った。戦後は過ぎてしまったけど、これから戦後百年にむけて、みんなで正しく語り継いで戦争のおこらない世界を作っていかなければならないのではないかと思った。
                                        
□ K・A(女子)

 私は、初めてガマを見にいって、最初の印象は、大きいなあということでした。入ったらとっても涼しかった。でもとっても真っ暗だった。中に入っていくと、水がたまっていて、土がベチョベチョになっていた。

 昔の人は、こんな中で暮らしていたのかなと思いながら入って行きました。でも、このアンガー壕は、水があるからいいけど、他の壕は水がないので不便だったと、先生から聞いてびっくりしました。壕の水を飲むなんて私には考えられなかった。でも、昔はそんなことが関係ないほど、水はとっても大切だったんだなあと思いました。

 壕の中で実際にあったことをT先生から聞いて、米軍はこわいなあと思いました。壕の中で子供が日本兵に首をしめられて殺されたことを聞いて、日本兵は、自分たちのためなら子供でも殺すなんて、ひどい残酷すぎると思いました。

 戦争でたくさん人が亡くなっている。国と国が仲良くすれば、戦争なんておきなかったのに、戦争はただ傷つきあうだけなのに、死んでいった人たちがかわいそうだと思いました。

 戦争は1945年6月23日終わった。戦争が二度と起こらないようにするには、国と国が協力しあえばいいと思いました。
                                        
□ K・K(女子)

 私たち3年生は、平和学習でアンガー壕に入りました。私は、小学校のころにも糸数の壕に入ったことがあります。糸数の壕に入った時、私だけ気分が悪くなって、先生に連れられて壕を出ました。その時から壕が恐ろしくなって、とても壕に入るのがイヤでした。

 でも、平和学習は学校の勉強と同じなので、アンガー壕に入りました。最初、1、2組が雨靴をはいて入りました。

    アンガー壕の中は、冷えていてちょっとはだ寒くて、地面はドロでベタベタしていました。そばの石なども全部ドロでした。壕の中は、とても真っ暗くて、電灯の灯がないと何にも見えないぐらいでした。上の天井からは、水がポツポツと落ちていて、とても不気味でした。

    足元はとてもすべるので、ずっと人をつかんで歩いて行きました。私は、ほんとうにこんな所で戦争中住んでいたんだなあと思うと、胸が苦しくなりました。

 入口から百メートルぐらいの所まで来て、先生の話と近くのおじさんの話をテープで聞きました。私は、戦争って起きてはいけないことだ、ということが前よりも強く心に残りました。壕の入口に戻る時、とても早く入口に出れるように感じました。そして、外の太陽の日差しを見た時、これからずっとこのきれいな青空が爆弾の落ちてくる空にならないように、と思いました。
                                        
□ O・D(男子)

 6月21日に、3年生は平和学習のために真壁のアンディラ壕に入りました。壕に入るまではとても暑かったけど、壕の中に入って十メートルぐらい進むと、ひんやりとしていてまるでクーラーがかかっているみたいでした。

 壕は、とても広くて、名前のとおりに千人ぐらい人が入るんじゃないかなあと、思うほどでした。壕の中は、真っ暗で、電灯の灯がないと進むのも大変でした。戦争中は、電灯もなかったと思うので、ろうそくの火だけでこの壕に、たくさんの人がいたのかなあと思いました。

 壕の一番奥は、教室の半分ぐらいの大きさだったと思います。そして、みんながもっている電灯を消しました。すると、さっきまで話をしていた友だちの顔も見えなくなって、自分の手さえも見えなくなりました。もし、戦争中、アメリカ軍が近くまできていて、外に出られない時にろうそくの灯が消えてしまったら、と思うと、恐ろしくなります。きっとパニックになると思います。

 壕の上からは、水がところどころ落ちていました。鍾乳洞で、自分たちの近くにも、自然のものがあったので、びっくりしました。

 最後に、戦争の様子を、当時中学生だったおじさんの話を聞きました。向こうから逃げてきた人の方が大変だった、とか。食べ物は畑にいけばイモがあるとか、いろいろと話していました。

 僕は、この平和学習で、昔の人じゃなくて良かったなあと思いました。もう戦争は繰り返してはいけないと思いました。
                                        
□ N・A(女子)

 私たちは、6月21日に平和学習会がありました。女子はアンガー壕という所に入りました。はじめは、1・2組から先に入っていたので、3・4組は外で待っていました。中はとっても真っ暗でした。                             

 30分ぐらい待って1・2組が戻ってきたので、次は私たちが入いりました。

    雨靴を借りてから、ゆっくり階段を下りました。雨靴が濡れているからかわからないけど、とてもすべりそうでした。懐中電灯を足元にてらしながら、前に進んでいきました。途中で深い水たまりがありました。みんな、端っこの方からゆっくり歩いていきました。私は、途中で前がみえなくて滑りました。とっても暗かったので、私たちは大きな声でさけんでいました。壕の中はとても冷たくて、石も全部どろでよごれていたので、となりの壁とかに手をくっつけるとどろで汚れました。

 ずっと歩いていくと、T先生が立っていました。先に着いた人は、後ろから来る人の足元を懐中電灯を照らしていました。みんなが集まったら、話を始めました。いろんな話をしてからテープを聞きました。

 昔は、赤ちゃんはうるさいから、と言って、殺したそうです。うるさかったら壕の人にも迷惑にもなるし、米軍に見つかったら壕の中の人も殺されるからといって、殺していたそうです。   

 戦争は、とてもこわいです。沖縄でも二度と戦争を起こさないように祈っています。                                         
□ T・R(女子)

 6月21日の慰霊の日を目前にして、女子はアンガー壕、男子はアンディラ壕へ行きました。そこへ着くと、アンガー壕がまず、民家のすぐ後ろにあるのにびっくりしました。

 最初は1・2組から入るので、私たちは外で待っていました。壕の入口近くにいた人が「ここ涼しいよ。来てごらん。」と、言ったので行ってみると、まるでクーラがついているようにヒンヤリしていました。そして、上を見ると、ゴツゴツした岩肌からは、水滴がポタポタ落ちていました。   

 そして、今度は3・4組が壕の中へ入る番になり、大丈夫かなあと思いました。友だちから雨靴を受取り、中へ入っていくと、洗濯とかお風呂とかに使っていたと思われる水たまりがありました。どんどん進んでいくうちに、ベトベトとして歩きにくいのがすぐ分かりました。戦争当時は、こんな所に寝泊まりをしたりしていたとは、思えませんでした。

 周りが見えにくいので、とても不安になりました。百メートルくらい歩いて、テープでこの壕の戦争の様子を聞きました。小さな子供が絞め殺されたり、けがをした人が置き去りにされたりなど、今では考えられない事ばかりおきていたんだなあ、と怖くなりました。

 壕から出て、今度は別の場所で平和集会をしました。その時、戦争を体験した人の話は具体的でした。私は、戦争の体験をしていないから、この沖縄が激戦地だったことは信じられないけど、心の中にちゃんと真実として受け止めるべきなんだなあと思いました。そして、もう二度と人が人を殺すようなことはしないでほしいと思いました。
                                      
□ K・M(女子)

 今から51年前、沖縄で一番の激戦地だった真壁。6月21日に私たちは、その真壁の壕に入った。そこは、自然に出来た壕で、外と中では違う世界のようだった。中はクーラーでも入っているように涼しかった。

 中に入って行くと、水が上の方からしずくになって落ちてきて、水たまりがあちこちにあった。どんどん奥にいくと、土がどろになって足がぬけなくなったりもした。どうにか全員が、先に入ったT先生の所に着いた。私は、もう後ろへんに着いていて、これ以上奥にはないと思っていたが、それは違っていた。そこは、入口近くにすぎなかった。

 全員が電灯を消すと、そこですら真っ暗なのに、このずっと奥に入っていった昔の人ってどういう気持ちだったんだろう。小さな子からおばあちゃんまで・・・・。

 この私たちの入ったアンガーという壕は、戦争後、最後の奥まで入った人はいないそうです。もし、戦争中に日本兵に追いやられた住民が、ずっとずっと奥まで行き、そこで死んでいたら、今もあのアンガーには人の遺骨があるかもしれません。

 同じ日本兵が敵になるほどの戦争。その中を生き延びて、今でも元気に暮らしている人もすごいというよりはかわいそうです。目の前で友が死に、家族が死んだり、それを見てきているからです。

 そのような戦争は、二度と起こしてはいけないと思う。絶対におこってはいけないと思う。自分の子供たちや孫たち、そして、世界平和のためにも。            


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