第七稿 「沖縄戦の学習と伝達」 2002年12月起稿03年2月改稿04・2・26改稿

  はじめに

 沖縄戦について学習することは、沖縄に生まれ育った者はもちろん、平和を希求するすべての今生きる人たちにとって大切なことである。なぜなら、沖縄戦の実態は、単に沖縄という地域の歴史上の出来事だけでなく、人類がかつて体験した近代戦争としての第二次世界大戦の中でも、典型的な状況として存在しているからである。つまり、沖縄戦の実態が、人類の平和への努力の大きな教訓を秘めていることを意味しているからである。
 したがって、沖縄戦を学ぶ時、沖縄の歴史の中の一ページとしての学習ではその本質を捉えることはできない。それは沖縄戦の実態を単なる事象としての知識理解に留めることになり、事象の中に潜む沖縄戦の実相の一つ一つを看過してしまい、結果的に人類の教訓を導き出すことはできない。

 また一方、沖縄戦が世界の戦争史上における希有な特徴の一つとなっている「住民巻き込みの戦闘」という側面をもったものであるからといって、その面のみの強調は沖縄戦の真の実態把握を阻害してしまう危険性も存在している。もちろん、住民巻き込みの戦争被害は残酷・悲惨そのものであるし、沖縄戦のそれはさらに輪をかけたものとなっている。したがって、戦争の残酷さ・悲惨さはどれだけ強調しても足りるものではない。しかしだからといって、その残酷さ・悲惨さを捉えることによって沖縄戦の実態を捉えたとすることは、沖縄戦の把握を皮相なものにしてしまいかねないのである。

  基本的な観点

 沖縄戦の実相は複雑に織り込まれた布のように、単一の実態だけでは説明がつかない。つまり、沖縄戦は、多様な視点から、多岐にわたる方法を駆使してはじめてその全体像が浮かび上がってくる。そのことは、沖縄戦が近代戦争のより多くの要因(裏を返せば戦争を阻止する平和への要因)を内包しているということをも意味している。沖縄戦の全体像を捉えることによって、人類の戦争と平和の問題に対して多くの教訓を引き出すことができるというのもそのことを示している。沖縄戦について学ぶ時、この視点や方法をどれだけ駆使するかによってその成果が異なってくるし、そのことはもう一方の伝える側の視点においても同様であろう。したがって、沖縄戦を学習し伝達しようとする私たちは以下の三点についての基本的な観点を持っている必要があろう。

   (1)沖縄戦は近代戦争のより多くの要因を内包しているということ。
   (2)沖縄戦の実相は多様な視点から、多岐にわたる方法を駆使してはじめてその全体
   像を浮かび上がらすことができる。
   (3)沖縄戦の全体像をとらえることによって、人類の戦争と平和の問題に対して多くの
   教訓を引き出すことができる。

 特殊から普遍化へ

   戦争の実態は、一つ一つが事実の積み重ねであるが、しかし、一つ一つの事実を重ねるだけでは、戦争の本質は見えてこない。つまり、体験者の証言の内容を積み重ねることによって、戦争の実態をより多くとらえることはできるが、それだけでは=戦争の本質に迫ることにはならない、ということである。

戦争の本質は、事実の集合ではなく、事実に隠された戦争の本質を一つひとつ取り出したその集合体から浮かび上がってくるものだと考える。たとえば、沖縄戦におけるガマの中で、何が行われたのかを語ることは重要である。それは、沖縄戦そのものの実態であるし、そのような証言がいくつも重なって、沖縄戦の実相が次第に明らかになっていく。しかし、(ア)ガマにおける証言をいくつ重ねてもそれは沖縄戦そのものの一部でしかないことを知らなければならない。

他の一点は、(イ)私たちの目的は、このガマについての立証ではない。つまり、(ガマの中で何が行われたのか)を通して、沖縄戦の実相、そして戦争というものの実態を伝えることである。したがって、それは、戦争という実態の共通項を探すことでもある。
 (ア)について

 沖縄戦の実相はそれだけ(たとえ全てのガマの中で何が行われたかを立証し得たとしても…)では決して明らかにはならない。いくら証言を重ねても、それはそのガマの実相の確証が増えるだけであって、それ=沖縄戦の全体とはなりえない。なぜなら、沖縄戦における個別の証言はそれぞれが(a)単独の全く独自の体験であるとともに、(b)体験はあくまで一人の体験でしかないことである。

(a)つまり、沖縄戦での体験は一人一人がそれぞれ独自の体験をしている。裏を返せばそれだけ沖縄戦の実態は複雑に絡んでいることを証明することではあるが、そのために、一つのガマについて幾重の証言を重ねても沖縄戦の全体は見えてこない、ということを示すことになる。それはあくまで特殊の積み重ねでしかない。特殊な事例をいくつ重ねても普遍的にはなり得ないと同様に、沖縄戦においても言えることである。いや、沖縄戦ではなおのことであろう。

 二つ目の(b)体験はあくまで個人の体験でしかない点についてであるが、戦争という巨大な国家対国家の戦いの中で、兵隊であれ、逃げ惑う住民であれ、一個人の戦争体験というのはその時間的空間的体験というのはその極一部分でしかない。そのことが、戦争という実態を明らかにする時、証言のもつ意味に大きく陰影をつくることになる。体験者は、自らの体験を沖縄戦の実態だと考える。そのことはまさに沖縄戦を体験したわけだから確かにそうであるに違いないが、その体験から沖縄戦を普遍化することはできない。

 以上の二点から考えて、ガマの中で何が行われていたのか、を明らかにしたとしても、それは、そのガマについての究明であって、沖縄戦の究明はまだ別の引き出しにあると言わなければならない。もちろん、そのこと自体の価値は十分に認めながらもである。

 (イ)について
他の一点の、「(イ)私たちの目的は、このガマについての明らかな立証ではない」について触れる。前述したように、特殊をいくら重ねても普遍化には至らないが、しかし、一方、普遍化は特殊の分析と総合によってのみ成立する、ということも真実である。本来、普遍化はそのものとして存在しているのではなく、特殊(事実)の積み重ねによってのみ辿り着くことができる。しかし、だからと言って、特殊+特殊+特殊+………=普遍化というわけにはいかない。それは、科学的ではないし、論理的でもない。

 特殊+特殊+特殊+………→普遍化という図式にすればどうなるだろうか。特殊を積み重ねていくことによって普遍化に辿り着く、ということであれば、それは納得がいくであろう。とすれば、特殊の中に一般化へ辿り着く要素が潜在していることを示しているのだから、その要素を探り当て、それぞれの中に潜む要素を取り出し、それを結びつけることによって普遍化への道しるべを示すことができるはずである。

このことを単純化すると、次のようになろう。一つ一つの証言は、一つ一つが完全に独立した別個のものであっても、そのなかに何パーセントかの普遍化への要素が見えてくる(もちろん見えてこないこともあろう)。その要素は証言を重ねることによってますます増えていく。しかし、この要素自体も、それぞれ異なっている場合と共通している場合が存在する。異なっている場合は要素a→要素bという関係(あるいは無関係)、共通である場合には要素c=要素dという図式によって、一般化への道筋が明確になる。ここでは、前者を「関係要素」、後者を「共通要素」ということとする。

 沖縄戦におけるガマの中での証言には、食糧問題、水問題、死体処理問題、傷病者の問題、家族の問題、日本軍の問題、アメリカ軍の問題、他の避難民の問題…とさまざまな実態がある。しかも、そのような問題が常にどのガマでも証言されているわけではない。一つ一つのガマが異なることによって、その問題も異なってくるし、共通項があっても強弱が生まれてくる(もちろん私たちは生き残った体験者の証言でしかそれを知ることはできないが)。しかし、異なる証言のなかの何パーセントかには「関係要素」「共通要素」が存在する。それら二つの図式を分析・総合することによって沖縄戦の実態の本質というものに辿り着くことができるのではないだろうか。

それらの作業は、ガマだけでなく、墓での避難、空き家での避難、豚小屋での避難、さまざまな避難の形態があるが、そのような避難場所に関しての特殊な証言をつみあげることによって、その中から「関係要素」「共通要素」が見いだされてくるはずである。このようにして証言を重ねることによって、沖縄戦の本質が炙りだされてくることを考える。もちろん、それはガマのみならずすべての戦争の実態把握に応用される。

 さて、ここで「→」について説明しなければならない。「関係要素」×n+「共通要素」×n→普遍への橋渡しとなる「→」の働きは何であるのか。要素を重ねただけではまだ普遍化には至らない(「関係要素」×n+「共通要素」×n≠普遍)。とすると、「→」には何らかの概念の質的変換(転換)が行われていたことになる。その変換(転換)のもっとも基本的な作用は、分析的に取り出されたさまざまな要素を止揚する総合(認識概念としての)である。したがって、「→」による普遍化は、単なる知識項としてではなく、認識作用として形成されたことを意味する。

 なぜこのような面倒な作業をしなければならないのか、という疑問が湧いてこよう。それについて私は次のように考える。

一つのガマの事実(実態・証言)をいくら伝えても、沖縄戦の全体は伝えることができないし、そのような特殊に終わる伝達は、沖縄戦を伝えたことにはならない、と考えるからである。私たちが、沖縄戦の証言を重視することはなにを意味しているのか。沖縄戦の実態がああだった、こうだった、ということを伝えることが主たる目的ではない。それが目的化されることにはあまり意味がないと考える。なぜなら、過去の出来事の中の(特殊な)事実を伝えることにどのような意味があろう。歴史に学ぶという意義は、その中に現在および未来を生きるための価値があるからである。つまり、過去の学習は現在および未来に生きるための智恵を受継ぐためである。そのことを私たちは「沖縄戦の教訓」と位置づけて、その教訓を受継ぐことによって、現在および未来の生き方に価値を見いだそうとするのである。

 ところで、「沖縄戦の教訓」とは何だろうか。それは、近代戦争の本質を明らかにすることであり、住民が戦争に巻き込まれていくことの実態を明らかにすることであり、政治権力が国民を戦争に動員していく過程を明らかにすることであり、……それぞれの本質を戦争体験者の証言を掘り起こしていくことによって浮き彫りにされてくるものである。われわれに与えられている戦争の生の実態は体験者の証言にしかない。

 写真や映像による戦争の実態には、戦争の表象はあるが、そのうちに潜む本質は見えてこないし、語ってくれない。物事の本質は、それを構成する言語による概念形成によって成り立つものである。そのようなことから、体験者の証言は、戦争の実態に潜む真実を炙りだす貴重な証拠であると言えよう。

 「証言」をどうとらえるか

ところで、戦争体験のない私たちは、戦争の事実を語ることはできない。それは、体験者しかもっていない明らかな事実そのものである。私たちは、体験者の証言を間接的に伝えているが、それは、もちろん私たちの戦争体験ではなく、また、戦争そのものの事実でもない。真の事実は、体験者が語り、音声化したり、文字化したりしたものを言うのではなく、体験者の全身全霊(古い言葉だが)に刻み込まれた、その人の血肉となっている体験そのものによってしか語られないものである、と考える。

例えば、同じ体験をしたとしても、その体験を語る人によって異なってくるのは必然である。つまり、体験したことの中から何を記憶しているのかによっても異なってくるし、また、何に衝撃を受けたかによっても異なってくる。あるいは、その人の立場や状況、その人の思想によっても大きく異なってくる。さらには 体験者の体験がすべて音声化されたり文字化されたりするわけではない。 

したがって、私たちが、体験者の語った体験談をいくら説明しても、それは事実そのものの伝達にはなりえない。体験者の目を通した、耳を通した、大脳を通したそれぞれの体験であることを認識すべきである。もちろん、私たちは、体験者が体験した沖縄戦を間接的に体験しようと努力をしているし、そのために体験者の体験を共有しようとしている。しかし、それは、あくまでも共有しようとする努力であって、体験そのものを共有できるわけではないのである。

それでは、戦争体験のない者は、戦争を伝えることはできないのか、また、そうだとすれば、体験者が遠い将来(近いともいえるが)一人もいなくなった時、沖縄戦を伝えることはできなくなるのか、という疑問や不安が交錯する。私は、それは、私たちが戦争をどうとらえるのか、ということにかかっていると思う。

 かつて、沖縄の平和教育は、沖縄戦の体験者の体験を聞かせることで足りる、という時期があった。しかし、それはもちろん錯覚であったわけだが(このことが最初の私たちの錯覚と言ってもよかろう)、つまり、戦争体験者の体験を伝えることによって戦争を伝えられると考えていたのである。この活動にはもちろん他にもいろいろと目的はあっただろうが、沖縄戦の体験を体験者によって語り聞かせることに上記の意味があったことは確かである。

しかし、それは、錯覚であるし、間違いであったと考える。一人一人の体験は、戦争そのものの事実であるが全てではない。したがって、戦争体験を伝えることが戦争を伝えることになるというのは、一種の錯覚でしかない。もし、体験者の体験によって戦争を伝えようとすれば、すべての体験者の体験談を伝えなければ成立しなくなるがそれは不可能というものだ。

では、なぜ私たちは戦争体験者の体験を聞いたり、聞かせたりするのだろうか。それは、体験者の体験の中に、戦争の本質があるからである。本質の見えない体験をいくら聞かせても戦争を伝えることにはならないし、ある意味では、戦争を誤って伝えることだってあり得るのだ。

 例えば、戦争を美化する人間が伝える戦争体験は決して戦争の真実をを伝えることにはならず、戦争を誤って伝える事に繋がる。なぜなら、彼が戦争は美しいもの、すばらしいものである、というとらえ方をしているからで、戦争をどうとらえるかによって戦争の真実を伝えることができるかできないかの別れ道になるのである。このことについては別項「戦争をどうとらえるか」を参照してほしい。

 ところで、証言に関して言えば、私たちは証言の海で一度は溺れなければならない、と考える。証言は体験者が沖縄戦という極限の戦争状況の中で、死ぬことを免れて戦争を生き延びてきた人たちの体験そのものである。私たちは、証言を通してかれらの体験の海に溺れることがなければ体験者の体験を間接的にでも共有できないだろう。

 私たちが沖縄戦を継承することには、体験者の体験を無にしない、という意思が働いている。そして、沖縄戦を継承する時、できる限り正しく伝えようとしている。そうであるならば、私たちが沖縄戦の体験者と共有しようとするものは、彼らの体験そのものであろう。そのために、先輩たちは(証言者の口をこじ開けるように)して証言を収集し残してきたのである。私たちの継承運動も、そのような証言の海から出発していたはずである。しかし、時の流れはその意識さえ風化させようとしている。今、私たちにとって、沖縄戦は体験者の証言から出発することを再確認することが重要ではないだろうか。

 しかし、一方、そのようなことを踏まえながらも、ガマの中で体験者の証言に寄り掛かるだけでは、体験者の証言の海に溺れたままと同一であろうと考える。溺れたままでは沖縄戦の実態は伝えられないし、もちろん戦争の普遍化もできない。証言の海の中からはい上がり、自分が溺れかけた海を客観的に見つめることが大切である。そのことによって、沖縄戦のなんたるかの全体像が見えてくるはずである。

 その時初めて、証言を残せなかった死者たちの声をも聞くことが出来るのではないだろうか。戦争の体験者は証言を残してくれた人たちばかりではないのである。

たった一人の体験した事実でも、その中に潜む戦争の本質をとらえることは重要なことである。沖縄戦について多くの先輩たちが、住民の戦争体験を収集してきたことは、住民(非戦闘員)こそ、もっとも戦争の本質を抱え込んだ体験者だということを見抜いていたからである。特に住民のなかでも、もっとも多くの困難を抱え込んで戦場を彷徨していた女性や老人や子どもの体験は貴重である。残念ながら当時の老人は多くが早くに逝ってしまったし、子どもはその記憶を止めるにはまだ幼かったといえよう。現在、残されている体験者の証言に女性の証言が多いのは、沖縄戦の本質をとらえるのにいい典型であると思う。

 「ガマの中の暗やみ体験」について

 ところで、少し回り道をするが、「ガマに入って平和学習はこと足れり」とする傾向があるが、そのことについては二つのことが考えられる。

 一つは、そのような傾向を生み出したのは、私たちの側(沖縄戦を伝える側が作り出した誤った考え方に基づくもの)にあったのではないかと思う点である。つまり、ガマの中での体験を語ることで沖縄戦の実態を伝えている、と錯覚し、その錯覚に立って伝える活動を続けてきたことを意味する。そのようなことを自らの行動の結果として反省することなく、その傾向に対しての対策を考えることは本質的な解決にはならない、と考える。

 このようにとらえることは、私たちが行ってきたガマでの平和学習のスタンス(立場・認識)を振り返ってみることにつながり、今なによりも重要である。そのためには、「ガマに入って平和学習はこと足れり」とする傾向とどう向き合うかということが厳しく問われなければならない。

 二つ目は、それはそれでいいのではないか、という認識である。私は、その傾向を素直に受け止めたいと考える。もちろん私たちが蒔いた種の結果は結果として前述したように真摯に受け止めなくてはならないが、私はそれとは一応切り離して考える。私は、例えそういう傾向があったとしても、平和学習をしない者(ガマにさへ来てもらえない)に比べれば条件(ガマに入ることそのもの)を設定してくれただけでもいい、と素直に受け止めたい。そのような条件に対して、それに意味を持たせるかどうかは、私たちが沖縄戦の伝達者としてどれほどの意味づけをし得るか否かにかかっているからである。その意味づけをし得ないならば、どのような対策が取られようとこれもまた根本的な解決には至らないと考える。したがって、問題の本筋は、私たちの過去とこれからが問われているのではないかと考えるのである。

 ガラビー壕に入ったら、ガラビー壕のことを伝達する、ということではその意味づけの役割は果たせない。ここに至って、先程も述べてきたように、特殊から普遍化への過程を伝えることの重要性が認識され、具体的な証言を使って一般化する作業(あるいは伝達)が可能になるのではないだろうか。

 私たちがガマのなかで暗やみを体験させる意味は何だろうか。たしかに、暗やみの体験は学習者に一定のというか、かなりの衝撃を与える。私たちはしかし、その意味についてあまり検証していないのが実情であろう。

 ガマでの暗やみの体験は、ある目的を達成させるための手段であることを確認する必要がある、と思う。そのことが目的化されてしまっているところから、「ガマに入っていれば平和学習をしたことになる」という安易な認識が生まれてくるのではないだろうか。とすると、そのような安易な認識を植えつけたのは、伝達する側の責任が大きいと言わなければならない。目的化された、「ガマの中での暗やみ体験」について改めてその意味を検証する必要があろう。

 私は、先程それは手段だといった。では、なにが目的であるのか。それは、もちろん「暗やみの体験」によって何らかの価値が付加されるから行うのである。その価値とは何か。それは、懐中電灯を消している間の僅かの時間に、その体験をしている者達が一人ひとり何を感じ、考えているかによって決定される。もっと厳密に言えば、私たちが、懐中電灯を消すまでの間に(数十分間から数カ月間)どれだけの沖縄戦を伝えられたかによって異なってくる。

 このことは、まさに前述したことと重なってくるのである。いま入っているガマのことだけに絞った伝達をしていれば、それだけのことしか感じないし、考えない。したがって、学習者をガマに入れ、案内し、「懐中電灯を消すまでに」どれだけのことを伝達したのか、私たち自身が問われてくるのである。もちろん、「までに」と言うのは「ガマに入るまで」をも含むものであって、この場合「…から」は重要である。

 改めて強調したい。ガマでの「暗やみ体験」はそれ自体が目的ではない。仮にそれが目的であれば学校の暗室だってできる。そのようなことを考えれば、本土の修学旅行生が遠く沖縄にやってきて、「暗やみ体験」をすることを目的にしたとすれば、それはナンセンスである。 

 学習者は未知であるから学者者になり得るのである。そのような学者者に対して、私たちが、事前学習をも含めてどのような学習をさせることができるのか、大きな課題だといわなければならない。

先程の体験(事実)を伝える=戦争を伝えるの公式に寄り掛かり、体験者の証言を伝えることのみに終始することから生まれる学習者の「またか。」というため息は、私たちに大きな示唆を与えてくれると思う。

 「与える」意識と「伝える」意識

 ここで、沖縄戦の実態を伝えている私たちの意識について考えてみたいと思う。
 私たちの中に、沖縄戦を語る時、「与える」という意識が働いていないだろうか。この意識は私たちの働きかけで、与えられる側が反応するということになる。それは、とりもなおさず、与える側が主となり、与えられる側は従となる。この関係では真実を伝える場にはなりえないと思う。

 ところで、「与える」意識によって沖縄戦を語った時、それは、どのようなことになるのだろうか。与えられる内容は、与える側の持っているものの全てかあるいはその部分であるが、それはどう考えたってその人の確定化された知識以外の何ものでもない。なぜなら、精神的価値では知識以外「与える」ことは出来ないからである。

 私たちはあくまで伝える者でなければならない。ここで伝える側というのは、必ずしも体験者のみをさしてはいない。沖縄戦を学びそして伝えるすべての側である。「伝える」意識に立って、沖縄戦を正しく伝える役目を自覚した時、沖縄戦の実相を語る可能性が生まれてくると考える。

 伝える内容が、それぞれの事象を単なる知識としてではなく、事象の関連性をたどる認識の段階としてことを進めなければならない、と考えるからである。知識は、すべての人にとって共通項となり人類の財産となって残る。しかし、確定化された知識そのものが新しい認識の目を育てるのではない。

 物事の本質を把握する段階においては、一般化された共通項としての知識の獲得のみでは、その中に内包された本質を見る目を曇らせてしまいかねないのである。たとえば、「沖縄戦では20数万の人が亡くなりました」というのは、沖縄戦の実態の一つだが、それだけを切り取ってしまうと、それは一つの確定された数字として知識化されてしまう。そのことは「沖縄戦では、住民は日本軍に食糧を強奪されました。」という実態の内容についても同様である。

 この二つの事実を単独に与えることが知識獲得の視点であり、それらの関連性を押さえながらその中に潜む真実をとらえさせようとすることが認識の視点である。「20数万人の死者」と「日本軍の食糧強奪」がどう結びついているのか、という視点である。「20数万人の死者」や「日本軍の食糧強奪」を切り離した知識としてではなく、沖縄戦の実相を構成する一つの要素(「関係要素」あるいは「共通要素」)として伝えることが認識化への視点となる。

 全体を構成する要素としてとらえるなら、おのずからそれら要素の相互関係が問われることになる。つまり、物事の関係について考えたり、感じたりすることによって認識活動が始まる。たとえば、アブチラガマの中で私たちが伝える沖縄戦の語りは、このようなものでなければならない、と考えるのである。

 与えた知識は受け取った知識として学習者の中で定着するかもしれないし、あるいは忘却されてしまうかもしれない。さまざまな工夫によって、たとえ、定着したとしても、それは、前述したように確定化された知識として受け継がれていくだけであって、認識活動としては働かない(もちろん個別的な精神活動の差はあるが…)。そのことは、つまり、アブチラガマの中での体験証言は、そのものの確定化をもたらし、沖縄戦から戦争一般へと拡大していく認識への転換はもたらされない。とすれば、学習者は、ただ沖縄にあるアブチラガマで何が行われたのか、ということを知るために、金と時間と空間の障害を越えてきたことになる。それではあまりにも負担が大きいし、私たちの役割の成就も歩留りが低くなる。

 しかし一方、認識の視点から沖縄戦を伝えようとする時、その方法には工夫が必要となる。単なる知識としての伝達ならば、それぞれが単独に切り離された事実としての伝達であるから、容易に成立する。しかし、認識の方法として伝えるためには、それらの一つ一つの事象の関係を繋ぎ合わせながら伝達しなければならない。しかも、「共通要素」の場合に比べて「関係要素」は、その関係自体が単純な関係もあるが、時には複雑に絡んだ関係であったりする。それらの関係を整理しながら、あるいは、伝える相手の発達段階を配慮しながら、その方法については最大限の工夫をしていかなければならない。

 このように考えるとき、前者は並列化され固定化されるが、後者は常に新しい関連性を生み出し重層構造となって展開していく可能性をもっている。つまり、沖縄戦の継承は学習者の発達段階に応じて進められるが、そのことはまた、学習者が伝達者に成長していく可能性をも秘めているのである。

   このような視点に立つことが、沖縄戦を学ぶことだけでなく、沖縄戦を伝える視点や態度としても重要なことではないだろうか。そのことが、悲惨な沖縄戦を体験した人たちの体験を今後の歴史に生かすことになる、という展望を開くことになるのではないだろうか。

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