映画「ひめゆりの塔」を見て(全学年)

◇一年女子
 5月31日に全校生徒で戦争の時の映画を見ました。体育館はとても暑く、あまり集中することができなかったけど、やっぱり戦争は悪いものです。

人々が殺し合い、どうせ後は悲しい気持ちになるだけでいいことは一つもありません。それなのになぜ、戦争をしたのかが今、私の疑問です。

 この映画を見てとてもおそろしいかったです。でも実際はもっと恐ろしく生き抜くのもやっとというぐらいなので、今考えると私は生き抜いているのだろうか?と思いました。

 家族が離ればなれになったり友達がいなくなったりすると、自分はどうなるんだろう?とか、死にたいという気持ちに私はなると思います。

 今、生き抜いている人たちは、強い気持ちで生き抜いてきていると思うと、とてもすごいと思いました。

 今、戦争をしている国もあるけど、これからはみんなが協力してあって平和でとてもいい世の中にしていきたいです。そのためにも、みんな一人ひとりが「戦争のない世の中にしたい」という気持ちがないと、いつまても平和は訪れないと思います。

◇一年女子
 5月31日の5、6校時に、「ひめゆりの塔」という映画を見ました。

 私たちが住んでいる沖縄は、戦争で唯一、地上戦が行われた場所で、特に糸満は一番激しかったそうです。だから、小学校などでも戦争や平和の話や勉強を教えられました。この「ひめゆりの塔」映画鑑賞会もその一つです。

 私は、この映画を見て、戦争のおそろしさを今まで以上に知りました。
 今の高枚生ぐらいの人達が、戦場へ行って兵隊の手当てをするひめゆり学徒隊の人達は、とてもかわいそうだと思いました。

 国のためなどと口では言っていても、本当はすごく怖かったと思います。もし、私が高枚生で、戦場に行かなければならなくなったら、怖くて逃げてしまうかもしれません。だから、ひめゆり学徒隊の中には二人ぐらい気が狂ってしまった人がいたけれど、ああなっても変じゃないと思います。

 また、私は映画に出てくる事が本当にあったなんてとても信じられません。あんな中を私のおじいちゃんやおばあちゃんは、生き残ってきたなんて、すごいと思いました。

 もし、私が戦争中に生まれていたら、とっくに死んでいると思います。私は、戦争が終わってから生まれて本当によかったてす。関係のない人達が亡くなった戦争はこわいと思います。

 日本人は、ひどい事をいっぱいしたけど、それを反省して今は、平和な国になりました。だけど、これからは、日本だけでなく世界中の人達が、毎日笑えるぐらい平和になってほしいと思います。

◇一年女子
 「あまり見たいとは思わない。」
それが「ひめゆりの塔」を見る前の本音でした。一度、戦争の写真を見たことがあります。それはとても無残なものでした。この写真を見て、「もう、戦争ものは見ない。」と思うようになり、今まで戦争ものをさけてきました。けど、いつまでもそうやっていることは、沖縄県民としていけない。そこで、「ひめゆりの塔」をしっかり見ました。

 若い女学生が卒業を前にして、戦場へ行き、自ら命を絶ったり、生きたいと思いながら死んでいった女子学生たち。今の私からは、全く考えられないことです。

 目の前で、何人もの人間が死んで行き、いつ自分が死ぬかも分からない状態で、暑くて、暗くて、悪臭が漂う壕の中、兵隊の手当てをしなければならない。どんなに逃げだしたくても、日本のために働かなくてはならないのです。

 私は、もし自分が、ひめゆり学徒隊の一人ならさっさと自殺していると思います。絶対に耐えられない。そう思うと、おじいさん達やおばあさん達をとても尊敬して、大切にしていきたいと思います。

 それから何よりも一番大切なことは、これから先、なにがあっても戦争をしてはいけない。二度と同じような悲劇をおこしてはならないのです。そのためには、私たちの手で平和で住みよい世界を作っていかなくてはならないと思います。

 「ひめゆりの塔」を見てとても良かったです。戦争でなくなった方を本当に哀れに思います。やすらかな眠りにつけるように願います。

◇一年女子
    この映画──「ひめゆりの塔」では、戦争のおそろしさ、悲惨さ、苦しさなどを私たちに強く訴えていました。

 私はこれまで、基地や飛行機など、戦争にかかわるものをかっこいいなどと考えたことが何度かありました。でも、この映画を見て、そう思っていた自分がとてもおろかだということに気が付きました。

 戦争をして、利益になることは一つもありません。戦争をすれば多くの損害をもたらすだけです。私はそんな戦争がこの地球にあってはいけないことと思います。できることなら、戦争を始める前に話し合いで解決してほしいです。

 私のような人間一人が大きな戦争を止めるのは無理です。でも、小さな争い事を止めることはできます。小さな平和がやがて大きな平和になるように、きっと小さな争い事がやがては大きな戦争へとつながると思います。

 戦争をなくすために、私たちに出来ることは、小さな争いを起こさないようにすることだと思います。

◇一年男子
 「ゴーゴー」と流れる戦闘機の音。それを聞くたびに毛がたってしまう。戦争の恐ろしさを知らない私は、戦争をあまく見ていました。ですが、「ひめゆりの塔」を見て、戦争がどんなに恐ろしいのかを実感しました。

    一つの爆弾で、たくさんの人々が傷つき、たくさんの人々が死んでいくのが一番怖かったです。また、自分で自分を殺すと同じ意味の自決の場面もいくつかありました。それはとても悲しい事です。今の私にはとても考えられない事でした。

 「ひめゆりの塔」を見て、一番はじめに思ったのは「今のこの時代に、戦争が超こるとたいへん」ということです。もう二度と戦争を起こさないためにも……と考えさせる映画でした。

 一番印象に残っているのは少女たちの一人が、足を撃たれてしまい、何日かたってアメリカ軍がくるのでみんなが逃げる時、足手まといになるので、みんなは先に行け、という所でした。彼女は、最後病院で衰弱死してしまいましたがとても悲しくなりました。

 戦争の映画はマンガが多かったので、今度の映画はとても心に残りました。戦争がなければ多くの人は死なずにすんだと思います。でも、戦争がなければ日本はどうなっていたか分かりません。

 今、少量でも多くの人を無差別に殺せる「サリン」という「物質」ができています。もし戦争があった時にこれを使うと、どんでもないことが起こってしまうと思いました。

 50年前の戦争で、僕のひいおじいちゃんが亡くなっているので、戦争をしてもいいことないと思いました。

◇二年女子 
 この映画ではひめゆり学徒隊という少女達を中心としていました。戦場でけがをした人々を手当てしたり食事、身の回りの世話をしたりしていました。水を汲みにいった生徒の中には途中で敵に見つかって殺されてしまった人もいました。

    一日中走り回ったりして疲れているのにご飯は少ないといった生活を送っていたと思います。でも、一番かわいそうなのは、これまで毎日がんばってきたのに卒業式ができないことだと思います。教師をめざして「沖縄師範女子学校」に入って、卒業を夢見ていたんじゃないかと思います。それなのに卒業証書ももらえないで亡くなっていった少女がとてもかわいそうでした。

 戦争に対しての国の教えは間遠っていると思います。アメリカ軍につかまる前に死を選ぶこと、戦争に反対する人々を非国民と呼び、関係のない人まで殺してしまったこと。戦争をすることを望むよりも、戦争を望まない人のほうが正しいと思います。
 こんな悲しいだけの戦争は、もうないほうがいいと思いました。

◇二年男子
 今から約50年前に戦争があった。僕たちはその戦争を再現した映画をみんなで体育館で見た。この映画は14歳ぐらいから19歳前後の人たちのお話でした。その人たちはいっしょうけんめいにけがしている人や病気の人たちのお世話をしていました。水を汲むのも生死がかかっていました。今だったら蛇口をひねればすぐに水が出る時代とは全然通うのです。

 戦争はそれほどおそろしいものなのです。今では想像できないくらいのおそろしいもの、こんな戦争を作ったのは誰なのでしょう。

 沖縄師範女子学枚の人たちは、追い詰められ、逃げても追い詰められ、とうとう自爆するものも現れました。でも、その中の一部は、自爆を考えず捕虜になることを選び生き続けることができた人もいました。

 沖縄師範女子学校の中の一人は、足にけがをして立ち上がれず、みんなといっしょに逃げきれずけがをした場所にいた。けれどもその人は生きたいという気持ちでけがをした足で立ち上がり、最後まで生きていた。その後、捕虜となり病院でなくなってしまった。その人は、最後まで生きよう、死んだらそこで終わりだ。生きようという気持ちがあったからこそ最後まで生きれたんだと思う。

 本当にすばらしい映画だったと思います。もう一度見たい映画でした。(暑かったけど……)

◇二年男子
 「ひめゆりの塔」を見て、改めて戦争のおそろしさを思い知りました。今、自分が住んている場所で、50年前多くの人が死んでいった。今、ぼくたちは普通に豊かな暮らしをしているが、ここでまた戦争が起こらないとは限らない。そんなことを考えていると、もう二度と戦争をここだけてなく、世界中で起こしてはいけないと思います。

 映画の中で、いちばん心に残っているセリフは、「死のうと思えばいつでも死ねる。生き抜くんだ。」です。

 当時は国から、鬼畜米英登いうまちがった情報のため、自決した人も数えきれないほどいたはずです。「天皇陛下バンザイ」などどいって自決した人たち。国が戦争に勝つことだけを考えずに人命を重んじれば、死んだ人たちが負けそうになった時、意地をはらずに降参していれば、沖縄戦は起こらなかったのではないでしょうか。

 あのひめゆり学徒隊があんな目にあったのも、当時力を過信していた国にも責任があると思います。
 戦争は、人の心も狂わせてしまいます。日本兵などは、自分たちは戦争で体をはっているということを大義名分に人々を壕から追い出したり、食べ物を奪う者もいたようです。誰もが自分さえ助かればいいという考えになってしまうのです。

 僕たちの祖父や祖母も戦争を体験して生き延びてきたのです。まかり間違えば、僕も生まれていなかったかもしれません。間接的にですが、戦争から生き延びてきたこの命を大事にして、戦争の悲惨さ、恐ろしさを次代へ伝えていこうと思います。

◇三年女子
 私は、「ひめゆりの塔」を見て、改めて戦争のこわさを知ったと思う。前まで私は戦争なんて、ずっと昔のことで、私には関係ないといった感じだったけど、この「ひめゆりの塔」の映写を見て、戦争に対する関心が出てきた気がする。

 戦争とは、今から50年前の1945年6月、この沖縄は戦場となった。その沖縄で女子師範学校があって、その中の音楽の先生である沢口靖子(先生役の俳優名)は、自分の生徒たちだけを怖い思いはさせないと、自分は安全な所に避難できるにもかかわらず、生徒のためならと自分も戦争に行く。戦争に行く先生の姿は、とても生徒を大事にしているんだなあど思った。

 そして、生徒役をしていた後藤久美子は、爆弾で足を無くし、もうあきらめて逃げようともしなかったけど、生きているのを知った時はいずりながらも、戦争から逃れようと必死で逃げている後藤久美子の生命力はすごい。また、よく生きていられたなあ、運がいいなと思ったけど、戦争後、衰弱で死んだ時、かわいそうだなあと思った。

 また、印象に残ったのは、最後まで生きていたあの男の先生は立派だったと思う。生徒が手榴弾を手にして自決しようとした時、この先生がとめたおかげで戦争後を、ずっと生きられたんだ。命を大事にしないどいけないと教えられた気がする。

◇三年男子
 ぼくは、ひめゆり平和資料館でむごたらしい写真や衣類、体験談を見ました。でも、まだ戦争がどんなに恐ろしいのか、ピンときませんでした。

 そんな時、「ひめゆりの塔」という映画を見ました。爆弾で死ぬ人、鉄砲の弾に当たって死ぬ人、戦争がやっと終わったと思ったのに衰弱死で死ぬ人、いちばん心が悲しくなったのは、集団自決でした。まだ生きていたいのに、アメリカ兵に捕まるといって自分たちで手榴弾をつかって集団で自殺するのを見ました。

 この映画を見て、戦争の恐ろしさが大いにわかりました。M地区にもたくさんの塔があります。「ひめゆりの塔」「萬華の塔」「忠霊の塔」まだまだあります。もっとみんなでこれらの塔をまわって、戦争の恐ろしさ、むごたらしさを知り、戦争をなくさなければならないど思います。

◇三年女子
 5月31日の5、6校時に全校生徒体育館に集まって、沖縄戦を題材とした「ひめゆりの塔」という映画を見た。毎年テレビでも見ているような話の映画なのに、この日ばかりは自分でも驚くくらいとても真剣に見ていた。

 今自分たちの住んでいる部落で、50年前にとても悲しく、とてもむごい惨劇があったとは、この映画を見るまではあまり実感というのが無かった。

 足を負傷して歩けなくなって壕の中におきぎりにされて、それでも自力ではいつくばり、木の根をかじってまで生きたいと心の底から強く願った女の人と、自分が生き延びるために同じ日本人を殺した日本兵、と私は仲間を犠牲にしてまで生きたいと思う心は、意味が違っても生きたいと思っている心は同じだと思う。でも、私は女の人の生きざまに感動した。今となっては、きれいごとだけど、ひめゆり学徒隊のようにみんなが助け合っていればもう少しの人が生き延びれたのかもしれない。

 戦争を直接体験していない私たち、実際の恐ろしさなどは知らないけれど、決して同じ過ちをしてはいけないという事だけは、この映画を見て強く心に刻まれたと思います。

 今の人は簡単に自分の命を粗末にするけれど、戦時中の頃は生きたくても生きられなかったという人が何万人といる。その人たちのためにも私は精一杯生きたいと思う。

 戦後50年という大きな節目、日本にとっては忘れてはならない出来事があった年です。今生きていることを、今住んでいるこの部落で「命どぅ宝」という言葉を大切に心に刻みこんでいきたい。

◇三年男子
 どうして戦争をやるんだろう。どうして人間同士が殺し合うだろう。これが不思議だ。戦争は罪のない人も手当たり次第にみんな殺してしまう。「ひめゆりの塔」を見てよく分かった。

 最初は、あまりおもしろそうになかったからあまり見る気はしませんでした。でもみんなが集中して見ているのを見て、見なきゃいけないなあと思いました。

 「ひめゆりの塔」は女学校では、いろいろな隊に分かれて行動して、第一外科や第二外科他、いろいろありました。みんな最初は、楽しく遊んだりしてたのに空襲になったら一人一人の顔つきが変わります。空襲はどんな時にでもやってきていた。例えば、寝ている時も、ご飯を食べている時も、みんを素早く防空頭巾をかぶり、防空壕へ逃げる。これが毎日のように続いていきました。

 壕に逃げて何日も何日も過ぎていくうちにとうとう米軍に見つかってしまいました。傷ついている人も、疲れている人もいます。そして必ず米軍はいいます。
「出てこい、出てこい。」
「出てこれば殺さないぞ。」
この言葉を信じなかった隊は、無残にも毒ガスで殺されていきます。でも、日本人は、
「大丈夫、私は大丈夫。」
こうして一人一人みんなを励まし合っていて、みんな生きようとする心は強くて感動しました。

 途中で逃げる隊もいました。でも、海などで殺されている人もいました。海には殺された人などを一杯並べて寝かしていました。夜でも大砲が飛んできて、死んていく人がいっぱいいました。生き残った人もアメリカ軍に囲まれて逃げる所がないと判断し、自殺しました。自殺するくらいなら残って、死んでいったほかの人たちの分も生きていけばいいのにと思いました。

    防空壕にいた人たちで、手を挙げて生き延びた人たちもいました。みんなこうすれば、たくさん生きていたのに、と思いました。

 でも、一番いいのは戦争をしないこどだ。次からは戦争のないいい世界になるように僕たち一人一人考えていかなければならないです。

◇三年女子
 私は、この映画を見て、改めて沖縄戦のすごさを認識しました。

 五十年前、私が今住んでいるこの場所で、あんなむごくて恐ろしい出来事が起きたなんて、今の沖縄からは想像もつきません。この映画を見ても、あの時、村の人々が必死で生きたいと思う気持ちが、痛いほど強く伝わってきました。

 人の命は、どんなものよりも大切だど感じた。「命どぅ宝」まさにその通りだと思いました。だけど、戦争では、人の命をそれこそゴミのように扱い、何の罪もない人が日本を守るために死んでいったこと、それほど悲しいことはないと思う。

 今まででも、戦争について、自分では分かっていたつもりだったけど、戦後五十年ということで、今また新しく戦争という出来事について、きちんと考えるようになりました。

   一体日本は、戦ったことで何を失い、何を得たのだろうか。私は、ただ人の命を失っただけの何の得もない悲しい戦争にしか思えません。私たちが本当に望んでいるのは、戦って国を勝ち取るのではなく、何の不安も悲しみも苦しみもない平和な暮らしこそ大切だと思います。

 「平和な日本」「戦わない国」それこそ誇れるものではないかと思う。50年前の沖縄戦で戦いぬいた人たちの命をムダにしないためにも、戦争は絶対にしてはならない罪だと思います。

◇三年女子
 今年は戦後50年になる。だから「ひめゆりの塔」を見せたんだと思うけど、自分たち若者は、戦争のことを知らなさすぎる。その年に生まれていないからあたりまえだけど、もう少し知ってもいいはずだ。

 図書館にはってあるパネルや資料を見ると、寒気がしてくる。また、ある証言を読むと、壕の中に民間人と日本兵がそこで隠れていた。けれど、その中にも女、子供がいて、特に子供はいったん泣くと、すぐには泣き止まない。すると敵に見つかって自分たちが殺されてしまう。だから、日本兵はその子供の首をしめて殺したとあった。その壕の中にいた人たちは、それを見てみんな泣いていたそうです。

 この証言を読んだ時、とてもショックを受けました。自分たちが助かるために弱い者が犠牲になる。同じ味方なのに。そうするように人の心を変えたのは戦争だ。戦争で家族を失った遺族は、いくら戦争を憎んでも憎みきれないだろう。

 この話とは通う話になるが、何年か前、ベトナム戦争のことがテレビで教映されていた。ベトナム戦争でアメリカ兵は、ベトナム中に変な薬をまいて森林を枯らした。けれど、その害は森だけでなく、人間までも及んだ。それがベトナム戦争が終わってからも。女の人はやがて子供を生む。すると、生まれた子供は奇形児だった。本当に人間とは思えないほどの奇形だったのだ。

 そのテレビをリポートしていたある女優は、それを見たとたん無言で涙をポロポロとこぼしていた。その時私も思わず涙が出てきてしまった。奇形児の母親は泣き崩れて「アメリカ兵を殺したい」と叫んでいた。

 やっぱりいつの時でも戦争は、人に憎しみと悲しみしか残さない。私は、戦時中に生まれてこなくて本当に良かったと思っている。こうやって五体満足に生まれてとても幸せだと思っている。けれど、これからの世の中で戦争がなくなるだろうか。

 沖縄戦を生き抜いた人たちも、また、もう一度戦争を体験しなければならなくなるんだろうか。

◇三年女子
 この映画は、沖縄戦当時のことをくわしく描いたものだど思う。

 沖縄戦の女学校の生徒は、自分のことより日本のことを考え、みんな戦争で負傷した人たちの看病にあたったと思う。でも、どんなにがんばっても負傷者は増え、戦争はよけいに激戦になり、とうとう女学校の学徒隊にも負傷者や死亡者が出てきた。また、多くの人の死を見て気の狂った人もいた。

 彼女たちがこんなに日本のためにがんばっているのに、日本政府は本土を守るため沖縄を防波堤にしていたなんて、その当時の政府は沖縄人を日本を守るためにはしょうがない、と思っていたにちがいない。

 その証拠に、壕に隠れている住民を追い出して、自分たちの身を守ろうとしたり、子供などが壕の中で泣くと、敵にばれる、といって殺したりしてきた。こんなにひどいことをしてまで戦争に勝ちたかったのか、と私は不思議でたまらない。

 これからは、こんな恐ろしい戦争を起こさないように、みんなで世界の平和を祈ったほうがいいと思う。

◇三年女子
 戦争を経験した人たちに比べると、私は全然戦争の恐ろしさが分かりません。きっと半分以上は軽く流していたと思います。戦争の写真、本などページをめくると、そこには何一つ楽しそうな顔などなく、痛そうな表情、考えられないぐらいのケガとか見ていてこっちも本から目をそらしてしまうぐらいのすごさがあります。そして時間がたてばさっきまで感じていた気持ちが私の心の中で薄れてきて忘れてしまいます。

 戦争の時代に生まれてきて命を失った人たちはきっと苦しいぐらい心に焼きついている……そんな気がします。

 私は、本物の戦争をみたこともないし、経験したこともないから、本当の意味での戦争の恐ろしさは全然分かっていないと思う。「ひめゆりの塔」を見て、全部まではいかないけれど、前よりは戦争にたいする気持ちが強くなっていると自分ではそう思っています。

 「戦争」この二文字で街は火の海となって、たくさんの血が流れて、大事な人を失い、そして心も身体も殺してしまう。きっと戦争の時に亡くなった人たちの方が、この気持ちは一番大きいし、そして一番願っている事だと思う。

 私たちが戦争のない時代に生まれてきたのは幸せだと思います。戦争を味わった気持ちは受け止められないけれど、平和を願っていた気持ちは分かってあげられます。何十万の人たちが頭の中に描いていた平和が現在なんだと思います。

 一生、この平和を壊さない、壊してはいけないものだと思います。そして、私たちの力で、平和を守っていきたいです。

◇三年女子
 私が映画を見て、初めて思ったことは、今私が立っているこの場所でも何人もの人が死んでいったんだなあということです。

 「ここは沖縄戦最後の激戦地」と聞かされても、その場面を自分の目で見てみないと本当かわからなかったけど、この映画を見て、自分の知っている浜が出てきた時、なぜかゾクッとしました。選択授業の時に「千人壕」にいった時もそんな感じがしました。

 あの時死んだ人たちはどんを気持ちだったのでしょうか。あの時死んだ女学生や子供たちがみんな生きていたら一体どんな世の中になっていたのでしょうか。

 戦争がもたらした今の平和は、とても皮肉なことだと思います。でも、この平和を一日でも長く守っていくことが、私たちにできることで、戦死者たちのとむらいになることだと思います。

◇三年男子
 映画「ひめゆりの塔」を見て、僕はとても悲しい話だなあと思いました。あんなにがんばって生き延びようとしていた、後藤久美子さんが演じていた人も最後には衰弱死で死んでしまった。そして、この衰弱死で死んだ人だけでなく、この人たちの友達や先生たちも飛行機の鉄砲の弾に当たって死んだり、もしくは、捕虜となるよりは自殺して死んだ方がましだと、自決して死ぬ人とかがいました。

 僕は「自殺するぐらいなら、捕虜になった方がいいんじゃないか」と、おじーに聞いたことがあります。おじーは、「あのころの時代は教育がそう教えてあったので、仕方がなかった」と言っていました。

 僕は、そんなあのころの時代はとても悲しい時代だったんだなあと思いました。それから、あのような時代にならぬように僕たちが平和をこれからも守るようがんばらなければならないと思う。

◇三年男子
 戦争は恐い。
 戦争は恐い。
 戦争は恐い。
 戦争ほ恐い。
 戦争ほ恐い。
 戦争ほ恐い。
 戦争は恐い。
 戦争は恐い。
なぜなら、戦争は多くの人の命を奪ったから。
戦争は人と人が殺し合って勝負を決める
それが何のためになるのか。
それよりは話し合いで決めた方が誰も死なずにすむ。
こんな戦争はもう二度とやらない方がいい。


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