第五稿  県立平和祈念資料館問題を考える

 県による「新資料館」の展示内容の修正問題は、「八重山平和祈念資料館」に及ぶにいたって何をかいわんやの様相を呈している。

 この問題が最初報道された時、私は「やはり」という第一印象を受けた。平和資料館というものが、常に平和と対峙する者にとって、「目の上のたんこぶ」的存在の運命をもっているからである。過去にも、当資料館や本土の平和(原爆)資料館でも同様のことがあった。今回のこのような県の態度は、沖縄戦で亡くなった多数の犠牲者に対する冒涜でもあると考える。知事は、「自ら指示してはいない。」とコメントしている。しかし、関係部局が独自の判断で、一定の手続きによる展示内容の修正に動いたとは、行政機構上も事の性質上も考えにくい。

 いずれにしろ、日本軍の残虐性を弱め、戦後復興(米軍の貢献度)を強調することが県側の今回の修正の中心視点である。そして、この「残酷すぎる」や「戦後復興」の視点は、他の平和資料館問題とも共通している。しかし、このような視点は、結果として戦争の原因(戦争責任の追究)の目をそらし、最終的には沖縄戦の実相を覆い隠し、平和資料館そのものの存在意義を薄めることへ繋がる。

 平和資料館の価値は、戦争の追体験がより高度な状況で成立することにある。それを可能にする条件の一つが戦争に関わる環境設定であり、ガマは欠かせない。ガマは戦場そのものであり、そこでの数々の事実が沖縄戦の本質を内包しているからである。ガマでの日本軍(兵)の行為は、最も残虐な住民虐殺から、食料等の強奪、ガマ追い出し、スパイ容疑,暴行等であった。そして、その本質は、県が修正しようとした「ああいう状況もあったしこういう状況もあった」というものではなく、紛れもなく日本軍(兵)の住民への敵対行為そのものであった。

 ところで、その本質を展示物にする時、例えば、優しい日本兵がいたからといってそれをモデルにすることはしない。逆に、最も残虐な住民虐殺をモデルにすることもしない。その事実のみが固定化されてしまう危険性が伴うからである。監修委員会のモデルは「銃を構えて立つ」である。銃を構えるということから、我々は多様な事実を読み取る事ができる。そして、選び抜かれた事実の中の真実に触れた時、我々は事の本質に触れるのである。このモデルの優位性はここにある。 

 沖縄の平和資料館は、沖縄戦の実相を後世に伝えることによってのみ、その存在意義が高まると言えよう。その実相とは、沖縄戦が世界の歴史上希有な戦争であったという事実である。天皇支配の日本軍国主義者は、住民巻きぞえの全島戦場化、未成年者の戦場動員、集団死(「集団自決」)等に見られる住民同士の殺傷、日本軍(兵)による住民虐殺等に見られる自国軍隊の住民への敵対行為、降伏なき戦闘による住民側犠牲者の激増等をもたらした。それらは冷厳な歴史の事実である。

 このように沖縄戦の実態が解明され、それを後世に伝える遺産とするまでには、長い時間と多くの労力と生き残った住民の証言によるところが大きかった。住民巻き添えの戦闘という沖縄戦の側面が、その証言によって日本軍の実態を浮き彫りにさせたのである。その意味では、死を代償とした後世に伝えるべき負の遺産とも言えよう。今回の県の修正は原点となるこの認識を投げ捨て、こともあろうに本質を歪めた解釈を持ち込もうとした。

    歴史の証言者としての資料館は、自ら証言としての証言物(展示物)に解釈を加えてはならない。なぜなら、歴史の事実は一つしかないのだから、事実の仮面を被った解釈が見学者と対面した時、もはやそれは証言者(物)としての自己矛盾を招き、資料館そのものの自殺行為となる。県は、資料館がしてはならない解釈を持ち込もうとした。この県の姿勢が何を意味するのかを真剣に追究し、今後も見守っていく必要があろう。                                                「沖縄タイムス・視座」掲載(1999/)

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