第三稿   証言について           03・9改稿
                           
 沖縄戦についてその実相を捉える時、かろうじて生き残った人達の証言によるところが大きい。特に沖縄戦は、組織的戦闘が不可能になったにも係わらず終戦は来なかった。また、戦場から避難したつもりの場所が戦場に変わった。そのために、統率を離れた日本兵と、避難した住民との雑居戦場となってしまった。日本兵も住民もそれぞれの判断で行動していた。東西南北約10qの土地で、約20万といわれる人々が混在していたのである。その状況は想像を絶するものであった。

   これが、南部一帯の一般的状況であるが、一方、県の疎開計画にしたがって北部に避難した住民は、戦闘の修羅場からは逃れたが、ここもまた想像を絶する食糧危機に陥っていた。幼児や老人など弱者から次々に死んでいった。

   離島は離島で日本兵の横暴さにより、食糧危機やマラリア等による死者が増え、さらに、米軍の占領が遅れた離島では食糧危機が深刻であった。

 そのような状況の中で、一人ひとりが違う戦争体験をしている。したがって、戦後このかた戦争体験の掘り起こしがあり、相当数にあがるが、そのすべてが違うものとなっている。「一人ひとりに戦争があった」といわれる所似である。

   ところで、戦争体験のない私たちは、戦争の事実を語ることはできない。それは、体験者しかもっていない明らかな事実そのものである。私たちは、体験者の証言を間接的に伝えているが、それは、もちろん私たちの戦争体験ではなく、また、戦争そのものの事実でもない。真の事実は、体験者が語り、音声化したり、文字化したりしたものを言うのではなく、体験者の全身全霊(古い言葉だが)に刻み込まれた、その人の血肉となっている体験そのものによってしか語られないものである、と考える。

   例えば、同じ体験をしたとしても、その体験を語る人によって異なってくるのは必然である。つまり、体験したことの中から何を記憶しているのかによっても異なってくるし、また、何に衝撃を受けたかによっても異なってくる。あるいは、その人の立場や状況、その人の思想によっても大きく異なってくる。さらには 体験者の体験がすべて音声化されたり文字化されたりするわけではない。 

   したがって、私たちが、体験者の語った体験談をいくら説明しても、それは事実そのものの伝達にはなりえない。体験者の目を通した、耳を通した、大脳を通したそれぞれの体験であることを認識すべきである。もちろん、私たちは、体験者が体験した沖縄戦を間接的に体験しようと努力をしているし、そのために体験者の体験を共有しようとしている。しかし、それは、あくまでも共有しようとする努力であって、体験そのものを共有できるわけではないのである。

   それでは、戦争体験のない者は、戦争を伝えることはできないのか、また、そうだとすれば、体験者が遠い将来(近いともいえるが)一人もいなくなった時、沖縄戦を伝えることはできなくなるのか、という疑問や不安が交錯する。私は、それは、私たちが戦争をどうとらえるのか、ということにかかっていると思う。

 かつて、沖縄の平和教育は、沖縄戦の体験者の体験を聞かせることで足りる、という時期があった。しかし、それはもちろん錯覚であったわけだが(このことが最初の私たちの錯覚と言ってもよかろう)、つまり、戦争体験者の体験を伝えることによって戦争を伝えられると考えていたのである。この活動にはもちろん他にもいろいろと目的はあっただろうが、沖縄戦の体験を体験者によって語り聞かせることに上記の意味があったことは確かである。

   しかし、それは、錯覚であるし、間違いであったと考える。一人一人の体験は、戦争そのものの事実であるが全てではない。したがって、戦争体験を伝えることが戦争を伝えることになるというのは、一種の錯覚でしかない。もし、体験者の体験によって戦争を伝えようとすれば、すべての体験者の体験談を伝えなければ成立しなくなるがそれは不可能というものだ。

   では、なぜ私たちは戦争体験者の体験を聞いたり、聞かせたりするのだろうか。それは、体験者の体験の中に、戦争の本質があるからである。本質の見えない体験をいくら聞かせても戦争を伝えることにはならないし、ある意味では、戦争を誤って伝えることだってあり得るのだ。

 例えば、戦争を美化する人間が伝える戦争体験は決して戦争の真実をを伝えることにはならず、戦争を誤って伝える事に繋がる。なぜなら、彼が戦争は美しいもの、すばらしいものである、というとらえ方をしているからで、戦争をどうとらえるかによって戦争の真実を伝えることができるかできないかの別れ道になるのである。このことについては別項「戦争をどうとらえるか」を参照してほしい。

 ところで、証言に関して言えば、私たちは証言の海で一度は溺れなければならない、と考える。それはわれわれが言語という共通の文化を共有していることによるものである。証言は体験者が沖縄戦という極限の戦争状況の中で、死ぬことを免れて戦争を生き延びてきた人たちの体験そのものである。私たちは、証言を通してかれらの体験の海に溺れることがなければ体験者の体験を間接的にでも共有できないだろう。

 私たちが沖縄戦を継承することには、体験者の体験を無にしない、という意思が働いている。そして、沖縄戦を継承する時、できる限り正しく伝えようとしている。そうであるならば、私たちが沖縄戦の体験者と共有しようとするものは、彼らの体験そのものであろう。そのために、先輩たちは(証言者の口をこじ開けるように)して証言を収集し残してきたのである。私たちの継承運動も、そのような証言の海から出発していたはずである。しかし、時の流れはその意識さえ風化させようとしている。今、私たちにとって、沖縄戦は体験者の証言から出発することを再確認することが重要ではないだろうか。

 しかし、一方、そのようなことを踏まえながらも、ガマの中で体験者の証言に寄り掛かるだけでは、体験者の証言の海に溺れたままと同一であろうと考える。溺れたままでは沖縄戦の実態は伝えられないし、もちろん戦争の普遍化もできない。証言の海の中からはい上がり、自分が溺れかけた海を客観的に見つめることが大切である。そのことによって、沖縄戦のなんたるかの全体像が見えてくるはずである。

 その時初めて、証言を残せなかった死者たちの声をも聞くことが出来るのではないだろうか。戦争の体験者は証言を残してくれた人たちばかりではないのである。

    たった一人の体験した事実でも、その中に潜む戦争の本質をとらえることは重要なことである。沖縄戦について多くの先輩たちが、住民の戦争体験を収集してきたことは、住民(非戦闘員)こそ、もっとも戦争の本質を抱え込んだ体験者だということを見抜いていたからである。特に住民のなかでも、もっとも多くの困難を抱え込んで戦場を彷徨していた女性や老人や子どもの体験は貴重である。残念ながら当時の老人は多くが早くに逝ってしまったし、子どもはその記憶を止めるにはまだ幼かったといえよう。現在、残されている体験者の証言に女性の証言が多いのは、沖縄戦の本質をとらえるのにいい典型であると思う。
  
戻るトップへ