第四稿 米軍への視点                             

@沖縄戦における米軍の実態は、あまり語られない。「日本軍は怖かったが、米軍は良かった」という体験者の証言があったり、また、ガマにおける馬乗り攻撃や捕虜の体験証言などがある。   

 確かに、あの忌まわしい第32軍の日本兵に比べれば、前者のような評価があっても不思議ではない。「地獄で仏」の様な存在もあったのである。しかしそれは、米軍の戦闘状況と関係が深いことを念頭におかなければならない。米軍の攻撃は空からの爆撃、艦船からの艦砲攻撃が主であったということと深く関わっているからである。

    陸上戦は、おもに日本軍との直接戦闘であり、住民と接するのは、南部戦線がその大部分であった。そして、それは、避難民と化した日本兵との雑居状態の中である。そこでは、米軍はもっぱら掃討作戦的な行動であった。

    例えば、ガマを見つけ住民がいれば投降を呼びかけ、反撃があったり、投降に応じなかったりしたら攻撃をしかける、というパターンであった。したがって、住民が直接米軍と接するのは、投降の場面以外は捕虜としての取扱いを受けた時の方がほとんである。つまり、保護された者のみが生存しているのであるから、体験者の証言もいきなりその面の証言が多くなるのも当然であろう。

   しかし、米軍と住民の関係をその面からだけで論じていいだろうか。日本兵の抵抗であれ、日本兵の投降阻止であれ、米軍はその時は容赦なく火焔放射、ナパーム弾や手榴弾、ガソリンの焼き討ち、生き埋め等をやっているし、海岸沿いでは、住民であれ日本兵であれ艦艇から機銃掃射をしているのである。       

 このような無差別な攻撃で戦死した住民も多いことを体験者の証言は物語っている。死者の目からみれば、米軍は良かったという論は成立しない。米兵の人道的な犯罪として次のようなことがあげられている。

 「絶滅的な大量殺人」
 ・水を汲みにきた敗残兵、住民を空と海から狙い打ちをした。(ある証言では、米兵はガムを噛みな     がら、面白半分に狙い打ちをしていたというのもある)
 ・屋敷内の民間人に大型爆弾を落とした。
 ・逃げる民間人を後ろから狙撃した。
 ・一人でいても狙撃した。

A 以上は戦場でのことだが、捕虜となった後でも、米軍の様々な人道的犯罪の事実がある。

 ・収容所では奴隷的扱いをした。(食糧の欠乏、環境の悪化、無報酬の労働) 
 ・ハワイ移送の船舶の中での取扱いが奴隷的なものであった。(船底に裸のまま数日間閉じ込めていた等)                         
 ・強制的に無差別の移動を繰り返した(戦争で生き残ったのに、収容所で死ん だ人も多い)    
 ・収容所では、一部人体実験が行われたという証言がある。
 ・婦女暴行の事例が多数報告されている。                   

B 以上のように米軍は、決して沖縄住民を解放したとはいえない側面がある。 占領者の意識で接していたことは多くの証言から否定できない。そのことが、戦後沖縄占領政策に引き継がれていった、と言われても過言ではないだろう。もちろん、米兵の中には、博愛の心で献身的に住民の救出や保護に全力を傾けた兵士も多かったことも書き留めておかなければならない。しかし、ここでも、組織としての米軍と個人としての米兵の行動が論議の的になるだろう。    

C 本土攻撃の不沈空母の位置づけ                        

  米軍は当初、台湾上陸が戦略上の目標だった。しかし、戦況の変化によって急きょ沖縄上陸が決定した。

 サイパンを占領して、本土空襲が可能になり、さらに硫黄島を占領してその距離を半分にした。次は本土上陸のための前線基地の確保であった。しかも大規模な飛行場が必要である。そのために台湾を目標にしたが、急きょ沖縄上陸に決まった。つまり、沖縄戦は当初から、米軍の本土攻撃のための不沈空母確保の性格をもっていたのである。     

D 戦後のアジアを視野に

 さらに、米軍はすでに敗色濃厚となっていた日本軍の敗北を見通し、戦後処理に照準を絞っていた。ヤルタ会談でソ連参戦の道を開いたルーズベルト米大統領は、スターリンと友好的だったが、アメ リカの指導部では対ソへの警戒心を増大させていた。特に代わった新大統領のトルーマンはソ連嫌いであった。このことが、戦後の日本の終戦処理に影響を及ぼしていくことになる。        

 このような状況から、米軍は、沖縄を不沈空母とした後も、長期に沖縄に駐留するつもりであった。それが現在まで続いている。               

E戦後処理後の本土監視基地                           

 また、長期占領をてこにして、戦後の日本(本土)を監視するための基地でもあった。軍国主義の日本を解体し、民主主義国家の改造に指導力を発揮したアメ リカは、その後も日本を監視することを視野にいれていたようである。

F沖縄の本土からの分離政策                           

 そのために沖縄をことごとく本土と分離させ、沖縄を「琉球」と呼び、日本人とは別民族だとした。そして、住民に対してもその宣伝を強化していた。そして、それらに手を貸したのが昭和天皇である。  

G以上のことから、アメ リカは、徹底して沖縄を本土から隔離し、本土で進めていた、戦犯追放や農地改革などの一連の民主化への転換政策を沖縄では実行しなかった。すべては、軍事支配のための方便として、形式的な方策を住民に下ろしていっただけである。   

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