証言 2

  こんな戦争ない方がいい
                                                     玉城(旧姓宮里 ・女性 ・21歳)
       
 ウムニーニービチ

 摩文仁部落の〈徳前門〉に武部隊の兵隊さんがいて、兵隊さんの炊事をしました。お米が足りなかったためでしょうか、白いお米にお芋を四角に切って入れて作りました。芋を入れたら味がついておいしかったです。

 摩文仁で炊事の仕事でしている時に結婚しました。当時はごちそうはないですから、芋を料理して、ウムニーニービチ(芋で祝った結婚式)しました。
 そのころ毎日戦車断崖をつくりに行きました。高さは背丈ぐらいですかね。戦場になって、アメリカの戦車を見たらナンギサーヤテーンヤー(難儀だけしたんだね)と思いました。また各家庭でも竹槍を作らせていましたよ。アメ リカーの武器見たら、クングトウーグヮーチュクティヌーナイタガヤー(こんな物作って何になったのかね)と思いました。

 空襲警報があったら「アマンソウ壕」に逃げ込みました。小渡部落民は大体そこに逃げています。そういうことを何回か繰り返した後、山原疎開するつもりで山原(本島北部)へ向かいました。

 必要な荷物はユナバーキ(ざる)に入れ、頭に載せて山原へ向かいました。首里の坂下まで行ったんですが、攻撃が激しくて先へは行けず戻りました。戻る時は南風原の津嘉山で一泊、真壁村宇江城で一泊して、3日日に小渡の「マヤーン壕」に着きました。
 ここは壕がたくさんあって、多くの兵隊さんも住民も隠れていました。兵隊さんがぼた餅を作ってくれて、一緒に食べたこともありました。おいしかったです。ここに隠れている時は宇江城に水をくみにいったんですが、艦砲射撃が激しくなってからは井戸にも行けなくて、畑の溝にたまった水も飲みました。

 上等の服を着てスパイ扱い

 「マヤーン壕」から出た人は「みんな、海の方へ行っているみたいよ」ということを聞きました。暗くなってから、木々が生い茂る中を海に向かって行ったんです。道を歩いてアメ リカーに見つかってしまったら大変ですからね。

 〈新屋仲前門〉(屋号)の和子と〈前ヌ門〉(屋号)のマサの3人で相談して「どうせ死ぬなら、洋服も上等なのを着て死んだ方がいい」と上等の洋服に着替えたんです。そして「チビウサギー壕」に入ろうとしたら日本の兵隊さんに「こんなにきれいにしているのはスパイ」と言われて捕まえられ、「手榴弾で3名並べて殺すから、ここに立っておきなさい」と言われました。

    そこにちょうど「マヤーン壕」でお世話になった内地の上等兵がいて「この人たちはスパイをする人じゃない。この人とは壕は隣近所だったけど全然スパイする人じゃない」と助けられました。この壕に入れてもらうと、中に隠れていた小渡の人に「イッターヤ、ヤガティ殺ハリータンヤー」(あなたたちはもう少しで殺されるところだったね)と言われました。兵隊さんが怖かったので部落民も私たちを助けることができなかったのです。この壕は兵隊さんと民間人合わせて2,30名ぐらいいたはずです。

 暗くなったので3名で「マヤーン壕」に食糧を取りに戻りました。戻って来て「チビウサギー壕」に入る時、壕の上から手榴弾を投げられて一番後ろを歩いていたマサは大怪我をしました。その夜、マサは大声を上げてとても苦しんでいました。あの時のことは忘れられません。翌朝亡くなりました。壕に入る時私は一番前を歩いていましたよ。もし私が一番後ろを歩いていたらと考えたら怖くて……。

 ここから「ギーザバンタ」の所にある「アカシントウ」の壕に移り、2,3日たって捕虜になりました。アメリカーが「デテコイ、デテコイ」と呼びかけました。どうせ戦は負けるのだったら早く出た方がいいと、中に隠れている兵隊さんたちと一緒に出ました。

 収容所生活

 玉城村の親慶原に収容されました。収容所には食べ物もいっぱいあるし、その時は生きていてよかったと思いました。逃げ隠れしている時は食べるものもありませんでしたから。何を食べていたのかは、覚えていません。親慶原から久志村嘉陽に移されました。同じ親慶原の収容所にいた小渡の人でも二見、東喜、大浦と収容所は別々でした。嘉陽から宜野座村福山に移され、福山から名城に来ました。

 名城から小渡部落に戻ると焼け野原が広がっていました。部落には2,3家族に1軒ずつの割合で規格家がつくられていました。
 小渡部落の南側は真和志村の人がいたので、自分の部落だけどそこには自由に入れなかったし、家もつくれなかったです。

 マサが手榴弾で死んだこととか、スパイ扱いにされて内地の上等兵に助けられたことはもう絶対に忘れられません。今考えると人間の運命ってあるはずです。もう二度とこんな戦争はない方がいいです。

                                       『糸満市における沖縄戦の体験集』(糸満市)

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